第36話 どんなモノも度が過ぎるとイラつくのです。


 私は全く格闘技のことを知りません。正直これまで一欠片も興味を持てないものでした。そんな私でも分かるほどに、ハルカさんの見舞った蹴りはテオさんの動きを止めるのは十分なほどの威力を誇っていたのです。


 きっと高所から地面に叩き付けたれた時の感覚に似ているのでしょうか。


 私は経験したことも、そんな光景を目にしたこともないですが、きっとそんな感覚。息をすることも覚束ず、身体を丸めて崩れ落ちてしまっているのです。


 乱れてしまったスカートの裾を叩く音が響き、ハルカさんが呟きます。


「己の所業を顧みなさい。もしそれでも不満があるのであれば、受けて立ちますわ」


 一瞬の攻防を見せる前に言い放った冷たい響きはそのままに、ハルカさんはため息を吐きこちらに振り返ります。


 どんな冷めた表情をしているのか。想像すると恐ろしいものがありましたが、振り返った時の彼女のそれはいつも通りの暖かなものに戻っていました。


 笑顔のまま、こちらに歩み寄り自然にエルフリーデの肩を抱くハルカさん。

 まぁ確かにいつまでもここにいても意味はないですからね。ただ一瞬でここまで見に纏う雰囲気を変えることが出来るとは……さすがにこれには戦々恐々としてしまいます。


「さぁ、エルフリーデ様。参りましょう?」


 貴女はどこかのジェントルですか? いやいや、今そんなことはどうでもいいのです……テオさんをそのままにしていくのですか?


 私もこの人には散々イライラさせられましたが、さすがに痛みに耐えながら蹲る様を見せつけられては可哀想と思ってしまいますよ。



「……て、待ってく……」


 深く息を吸い込む。普段意識しなくても出来ていることが今の彼にはどれほどの苦行なのでしょう。額に大粒の汗を浮かべながら、その苦痛に耐えてこちらを見上げています。


 自業自得とはいえ、さすがにこの光景は痛々しすぎますよ。

 せめて何かフォローくらいはしてあげた方がいいんじゃないかとエルフリーデに視線を送ると、彼女も同じように考えているのか。歩いて行こうとしていた足を止め、ハルカさんのジッと見つめます。



「ハルカさん?」

「気にする必要はありません。今は貴女様のお怪我が心配です」

「でも……ハルカさん!」


 この少ない会話に私の心臓がドクドクと音を刻み始めます。


「……」

「あの様な状況ではさすがにかわいそうです。それに私とのことは単なる行き違いですから」



 正直私にはテオさんが意図しているものは理解することが出来ません。

 ただ間違いなく、大きな勘違いからの行動であると言うことは想像するのは容易でした。

だからこそ、少しでもその誤解を解消しておかなくてはこれからの学園生活が苦しくなってしまいます。


 もしかすると今日の一件で更に話が拗れてしまっているかもしれませんが、どうにかしたいと足掻くのがエルフリーデなのです。


 そんな彼女の振る舞いに、ハルカさんの笑顔が少しずつ冷たくなっていきます。

先ほどまでテオさんに向けられていた冷ややかさに似たものを感じながらも、エルフリーデは決して怯むことなく言葉を止めません。


「彼が貴女様に手をあげたのは事実ですよ?」

「それは……でも!」


 それでも怪我をした人をそのままにはしておけないのだと、そう言葉にしながら詰め寄るエルフリーデのお人好しなことと言ったらない。しかし同時に安心もしてしまった。


 お人好しな彼女だからこそ、守ってあげたいのだと。支えてあげたいのだと。


 私個人としてはそう思えるのです。


 しかし、彼女の抱える思いはきっと、それだけでは留まらないことも、もう分かっているのです。



「許せないのです!」


 ハルカさんはただ支えたいだけではないのです。いえ、確かに彼女の中を占める大半の感情はそれで間違いない。


「貴女様に傷をつける全てが……」


 エルフリーデに踏み込もうとしてくる全てに憎悪の炎を燃やしてしまうほどの独占欲を抱えていしまっている。


「私は、貴女“だけ”を守りたいのです!」


 だからこんなにも激しい感情を露わにしてしまうのです。


ですが、

「―――えっと」

 その激情も、エルフリーデには簡単に通じるはずも……あれ? なんでしょう、エルフリーデの反応がいつもとは少し違いますね。


 そういえばこんなにもストレートにハルカさんから感情をぶつけられたことなんて、今まで一度たりともありませんでした。


 いくら『ハルカさんに対する前提』がずれているエルフリーデでも、ここまでハッキリと言われれば……ねぇ? これ以上言ってしまうのはさすがに無粋ですよ。




 あぁ。待っていましたよ、この状況! ついに、遂に! 大きな一歩を踏み出す時がきたんじゃないですかねぇ、テンション上がっちゃいますよ!


 でもそう簡単には上手くないと言うのが世の常と言いましょうか……まぁそうですよね。そんなに上手くいっていれば、この数年間で決着はついていますものね。





「待ってくれ!」



 邪魔するんじゃねーですよ! せっかくいい雰囲気が台無しじゃないですか! 


おっと、いけないいけない。ついつい吠えちゃったじゃないですか。

 側にいるお二人はもちろん、こちらに制止の声をあげたテオさんすら驚きの表情を浮かべていらっしゃいます。


 スルーしていただきたい……非常に自分が恥ずかしいです。



 テオさん、よく起き上がってきましたね。

 もう少しの間は蹲って痛みに耐えているものかと思っていましたが、相当に無理をしている様子は伝わってきます。


 事実彼の両足は充分に力が入っていないのか、時折崩れ落ちるのではないかと思えるほどに震えていらっしゃいます。



 しかしそんな無様と思える姿まで見せて起き上がってきた理由は一体何なのか、私たちには想像もつきませんが肩で息をする彼は途中で詰まりながらも口を開きました。


「……確かに頭に血が昇り、まともにカロリング様の話を聞かなかったことは申し訳なかった。謝罪をさせてくれ」


 深々と頭を下げて先ほどまでの非礼を詫びるテオさんですが……おかしいですね、こんなにも態度を変えてくるなんて。


 彼がエルフリーデに放った言葉を反芻するに、どうにもその言葉信用できないのです。


 おじいさまの孫だろうが関係ないと、あんなにも感情を露わにしていた人がアッサリと手の平を返すようなこの物言い……どうにもキナ臭いではないですか。


 そう感じているのは私だけではなく、ハルカさんも彼の行動には怪訝な表情を浮かべていらっしゃいます。



 ですがエルフリーデはそんなことは全く考えの中にないのでしょう。

 彼の必死の謝罪にこうかえします。


「えっと、気にしていませんよ。手首が少し腫れただけですから」

「本当に申し訳なかった。許してくれ! カロリング様。それにグライナーも」

「えぇ。わたしは大丈夫です」


 まぁ、らしいといえばそうなりますが少しは危機感を持った方がいいですよ。


 ですがハルカさんはテオさんに甘い反応は見せません。

「では、行きましょうエルフリーデ様」


 この一言が示すとおり、彼女には彼への関心は一切なくなってしまっているのです。

 しかしテオさんは謝罪にだけに止まらず、ハルカさんに向かって言葉を投げ続けます。


「いや、まだ話は終わっていない。君に、君にも聞いて欲しい話があるのだ!」


 そう言った瞬間、その場に蹲るテオさん。

 やはり相当の痛みを我慢していたのでしょう。浅い呼吸を何度繰り返しながら呻き声をあげていらっしゃいます。



 しかしその言葉の受け手であるハルカさんは冷たくそれをあしらいます。


「聞く理由がございません。さぁ、行きましょう、エルフリーデ様」



 なんでしょうか、本当にこれでこの一件が終わるとは思えません。


 一旦エルフリーデはハルカさんに任せることにして、私は誰か呼んできましょうか。



 本当に、いつもこんな役どころばかり。


ため息ばかりが出てしまいますよ。

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