家族 四

 しかし、ランデルは王国がどうなろうと酩酊という名の修行ができれば良かったし、ガロッドはおおよその見当がついていたので驚くほどでもなかった。


 沈黙が暫く続いたので、サージは説明を続けた。


「その、不穏な輩と言うのは、経済の力で国を牛耳ろうとしているらしい。そのために商人たちを従えて思い通りに操ろうとしている」


 そこでサージは一息ついて、水を飲んだ。


「このログロッタ市にもそうした手合いが潜入しているのだ。そして来週の金曜日、商人たちのパーティーを偽装して秘密の会合を行う予定らしい。今日は木曜日なので、一週間ほど先だがな」

「それじゃ、二等査察殿は潜入捜査のためにここにきたのか?」


 ランデルが、半ば分かり切った質問をした。


「その通りだ」


 ガロッドに対するよりはずっと寛大な対応だった。ガロッドが同じ尋ね方をしたら、『なれなれしくも余計なことを聞くな』と斬り捨てられただろう。


「それと俺たちに~……じゃなかった~、我々に何の関係がある?」


 なるべく丁寧な言葉を選ぼうとしている分、かえってランデルの体たらくはみっともなく思えた。サージは事務的に答えたが、顔をしかめるのを抑えられなかった。


「無論、国王陛下の一家臣として果たすべき義務をまっとうするのだ。つまり査察官殿に協力する。と、言ってもごく小さな事だけだ。ランデル、お前は来週の金曜日に、午後九時の鐘をいつもより三十分早く打て。そして、十時の鐘を打ってはならん」

「仰せのままに」

「ガロッド、お前の学校に事務用品を納めにきている者がいるはずだな? お前はその者に手紙を渡すのだ。手紙は後で渡すが、その日か翌日には確実に渡せよ。二人とも理由は一切聞くな。こうしていれば陛下への忠勤になるのだ」

「はい」

「無論、他言無用だ。本来、そうした説明のためにいちいち査察官殿がここにこられる筋ではないが、特別に目をかけて下さるためにわざわざここまで来られたのだ。では、食事に戻る」


 有無を言わさずサージが宣言し、日常をかたった非日常がやってきた。


 さすがのランデルも毒気を抜かれたようだし、ガロッドも無理やり関係者に仕立て上げられた。


 サージとしては、家運を興すという個人的欲求に弟たちが従うのは……あるいは弟たちを使うのは……ごく当然のことなのだろう。


 酒が出されなかった理由も悟った。これほど重大な話を飲みながらするわけにはいかない。ランデルにとっては不本意だったろうが。


 鵞鳥の肉を切り分け、プチトマトと一緒にレタスにくるんで食べるのは裕福な家でも滅多に口にできないご馳走だった。

 

 ガロッドとしては、肉体的な意味での味覚はおおいに堪能しているところだが、精神的なそれは苦味とも酸味ともつかぬもので満たされ始めている。


 この件がレゼッタたちに影響するのかしないのか、不明瞭なだけにいっそう始末が悪かった。


 それにしても、ルーゼの変わり身には驚かされる。


 この場でこそ礼儀正しくて隙のない、やり手の官僚を演じているが、干草小屋での口調は文字通り相手の欲を心身ともに煽り立て、時と場合によっては自らの肉体を触媒にしかねなかった。


 いや、あの内容からしてまさに今夜そうするのだろう。


 鵞鳥の脂でルーゼの唇がぬらぬらしている。それをナプキンでぬぐった彼女は、もう一度レタスにくるんだ鵞鳥を一口食べる。プチトマトが割れるかすかな音がして、心なしか唇が赤くなったような気がするが、錯覚だった。


 食べる度に真珠に飾られた胸元が上下し、薄いクリーム色の指がレタスを湿らせていた水滴に濡れていく。


 食事が終わるまで誰も口を開かなかった。もっとも、食事が終わってなされた会話と言えば型通りの挨拶のみで、空になった食器の始末はガロッドに託された。


 ルーゼはサージに送られてその場を辞し、ランデルは欠伸をしながら部屋に引き上げる。


 流しで食器を洗いながら、ガロッドは自分なりに次の対策を練らねばならなかった。まずは事情を整理する。


 サージの言葉によれば、国家経済の私物化を図る集団がこの国に手を伸ばし、ここログロッタ市にも影響を及ぼそうとしているらしい。


 自分とランデルはそれぞれ役目を仰せつかった。


 役目というほど大仰なものではないように思える。寺院の鐘が鳴ったり鳴らなかったりするのはないことではないし、ガロッドに至っては手紙を渡すだけだ。


 しかし、単純な役目だからと言ってその背景が複雑でない、或いは無害にすませ得るとは保証できない。


 ルーゼ二等査察官は、彼らの正体を把握したいのか、それとも覆滅を狙っているのか。いや、もっと別な目的があるのではないか。


 干草小屋の成り行きからして、二人が情人の関係にあるのは想像がつくものの、主導権を握っていたのは明らかにルーゼだった。


 それに、サージがずば抜けて優秀な人材とは正直なところ考えられなかった。実直ではあったろうが、単にそれだけのことだ。


 となれば、ルーゼがサージを利用していることになる。商人たちの一件が頭にまとわりつくのはレゼッタとの関係があるためなので、ガロッドは一時それを脇にやった。


 今晩はルーゼとサージが関係を持つ最後の晩になるだろうが、その現場を覗き見してもたいした情報は得られないだろう。


 干草小屋でさえ二人は慎重に言葉を選び、遠まわしな表現を重ねていた。問題は情事の後だ。ルーゼがどこで寝泊まりしているのかぐらいは抑えておいた方がいい。


 洗った食器を一つずつ拭いて食器台に置き、手を洗ってから屋根裏部屋に引き上げた。下の物置とは上げ蓋に梯子で出入りするわけだが、敢えて開けたままにしておく。


 それにしても殺風景な部屋だった。


 私物らしい私物はさほどなく、レンガと木の組み合わさった床の上に木製の粗末なベッドと、これまた木でできた何かの空き箱がある他、細々したものはベッドの下の籠に入れてある。


 窓もあったがガラスははめられておらず、木のつっかえ棒で板を支えているだけのものだ。窓も今の内に開けておく。


 ルーゼは、明日の早朝には姿を消すと言っていた。それなら少し早い時間に起きておいて、彼女を尾行してから朝食の時間までに戻らねばならない。


 ただ、彼女が都合よくガロッドの時間に合わせた場所で寝泊まりしているとは限らない。


 その場合は、尾行を打ち切ったところから後日探索をしなければならないだろう。

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