確認 六

 カウンターで一つだけ空いている席があったのでそこに腰を降ろすと、ようやく店主と顔を合わせることができた。


 意外にもというべきだろうか、女性だ。少し巻癖のある薄黄色の髪をひっつめて、襟ぐりの深い黒のナイトドレスを着ている。


 楕円形の目にはまっている青紫色の瞳には忘れられない印象があった。


「未成年がこんなとこにきちゃだめでしょ、ガロッド」


 そう言って、ルーゼ二等査察官はいたずらっぽく笑った。


 一瞬、店内の喧騒も混沌も自分から切り離された気がした。


 この状況をどう理解すればいいのか? いや、そもそも自分はくる場所を間違えたのではないか? さっき死んだ男は、では彼女に殺されたのか?


「と、いうのは冗談よ。ここはどんなお客さんがこようと勝手なの。そのかわり、払うものは払ってもらうわよ。メニューは手元にあるわ」

「ビ、ビールを」


 それだけ言うのがやっとだった。


 ルーゼはこっくりうなずき、後ろの樽からジョッキにビールを継いだ。


 そうしている間にも、カウンターに対して背中を全てさらさないようにしている。


 襟と同様背中にも深いV字型の切れ目が入っている。金曜日に目にした首筋の赤い跡は消えていた。


「はい、どうぞ」


 白い泡を冠した、黄色い液体が目の前に置かれる。


 ぎこちなくジョッキを手に取り、暫く中身を眺めてから一息に飲み干した。


 生まれて初めてのアルコールは、苦くてぴりぴりしていて、冷たくて爽やかだ。


 爽やか。こんな界隈でそんな言葉を味わおうと思ったら、酒ぐらいしかないだろう。


「あら、いい飲み方するじゃない。もう一杯いく?」

「はい」


 礼儀正しくうなずくと、同じものが同じ要領で運ばれてきた。


「私がここで働いてるって、意外だった?」


 ジョッキに手を伸ばしかけたガロッドに、ルーゼはにこやかな表情を崩さないまま尋ねた。


「い、いいえ」

「あら、じゃあ良く似合ってるってこと?」


 からかわれてガロッドは真っ赤になったが、次の台詞が出てこない。


「ガロッド、あなた、私を尾行したでしょ」

「ええっ?」


 我ながら不覚であった。ルーゼのペースに引きこまれ、動揺を隠せない。


「いいのよ、あんな紹介のされ方じゃ誰だって怪しく思うに決まってるから。でもね、ここで私が働いてるのを内緒にしてて欲しいし、聞かないで欲しいの。それで貸し借りなしにしましょ」


 いかにも公平な提案に聞こえたが、ガロッドはうなずくのをためらった。


 尾行がサージに知られてはどんな叱責が下るかわからない。ここで働いている理由を追求できなくなるのは惜しい。


 少し時間をかけたが、結局のところ危ない橋を渡らずにすませるのが無難だと判断した。


「わかりました」

「いい子ね。じゃ、ビールは二杯とも私のおごりにして上げるわ。もっと飲んでね」


 ルーゼにうながされるまま二杯目を空けると、トイレが近くなってしまった。


 ルーゼに場所を教えてもらい、ドアを開ける。しかし閉めるわけにはいかなくなった。


 さっきの棍棒男が無理やり手を差し込み、顔を突っ込んできたのだ。


「お前、誰に許されてママと話をしてるんだ? 新顔なのにちょっと図々しいな。御仕置きが……」


 皆まで言わさなかった。ガロッドは1歩下がり、男の下あごを蹴り上げる。


 舌を噛んだ棍棒男は悲鳴を上げ、棍棒を振り上げようとした。ガロッドは既にトイレットペーパーをまとめて鷲掴みにし、手洗い用の水を張った洗面器に浸していた。


 棍棒が振り下ろされる前に身をひるがえし、濡れて溶けかかった紙を男の鼻と口に押し当てる。


 息がつまり、せっかくの棍棒を落として戸口でもがく様は哀れと言うも滑稽であった。


 ガロッドは棍棒を拾い、死なない程度に男の頭を殴りつけ、それから紙を剥がしてやった。


 気絶した男を戸口に横たわらせたまま用を足し、何食わぬ顔で戻ってきても、ルーゼの様子に変化はなかった。


「そろそろビールだけじゃ物足りないでしょ? ちょうどね、アブサンがあるの。安くしとくわよ」


 聞きなれない名前にガロッドが首をひねると、ルーゼは薄く笑って後ろの棚から大きなビンと小さなコップを出した。


 ビンに詰まった濃緑色の液体を、ガロッドの手のひらに乗る程度のグラスに小指一本分だけ注ぐ。


「ね、ガロッド、私にもおごって下さらないかしら?」


 そんなにたくさんの金は持ってきてないが、値段を聞くのも少しみっともない気がする。それに、ルーゼと関係を深める方が情報収集に役立つかもしれない。


「いいですよ」

「ありがとう」


 ルーゼはガロッドよりさらに小さなコップを出し、やはり小指一本分だけ入れた。


「乾杯しましょ」


 コップを掲げ、ルーゼがもちかける。ガロッドも彼女にならった。縁と縁がふれあい、小さく鋭い音を立てる。


 ビールと同じように飲み干したが、苦くツンとくる香りが喉を滑り降りていくとともに体中が燃え上がるような錯覚に陥った。


 物の区別が急激にぼやけてきて、瞼を閉じる以外に何もしたくなくなる。


 カウンターに手をついて体を支えようとしたが、椅子ごと転落し、そこから先は何もわからなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る