家族 一

 ばかばかしい、と首を振ってすませたくなり、実際にそうしてみたものの少しも気が晴れない。


 街中の有力な商人を招いて行う堂々たるパーティーのどこがどう『地下』なのか。


 だが、レゼッタは新顔の商人が少し変わった方式を実践しているとも言っていた。いや、もしそれが何かしら陰謀にからんだものなら、レゼッタに教えたりする理由がない。


 頭が混乱してきたが、さしあたりやるべきことがあった。


 ログロッタ市へ、城門が閉まる前に帰るのだ。サージと、そして恐らくは謎の女性も密かに泊まるのであろう我が家に。


 外は夕暮れだった。城門でなじみの衛兵に手を振り、目貫き通りに出ると小さな店はほとんどしまっていた。


 だが、居酒屋はこれから賑やかになるところ。まだ未成年のガロッドは酒の味を知らされていないが、長兄も次兄もガロッドより小さい時分から食卓では必ずワインを喉に流していた。


 彼が入ったのは南門で、真北……ひいては北門へ伸びるこの主用道路はユーディルム通りと呼ばれる。数十年前、この道路を作るのに私財を投じた人物の名前である。


 ちなみに東門と西門を結ぶ大道路はレザリック通りと呼ばれ、ほぼ同じ時期に同じように出資した者の名だ。


 ログロッタは乾燥気候と温帯気候の狭間にある。


 天気は気まぐれだが、それだけにどんな急変にも耐えられるよう人々はおさおさ怠りない。


 人口は数万人、大陸では中規模に属する規模であり、それなりに高い城壁で囲まれているが攻囲された歴史はない。


 経済活動もなかなか盛んで、特産品として有名な折り畳み傘に象徴される、非魔法軽手工業が主産業だった。もっとも、作るのは職人たちで、売りに行くのは商人たちだ。


 二つの道路は中央広場で交差しており、水の神を祭った巨大な魚の噴水を中心としている。


 かつてはここで神託政治が行われた時代もあったが、今は待ち合わせの場所として重宝されている。


 そこから北西へ進むと貴族たちのための品を扱う商店が軒を連ね、さらに歩き続けて高級住宅街に出る。


 『高級』と言っても庶民から見た場合で、実際には身分に応じて様々な格式がある。財力さえあれば格式を無視できる国または都市もあるが、少なくともログロッタでは古めかしい慣習が貴族たちの間で根強く残っている。


 例えば爵位を持たない貴族は二階建てまでの家しか造ってはならない。こうした類の制限は、昔は庶民にも波及していた。しかし、経済の発達に伴って相対的に貴族たちの力が弱まってきたために彼らの間だけの決まりになってしまった。


 裕福な商人など、形骸化した慣習を固辞する貴族同士の頑迷さを冷笑の種にすることが珍しくない。


「ただいま」


 地味な彫刻が施された薄いドアを開け、気乗りの薄い挨拶をする。


 せめて准男爵なら玄関口に待合い用の椅子を置くことが許されるのだが、がらんとした四角い空間があるばかり。


 背後はさきほど通ったドアで、正面は人が二人やっと並べる廊下が食堂兼客間まで続いている。


 廊下の半ばほどに、向かい合う形で一つずつ部屋があり、食堂兼客間に向かって右側が長兄の、左側が次兄の部屋であった。


 ガロッドは食堂の奥の物置の上、つまり屋根裏部屋をあてがわれている。


「よぉ、ガロッド~。遅かったなぁ~。やっと飯にありつけるぜ~」


 左側のドアが開き、面長の赤ら顔を前後左右に揺すりながら次兄が現われた。


 ズボンのベルトはしめられもせずに片方がぶらぶら垂れ下がっており、シャツはボタンをはめないままひらひら裾を舞わせている。


 髪も瞳もガロッドと同じ黒だが、これはフレイワート家の特徴であり別に珍しいことではない。


 開きっぱなしの戸口越しにベッドが見て取られるが、僧衣が脱ぎ捨ててある。火の神を示す、炎をかたどった聖印……胸に下げるペンダントだが……までぞんざいに置かれていた。


 ログロッタの聖職者たちは、司教座大聖堂に鎮座まします司教を頂点とし、幾十もの教区寺院に分かれている。


 一つの教区で信仰される神に制限はない。ただ、寺院では特定の神を祭っている。


 従って、自分の住んでいる教区寺院と違う神を信仰している場合、宗教にからんだ行事を行うには同じ神を祭っている教区へ行かねばならない。


 煩わしいが、引越しに何かと手間を取ることもあり信者がモザイク状になっているのが実情だ。


 司教も場合によって水の神の信者だったり火の神だったりし、現在は火の神だが、他の信者にも公平になるよう諸事をとりしきっていた。


 とは言え、教区によっては信者の数や喜捨の多寡によって暗黙の格差があり、次兄のいるところは目下のところ貧民街の荒れ寺と認識されている。


 ちなみにガロッドたちの教区寺院は火の神である。


 神学校を卒業して以来2年間、守門として門を開閉したり鐘をついたりの毎日。彼の関心は神の御業に触れることではなくブドウで作った芳醇な液体だった。


 こればかりは大聖堂から絶やさず送られてくる。務めを怠らぬようにという主旨からで、別な主旨に受け取る者も少なくない。次兄はむろん、酩酊もまた修行の内だと固く信じている風だった。


 仕える神や宗派によって聖職者の生活も様々だ。少なくとも彼の所属するそれは『務めの後は家族とともにいる喜びを味わいなさい』という定めであった。


 従って、昼は儀式の後の神々しいワインを、夜は家族とともに傾ける素朴なワインを、それぞれ味わうことが許されるのである。


 二年前までは神学校でも将来を期待された秀才だったのに、他ならぬ長兄と神の恩恵について口論になり、こともあろうに路上で掴み合いになった。


 大聖堂の司教へ向かっていた当時の市長がそれを目の当たりにしたのは天罰とでも考えないと仕方ない。

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