確認 一

 危うく門に手をつきそうになって、よろけながらかろうじて立ち直ったが、どう気を持ち直そうとしても簡単には衝撃の余韻が冷めそうに無かった。


 こともあろうに、何故、何故ルーゼが自分の恋人の家に出入りしているのか? いや、そもそも、ルーゼの立場が夕べ語られた通りなら、どうしてルーゼはこうも堂々と『敵の』陣営に姿を現せるのか。


 素朴な発想としては、ルーゼがバッフェルたちの味方を偽装しているというものだ。だが、それならわざわざサージと取引する道理が立たない。


 では、逆に彼女こそ秘密経済結社とやらのスパイで、サージをだしに街で自分たちに敵対しそうな有力者たちをあぶり出そうとしているのか? それにしてはサージは余りにも地味過ぎるし格下過ぎる。


 ルーゼは全く別個の、独自の目的を持っているということだろうか。


 そこでガロッドは、朝陽が自分の頬を照らしているのに気づいた。時間切れ寸前だ。それに、他人の家の門前で考え事にふけっているなど傍から見られたら怪しまれるに決まっている。


 まだ市民たちがまどろんでいるのを幸い、家まで全力で走り、朝食の支度までに辛うじて間に合った。


 屋根裏部屋へは、一度雨樋を伝って屋根へ登り、改めて窓に身を滑らせればどうにか戻れた。


 そこで出来るだけ素早く体をふき、何食わぬ顔をして一階に降りる。まだサージもランデルも眠っているらしく、姿がない。


 安心して調理台へ足を向けようとした矢先、体が止まる。テーブルの上に白い一通の封筒がある。


 宛名は『バッフェル様』とあった。差出人は記載されていないが、もはや驚くにはあたらない名前だ。


 これを学校で渡せば、サージの下した指示は満たされる。問題は、自分自身の計画をどうすべきかだった。とは言え物には手順がある。


 手紙をポケットにしまい、フライパンを炉にかけながら、学校でレゼッタに会った時どう話をもちかけるべきかをあれこれ模索するガロッドであった。


 ゆうべに比べて極端に質素な……それでも一人につき黒パン二つとハムエッグ一皿、レタスとトマトのサラダが割り当てられたのだが……朝食をそそくさと終え、洗い物をすませてから学校へ行く。


 街の法律では、子供には六歳から十二歳まで基本的な教育を施すよう義務づけている。


 十三歳以降も学校へ通う子弟はさほど多くないが、貴族なら最低でも十五歳までは勉強を続けるのが常識だった。


 授業を受ける年齢に関係なく、また、真面目に受けるにせよそうでないにせよ、九時に始まったそれは三時には放課後になる。後は好きにすればいい。


 貴族専門の学校とは、一口に言って金さえ積めば単位は取り放題な環境だった。


 一応身分や門地に関係なく公平に授業を実施しているが、教師にとってはより効果的な稼ぎ方を追求する余り成績のつけ方や各種の賞罰にある種の手心を加えるのが習性になっている者もいた。


 学校それ自体は街が運営しており、現在の校長も平民である。建物は意外にも小ぢんまりした造りだが、これは学校が出来た当時の街がごく小さかったためである。ログロッタ市は設立以来数百年の歴史を持ち、学校は街と同じ時間を歩んでいる。


 さすがに施設は定期的に見直しされ、補修されたり追加されたりしている。先日も、温水プールが錬金術師たちの協力で落成したばかりだ。


 『市立ルウォンジー学園』と記されたプレートが埋めこまれている、レンガを積み上げて造ったアーチをくぐると、火の神の彫像がまず目に写る。


 写実派の技巧で、燃え盛る炎が等身大の人の姿を為し、書物を高く掲げていた。大陸では火の神が人間に智恵や知識を授けたとされているから不思議ではないのだが、彫像自体は信じられないほど巨大なガーネットの結晶から作っている。


 詳しい由来だのいわくだのがあるのだろうが、ガロッドはそこまでは知らない。


 彫像の周りには特に飾りらしい飾りはなく、花壇などもない。それだけに大きな存在感を無言で示していた。


 その脇を過ぎて数十秒歩けば校舎だが、門や塀と同様レンガで出来ている。周囲をびっしりとツタが覆っており、レンガの赤と好対照だ。


 四階建ての校舎の内、最上級生たちは最上階を占めている。ガロッドもその一人だった。


 二メートル近い両開きのガラス戸に手をかけ、校内へ一歩踏み出すと、途端に周囲が薄暗くなる。


 夏でもひんやりしているのはありがたいが、両側の壁に水槽があり、博物部の連中がいつもわけのわからない化け物を飼育しているのが悪趣味でならない。

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