逢い引き 四

 それとは別に、レゼッタの両親のように小間物商からこつこつ働いていっぱしの中堅交易商になった人々は基本的に戦争を嫌っている。


 商売に響くからだ。戦争で儲けるのはごく一部の特定分野に属する商人、卑俗な表現だと『死の商人』である。


 闇で物資を仕入れ、相場よりずっと高い値段で売りさばくという方法もあるが、誇り高いベアボルタの商人たちは軽蔑して一顧だにしなかった。


 もっとも、そうした潔癖さはやや硬直した思想をもたらし、国力の発達を妨げている憾みもないではない。


 貴族の側からすれば、成り上がり者を快く思わない連中も確かにいる反面、新興勢力としての商人たちと積極的に手を組もうとする者もいた。


 貴族たちの強味であった軍事的要素、換言すれば騎兵の活躍できる範囲は一時代ほどには広くない。というより槍兵や弓兵の台頭で没落した地位が、魔法や錬金術の助けでようやく一兵科として復活できたのが実情だ。


 である以上、経済的な利権の追求に頭を切り替えるのが目端の利いたやり方ではあろう。もっとも、そんな生臭い世間を知るには、二人とも経験が足りなかった。


 ガロッドの筋力や反射神経はいまだ未知数だった。


 体育を始め各種の授業は色々と目的意識があっただけに真剣に打ちこんで優秀な成績を収めたが、結局なところ級友たちにさしたるライバルがいなかったから相対的に好結果が出たわけで、本人もそれはわきまえている。


「……ちょうどいい。この小屋を使おう」


 明かり取りの窓からもれてきた聞き捨てならない台詞に、彼の思考は突然の中断を強いられた。夢中になる余りつい時間を潰し過ぎたのだ。


「そうね、立ち話もなんだし」


 相方とおぼしき人物があいづちを打った。


 本能が働くのに時間は要しなかった。


 ガロッドの足はそれ自体が意志を持ち、床を蹴って体を帳簿用の足場へ押し上げた。彼の跳躍力をもってすればぎりぎりながら達せないわけではない。


 両手でロフトに捕まり、肘に力を入れて上半身をどうにか乗り入れたところで出入り口がきしんだ。


 この上なく真剣に力を込め、下半身を速やかに引き上げたところで二人の男女が入ってくる。逆光のために顔ははっきりしないが、向こうも気づいていないようだ。


 戸を閉めてから、二人は小屋の中央で直に座った。一人は女性で、もう一人は男性なのがわかるが、あまり覗きこんでこちらの存在がばれては元も子もない。


 それに、二人が自分たちのように密会したからといって何のかかわりがあると言うのだ。


「話を要約しよう。私は来週の金曜日に、水晶を逆さにしておけば良いのだな?」


 少し鼻にかかった、やや高い男性の声。聞き覚えがある。まさか……。


「そうよ。客はみんなホールにいるわ。だから、あなたがみとがめられる恐れはない。終わった後で会うこともない」


 女性の方は淡々と、必要な手順を再確認している風だった。


「ああ、それなんだがな、君さえよければ私は……」

「会わない方が御互いのためでしょ? 当主になれば幾らでも好きなことができるわ。それも今みたいな下級貴族じゃない、子爵の称号が得られるのよ」

「子爵……」

「そう。本家を凌ぐ地位になれば、もう怖いものなしじゃない。ログロッタ市でくすぶりたくはないって言ったのはあなたよ」


 なだめるような、あおるような言葉が滑らかな抑揚で発された。


「だ、だが、とにかくもう一回してもいいんだろう?」


 台詞が終わるか終わらないかの内に、にじり寄る音と衣擦れの音とが重なった。


「うふふ……焦らないで。こんなところじゃ雰囲気が出ないわ。どうせならあなたの御屋敷でしたいものね。その方が盛りあがるし」

「ば、馬鹿なことを言わないでくれ。世間への聞こえがある」


 陰謀じみた密談をしているかと思ったら、甚だ落差の大きい理由が恐る恐る差し出された。


「あら、出世したらそんなこと、関係ないじゃない。それに、そっちの方の報酬は時と場所をこちらが選べるって条件よ」


 女性の喋り方に嘲弄が含まれているのを、ガロッドは敏感に悟った。それはともかく、ここまで会話が重なると、ガロッドは男性の正体がかなりな確率で特定できた。


「私が子爵になったら、妬みや敵意を受けないだろうか?」

「まさか。あなたは英雄になるのよ。国家経済の転覆を狙う地下経済結社をたった一人で壊滅させたサージ・フレイワートとしてね」


 最後に出てきた固有名詞は明らかに意識して付け加えたものだが、ガロッドが受けた衝撃もまた無視できるものではなかった。


 サージとはガロッドの長兄であり、フレイワートとは彼らの苗字であり、サージは鼻にかかった高い声をしているのだから。


「さてと。あなたは先に帰って。ここでばらばらになった方がいいわ。今晩は泊まらせてもらうけれど、明日の早朝からは姿を消すわ。それまでの間、楽しみましょう」

「わかった。待っている」


 サージはそう返事をして、小屋を出ていった。女性も少し遅れて外に出た。


 もう安全なのはわかっている。しかし、心が渦を巻いて容易に収まらない。


 サージとはほとんど会話がなく、特に悪意を受けたり好意を受けたりした覚えもなかった。次兄とも似たり寄ったりだが。


 それはさておき、会話の内容が内容だっただけに盗み聞きという行為の後ろめたさとあいまって著しく悪い後味を味わった。


 それに、地下経済結社なる存在と来週の金曜日という期日とが不吉な結びつきにつながっていそうでならない。


 それはもう一方の情報、つまりレゼッタの家で行うパーティーを暗示していないか?

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