第5話 甘々しいのも疲れます。
結果だけ……そう、結果だけはっきり言いましょう。
苦痛で仕方がありませんでした!
あれからエルフリーデとハルカさんのやり取りを眺めていたのですが、悶絶しそうになるほどに辛かったのです。
辿々しく話を続けるエルフリーデ。そしてその一挙一動にわざわざ顔を赤くしてしまうハルカさん。
我がご主人様の何がハルカさんのストライクゾーンに突き刺さったのか? それに貴女、原作ではもうちょっとクールなキャラクターだったじゃないですか。これもおかしなタイミングで私たちがハルカさんに遭遇してしまった事が原因なのかもしれません。
少し前も思いましたが、やはり行き当たりばったりの行動は身を滅ぼすのかもしれません。
そして長いため息をつきながら、こう考えずにはいられなかったのです。
悲報! 私のS A N値が、この甘々しい空気によって削られていく件について!
かつての私であれば、端末を片手にこんなスレッドを立てていたことでしょう。まぁ全くやったことはありませんけど。
……うん、冗談を考えても何の気も晴れないよ!
不意に執務室のドアを叩く音が耳に届き、それに続いて聴きなれた女性の声。
あ、丁度侍女長の呼ぶ声が聞こえますね。
そろそろお二人の初めてのお話はようやく終わりを迎えるようですね。どんなものにも終わりは来る。明けない夜はないというのは、かつても今も世の常というものなのです。
と言っても、会話のほとんどは取り止めのないものでした。
自分たちの日頃の過ごし方や、今特に好きなものについての話だったので、中身があるのかと聞かれるとなんとも答え難いですけど。
それでも仲良くなれたのであれば私はいうことありませんよ。
そう、『私は』ね。
しかし今日は私の中では盛り沢山の1日でした。もう今日は取り急ぎ、いつものお部屋の絨毯の上に横になりたい。早く帰りましょうと言わんばかりにエルフリーデのそばに駆け寄り、体を預けます。
うむ、存外に私も疲れてしまっていたのでしょう。意識もせずにあざとい行動をとってしまいました。
そんな私に微笑みながら我がご主人様の小さな手が私を抱き抱えます。
そう、たまにこの子は母性というか、素の優しさを見せてくれる。
だから嫌いになれない、むしろ好きなわけなのですが。
さぁさぁ、そんなことを考えるのはもう今日はやめましょう。短かな鳴き声一つ、エルフリーデに立ち上がるように促します。
私の声色を聞いて「そうね」と一言呟き、ソファから腰を上げるエルフリーデ。その動きにつられるようにハルカさんも立ち上がり、こちらに頭を垂れながら続けます。
「今日は本当にありがとうございます」
「いえ、おもてなしに感謝いたします。楽しい時間をありがとうございました」
ありゃ、ご主人様。すごく貴族然としたご回答ですこと。ハルカさんもびっくりされているじゃないですか。
しかしですね、私は知っているわけですよ。
こうゆう時のエルフリーデは『打ち解けた』のか、それとも『すんごい緊張している』のかのどちらかだって。
おそらく、今回は。
「ね、ねぇ!グライナーさ……」
やっぱり緊張していましたね。
語尾の最後なんて消え入っているし、さっきまで普通だったはずの顔色はまるでリンゴ。そしてソワソワと挙動不審に視線を動かしています。
瞬きの間にこんなにもガラリと自分を変える事ができるなんて、呆れを通り越して尊敬すら覚えてしまいますよ、ご主人様。
流石にこれはハルカさんも困惑してしまうのでは……。
「なんでしょう? カロリング様」
な、なんと! エルフリーデの挙動不審を意に介する事なく、にこやかに返答されるハルカさん。もしやたった数時間でエルフリーデの特徴を掴んでしまわれたのでしょうか。
まぁ観察眼が鋭いといえば聞こえはいいですけど……とりあえずは手も足も出ませんの、状況を見守ることとしましょう。
「……わ、たしね、これからも貴女と、貴女とお会いしたいです!」
いやいや、状況を見守るって言ったばかりですが、これはつっこまずにはいられませんよ!
エルフリーデ! それ絶対違う意味に取られちゃいますって!
思わずハルカさんに視線を向けますが、どうしたことか……表情は至って冷静。
何かを考えながら、口にした響きはどこか怪訝な響きを孕んでいます。
「……それは、何故ですか?」
「何故って……」
「同年代の方なら、貴族のお茶会にでも参加されればお会いになる事ができるはずです。ご友人をおつくりになりたいのであれば、そちらに赴かれれば良いのです」
「それは、そうですけど……」
そうなのです。ハルカさんが言いたいのは辛辣にも聞こえますが、全てはエルフリーデのことを考えての発言なのでしょう。
エルフリーデは貴族、ハルカさんは大商家とは言っても平民。
身分制度というものがあるこの国では、『身分不相応な友人』ほど、難しい関係はありません。
おそらくハルカさん自身は何も思わないのでしょうが、エルフリーデには他人から向けられる奇異の視線に耐えられるはずもないでしょう。
ハルカさん、この短い時間の中でしっかりと考えていらっしゃいます。
そして『今』エルフリーデを傷つけてしまったとしても、彼女の『これから』を考えれば、間違った判断ではないのです。
でもわかっていますよ。固く結ばれた拳の小さな震えを見れば。
ハルカさん、今すごく我慢してくれているんですね。
「それをわざわざ私のような街娘に会いたいなどと、少し……おかしく思います」
あえて辛辣に、突き放すような言葉を選んで、投げつけるみたく言い放ちます。
その言葉は受取手にはあまりにも酷い言葉でしょう。
事実、エルフリーデの鼓動はその言葉を受けた瞬間大きく跳ね、抱き抱えられた私にも伝わってきそうに感じられたのです。
それくらいに質量のある言葉。返す言葉なんて、エルフリーデの中になるのでしょうか。
時間にすれば数十秒の沈黙でしょう。しかしそれの何と重い時間であることでしょうか。
普通ならば「そうですね」の一言で全てがおしまい。彼女たちの物語はそこから何も交わる事もなく、それぞれの物語を過ごしていくことになる。
これにて物語は完!
「他の誰かではなく……」
ですが、我がご主人様は違うのです。
彼女はおかしなところで振り切れているのです。
自分の目的のためならば、一歩踏み出すことを全くと言っていいほどに厭わない。
それが我がご主人様、エルフリーデ・カロリングなのですが……。
「わたしは、貴女だから……わたしは、グライナーさんだからお会いしたいんです」
聞いているこっちが歯の浮くようなセリフをね、顔を赤らめて言うわけですよ。
この台詞を受け取った側はどう感じるのでしょうか。
「……であれば」
「であれば?」
「私のことを名前で、ハルカと、呼んでください」
ぐへへ、っといけませんね。ついつい自分の素が出てしまいました。
しかしエルフリーデを突き放そうと頑なで合ったはずのハルカさん。突然の名前呼びを希望なさるとは。
これはもう、完全に始まってしまった波動を感じますね。
「そ、そんなの初めてで」
「呼んで、下さい」
「な、なら……私のこともエルフリーデと!」
「そうですね、お言葉に甘えることといたします。エルフリーデ様」
「よ、よろしくお願いしますね、ハ、ハルカさん」
笑顔を交わす二人の、身分を超えた友情がこれから始まると思うと少し胸が熱くなるものがありますね。
というかエルフリーデは理解しているのでしょうか?
ライバルになるためにハルカさんを探していたのに、まさか友達に……そうか、エルフリーデは『友達』になろうとは言っていません!
なるほど、ご都合主義に見えて実はそうでも無い。なかなか興味深いじゃ無いですか。
まぁ何にしてもまずは仲良くしておくことは掛け替えのないものですよ。
仲良くの意味完全に違う方向に走っちゃってますけどね。
「いやー本来の目的はきっちり果たせたし良かったー!」
想定以上に遅い時間になってしまったのでしょうか、来る途中は徒歩だったのですが、帰りは馬車。
その中でグッと伸びをしながら呟くエルフリーデの表情からは、ハルカさんといた時の緊張は感じられず、すっかりリラックスできているようです。
あのあと、ハルカさんと後日遊ぶ約束をしたエルフリーデ。ブツブツと自分がライバルになるためにはーなんて空想しています。
今のままじゃ到底無理ですよと人の言葉が喋れたらなぁと私も負けじと空想します。
まぁいつもどうにでもなれだなんて締めくくるのがオチなのですが。
「これできっとハルカちゃんもわたしのこと、意識してくれるよねぇ」
違う意味でね。多分艶っぽい方の意味ですけどね。
エルフリーデが思っているのとは違う意味なので、今後これをどのように改善するのか、それとも気付かずに突っ走っていくのかは、私の預かり知らぬところですね。
「これからもちゃんと会いにいくようにしないとなー、まだまだ先は長いもんね」
確かに長いですけど! でもこれで本当にライバルキャラになれるだなんて思っているのでしょうか。
どう転んでも、ライバルになるって難しいと思うんですけどねぇ。
いずれにしてもきっと、飽きることの無い毎日が待っていることは間違い無いですね。そんなことを思っていると馬車がゆっくりと速度を落とし止まる感覚が脚に響いてきました。
存外に早くお屋敷に到着してしまったようですね。それだけハルカさんが近くにお住まいであったということと、この領地がどれだけ整備されているのかという事が窺い知れます。
侍女長に手を差し伸べられながら馬車を降りていくエルフリーデの後を、私も馬車から飛び降りながら追いかけます。早くお気に入りのソファに寝転びたいのです。
そう。疲れと眠気マックスの私。そしてそれはエルフリーデも同じだったはず。しかしお部屋まで後少し、中庭を横切った時、突然エルフリーデが走り始めたのです。
何ですか、またトラブルを持ち込む……そこに伸びる影の主はもしや!
「やぁエルフリーデ、お帰り。街は楽しかったかい」
「おじいさま!」
視線の先には私たちの愛してやまないおじいさまの姿。
中庭の椅子に腰掛けながら誰かとお茶をされていたようですが、そんなこと気にしていられる場合じゃ無いです。
私たちはおじいさまに飛びついていました。エルフリーデなんてスカートがドロドロになってしまうのも気にせずにです。
これでは流石に周囲の家令たちもため息をもらいしていましたが、エルフリーデがこんな風になるのはおじいさまがいらっしゃるほんの少しの間だけだと理解しているので、微笑ましく思っているのは全員に共通している物のようです。
まぁこんな時くらい、年相応の子供にならなくてはいけませんね。
肉親に抱く感情とは別のものを感じるのは・・・・・・まぁ気のせいだと思いたいですが。
「お久しぶりです、おじいさま! 今日は如何されたのですか?」
「ここにくる理由なんて、君に会いたいからに決まっているじゃないか」
「嬉しいです。わたしも、おじいさまにお会いできて嬉しいですわ!」
瞳を輝かせるエルフリーデ。頭を撫でられながら少しくすぐったそうに体をよじっているその姿からは、引っ込み思案な人物だということなど誰も信じようがありませんね。
……あの、羨ましいんで変わってくれませんか?そう思っていると、さすがはおじいさま。私を膝に招いて、背中を撫でてくれるのです。
しかしその手つきはどこかムラがあるように感じました。その理由は、この後に続く言葉で理解することになるのです。
「あとね、今日は君に紹介したい人がいるのだよ」
「わたしに、ですか?」
「そうなのだよ。正直にいうとね、私は紹介をしたくは無いのだがね」
ハッキリとした苛立ち。発せられた言葉からはその意思が伝わってきました。
おじいさまがこんなにも苛立ちを表に出すなんて珍しい事もあるものだ。
それだけ我慢ならない事なのでしょうか? それとも……。
「意地悪ですね、そんな風に言わないでくださいよ」
おじいさまの言葉にクスクスと笑いながら、おじいさまの正面に座る方がようやく声を発しました。
「……私はまだ納得していないのですよ、殿下?」
殿下って……まさかこの男の子は!
「初めまして、エルフリーデ嬢。このようにお目にかかるのは初めてですね。私は…」
「『ウェルナー』殿下……」
なんでここにこの国の王子様がいるんですか!
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