家族 三
ガロッドたちフレイワート家においては、母親はかなり以前からいなくなっている。
死んだのか生きているのかもわからない。一度だけ、まだ幼かったガロッドは男ばかりの家族に尋ねたが、冷ややかで刺々しい沈黙をつきつけられたのみであった。
もっともこの件だけでなく、家族として本来知っておくべき重要な事柄は殆どガロッドには知らされずじまいだった。
いじめているのではなく単に無視している。父親はと言うと、数年前、さる大貴族の家臣として別な街に出張したまま年に数回しか帰ってこない。
それでも生活費を律儀に送ってきたのでどうにか食いつなぐことはできた。
つまり、実質的に家を仕切っているのはサージだった。
家事はガロッドにやらせたり臨時雇いのメイドにやらせたりしているが、年に何回かある祝い事の折には特別に街の料理屋から取り寄せることがある。
それにしても、手回しのいい話ではあった。
荒削りのテーブルの上に、藍色のクロスが敷かれ、中央には湯気の立つ鵞鳥の丸焼きが座っている。
その隣にはレタスとプチトマトを入れた籠がある。わざわざ氷を詰めた大きな箱を用意し、その中に入れて冷たさを保たせるという念のいれようだった。
スープを入れた銀色の鍋も腰を降ろしている傍ら、ふかふかの白パンを詰めた籠が置いてあった。
普段から比べてこれほど豪華な内容にもかかわらず、ガロッドは違和感を覚え、すぐに原因を突き止めた。酒だ。酒がどこにもない。
「ランデル、御祈りをしてくれ」
サージの言葉に、ランデルはさすがにいずまいを正した。聖印を両手で包むように持って口づけし、目を閉じる。
ガロッドも、サージたちもそろって瞼を閉めたが、聖職者がいるにもかかわらずフレイワート家では食事の前の御祈りなど滅多にしないことだった。
「我らに熱と明るさの御加護を垂れ給う炎の神よ、今日も家族を不慮の事態から遠ざけ、御客様に御越し下さる機会を御与え下さり感謝します」
不慮の事態か。サージの密談は、では予測すべき事態だったというわけか。
ガロッドは苦笑が湧きあがってくるのを感じた。御客様の御蔭で豪勢な食事にありつけるのは良いが、途方もない揉め事に巻きこまれそうな気配がしてならない。
「うむ。では、食事にかかろう」
それは間接的に、ガロッドが給仕役になれという暗示を含んでいた。もっともこういう場では一番席次の低い者が給仕するのがごく一般的な習慣で、特に意地悪ではない。
ともかく、ガロッドは座ったままスープを各自の皿に満たし、配って回った。
自分自身も一緒に食事をするので必要な場合以外は立たなくて良いのだが、間近にしたルーゼからはもてなしを楽しむ客という他に何の要素も見だし得なかった。
とうもろこしのポタージュは適度な暖かさで、ガロッドも満足した。とは言えスプーンを運ぶ時機を見計らう必要がある。客人より速いと急かしているように思われかねないし、遅すぎると食事全体に影響する。
「大変おいしいです。あ、お代わりは結構ですので」
ナプキンで口をぬぐい、ルーゼは最初の感想を述べた。
「それは良かった。街で収穫されたとうもろこしですが、今年の取れ高は例年並になりそうですな」
いかにも世慣れた風にサージは言ったが、スープは殆ど減っていなかった。
「とうもろこしからは熱い酒ができますぞ」
余計なところでランデルが合いの手を入れたが、ルーゼは微笑して顔を向けた。
「それはまた、どういう御酒ですの?」
「最近になって錬金術師たちが発明したものでして、ジンと名づけられております」
聖職者は熱意と期待を詰めこんで紹介した。サージが控え目に睨むが、意に介した風もない。
「ジンは蒸留してできる酒ですが、あれをやると喉が猛烈に焼けますな。まさに火酒だ。私の信仰にふさわしい」
「まぁ、それじゃ儀式に是非御入り用ですわね」
ルーゼが冗談とも揶揄ともつかぬ口調で締めくくると、ランデルは大仰にうなずいてスープの最後の一口をすすった。
「鳥を食べる前に、二人に言っておきたい」
改まってサージが言い、ガロッドもランデルも長兄に注目した。
「ルーゼ二等査察官殿が何故我が家に来られたかと言うことだ」
あなたが呼んだからからに決まっているだろう、と混ぜ返したくなるのをガロッドは我慢した。
「お前たちにはわからないことだろうが、現在、王国そのものが一種の不穏な輩に侵食されつつある。なまじ軍隊や政治と無関係なものだけに始末が悪い。二等査察官殿は、国王陛下の御命令を奉じ、そうした者どもを一掃しようとしていられる方々の御一人なのだ」
そこで言葉を切ったサージは、ガロッドたちを見渡した。『不穏な輩とは誰なのか』という質問を期待している風だった。
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