確認 二
青白く光る、じくじくと湿った這い跡を残すカニとカタツムリの中間体めいた生き物に一顧だにせず廊下を渡ると階段に出くわす。
職員室は二階の奥で、ここ一階はそれこそ博物や錬金術と言った学問のための実験室や講義堂が設けてある。ちなみにトイレは各階の階段脇にあった。
二階は、上述の職員室の他に一年生がひしめいている。三階は二年生たちと各文系部の部室、そして四階が十五歳か、十五歳を迎える若者予備軍たち三年生の世界だ。
この年頃になると無分別さと生意気さにこの上なく磨きがかかるものだ。下級生たちを呼び出して様々な雑役を命ずる者もいれば、学業そっちのけで就職活動にいそしむ者もいる。
実際にそうなるかどうかは別として、将来を誓い合った男女もいた。
そうした混沌のさなかにあって、ガロッドは一人超然とした立場を保っていた。
少なくとも貴族の子弟で彼に喧嘩で勝てる者はいなかったし、決して能弁ではない彼は口論など一切せず相手を放置しておくか自分のしたいようにするかのどちらかだった。
身分については話にならないほど低く、このため親や一族を背景に出して圧力を加える者もいた。『必要とあればいつでも家を捨てるし、そうなれば身分など全く関係ない。その上で、関係を清算してやる』と言われれば荒い鼻息もしぼむ他なかった。
女性はと言うと、レゼッタとの関係が早い時機から知られていたので、ごく普通の社交をもって接する以上のことはしない。
授業は決して退屈ではなかった。学問がどれだけ実社会で役に立つのかは不明瞭なものの、いつ路上に放り出されるのかわからない者にとって知識は幾らあってもあり過ぎということはない。
学ぶ動機が動機だけに彼の成績が優秀なのはある意味当然だった。
昼休みに入り、ガロッドは弁当を広げる前に職員室へ足を向けた。厳密には職員室の出入り口でレゼッタを待った。経験から、この日は彼女が使いをするのがわかっている。
さほど待つこともなく、商品を詰めた紙の箱を両手で抱えたレゼッタが現われる。
昨日逢引した時はピンク色をした可愛らしいフリル付きのワンピースだったが、今日は黒灰色のスラックスにぴしっとした襟の青い上着を着ている。
ベルトには筆記用具と帳簿を納めた革のケースを吊るしていた。
「こんにちは」
箱を抱えたままレゼッタが挨拶した。付き合い出した最初の頃は、赤くなったままぎこちなく会釈したものだが、もうすっかり慣れている。
「こんにちは」
ガロッドも軽く目礼し、彼女の脇を過ぎた。
その瞬間、箱の陰に隠れてサージから託された手紙を渡す。これまでのいきさつを書いたメモも添えた。
ほぼ同時に、レゼッタも箱を片手で支えながらポケットの中の手紙をガロッドに出した。そればかりか、こっそりウィンクして見せる。
教室に戻って弁当を食べた後、余った時間を利用して図書室へ進んだ。
司書は温厚な初老の男性で、ガロッドと似たり寄ったりの下級貴族だった。みんなから好かれていたので特に騒ぐ者はいない。
猫背気味の、丸縁眼鏡をかけて古風なローブを着こんだその男性に目礼して席につく。
一人一人に個室とまではいかないにせよパネルで区切られたブースが用意されており、手をかざすだけでつく自動点火式のランタンが吊るしてある。
白昼なのでランタンはいらなかった。隅にある目立たないブースへ行って手紙を広げる。小さいがしっかりした字でレゼッタのメッセージが連ねられていた。
『家の間取り図を書いとくね。御手伝いさんは三日前まで、だから来週の火曜日まで募集してるって。中央広場の斡旋所で登録できるけど、家の名簿にも控えとくらしいよ。それでね、前の日(木曜日だよ)の晩からあれこれお仕事があるって。出入りは家の裏口だけ、お金はパーティーが終わった後でまとめて払うってさ。あと、救貧院の司祭様もパーティーに招かれてて、後で余った御料理をもらいにくるそうよ。あと、あたしも家の手伝いですごく忙しくって、パーティーが終わるまで会えなくなっちゃった。ごめんね。愛してる』
会えなくなったとは恋人同士としてという意味なので、この際仕方ないとして、家の間取り図は非常にありがたかった。
すぐに暗記したい。放課後になってからでないと時間がない。もし手伝いのふりをして潜りこむなら、火曜日までに登録しなければならない。
無論、偽名と偽住所を名乗らねばならないから、ばれるとレゼッタどころではなくなる。
もっと荒っぽく、手伝いにきたものを力ずくで引きずり出して自分が身代わりになるという方法もあった。後でもめ事になるのは明白なのでやめにした。
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