第26話 魔王と魔女の結婚



「また人界からの侵入者か!おい女、帰って王に伝えろ!我らは人界になど興味はない。だが、我らの領土に侵入するのなら容赦はせぬ!」


箱庭に入ったドルエラに、燃える鬣の魔界馬に乗った騎士が警告する。紫の斑目パープルオッドアイに巻角を持った魔界騎士は、従卒の魔物達を連れていた。


「騎士殿、退去する前に一つお伺いしたいのだけれど、少し前に自称勇者の一行が来なかったかしら?」


「やって来たが、もう死んだ。"魔族は殲滅する!"の一点張りで話にならん。頭は悪いが、腕はいい連中だったゆえ、魔王様が自らの手で誅滅されたわ。無論、相手にもならなかったがな。」


いきり立つ従卒達を馬上から制した魔界騎士は、淡々と答える。騎士は魔女を並々ならぬ相手と見抜いていた。


「そう。でしたら遺体を引き渡して頂けるかしら? 馬鹿な連中にだって、家族がいるのよ。」


「よかろう。遺体を持ち帰って、王に伝えよ。"我らの庭を犯せばこうなる"と。」


魔界騎士が指を鳴らすと従卒のアラクネが数体、蜘蛛の足で駆け出した。


「ありがとう。王には騎士殿の言葉を伝えましょう。自称勇者の率いてきた兵士達の遺体もあるのかしら? 結構な数がいたはずだけど。」


「王国軍と称する連中の死体は、魔王様がまとめて焼却された。"有象無象の死体など目障りだ"と仰られてな。魔界の王たるお方が手加減せずに放った火炎魔法がゆえ、骨も残っておらんぞ。」


真正魔王にとっては精鋭兵士も"有象無象"に分類されるらしかった。


「あの数の兵士をいちいち冷凍するなんて手間ですものね。遺体が腐って腐臭を放っても不快でしょうし、仕方がない事だわ。……ところで貴方、お名前は?」


「人に名を聞く時は、自分から名乗るべきではないか?」


王女だった頃の癖がまだ抜けないのはよろしくない。反省したドルエラは騎士に名を名乗った。


「それもそうね。私はドルエラ、"泉の魔女"ドルエラよ。」


フルネームはドルエラ・ランディカムであったが、彼女はもう家名を捨てていた。古代王国の末裔と称するランディカム王国は現在も存在しているが、魔王討伐を命じたランディカム王が魔法都市ランディカムを統治していた王家と血縁関係にない事を、彼女だけが知っている。父も兄も、王家の血を引く貴族達も、魔法都市が滅亡する前に、家臣の裏切りによって全員死んでいるからだ。生き残りは出奔して僻地の隠れ家にいた自分だけ。おそらく、現王国を樹立した英雄が箔付けの為にランディカムを名乗っただけだろう。


「私は魔界騎士ザイード・メロ。魔王様の忠実なるしもべだ。」


「ザイード・メロ、いいお名前ね。ねえザイードさん、帰る前に箱庭の主にご挨拶してゆきたいのだけれど、貴方の王のところへ案内して頂けないかしら?」


「人族風情が魔王様に拝謁したいなどど……認められる訳がなかろう。不届き者どもの遺体が届き次第、早々に立ち去られよ。」


人族風情などと見下してはいるものの、ドルエラが自分より強いであろう事をザイードは悟っていた。数週間前に侵攻してきた自称勇者達といい、人族を侮ってはならない、と魔界騎士は自戒する。


「先だっての闖入者達の非礼を詫びる必要もあります。ザイードさんは私を警戒されているようですが、心配なさらずとも、私ごときでは魔王様をどうこうなど出来ません。魔王アムルタートが"最強の魔王"である事は存じ上げておりますから。」


この魔女は、強大な力を持ちながら、その力に驕る事はないようだ。万が一、それが演技だったとしても、魔王様に敵う筈もない。不逞の輩を館に連れて行った咎は生ずるが、寛容な主は気にも留めまい。実利もある、魔王様のお力と恐ろしさが、この魔女の口から人界に伝われば、愚かな王も箱庭への派兵を思い止まるかもしれんからな。考えがまとまったザイードは、使いを出す事にした。


「……魔王様にお伺いしてみよう。ルカ、館へ飛べ。」


ルカと呼ばれたハーピーが、人界よりも明るい月が輝く空へと飛び立った。魔界には太陽がなく、明るい月と暗い月が昼夜を別つ印なのだ。


ハーピーのルカが戻る前に、アラクネ達が自称勇者達の凍り付いた遺体を背中に載せて戻ってきた。勇者達の死に顔は恐怖で歪み、魔王の恐ろしさを無言で語りかけてくる。


「不様ね。危害を加えてくるでもない相手に喧嘩を売りにいった愚か者の末路としては、妥当だわ。」


地面に横たえられた遺体を見下ろす魔女の目には、憐憫の欠片もない。この冒険者達は父や兄と同じように無益な戦いを仕掛け、自滅した。憐れめという方が無理であった。


「ドルエラ殿は道理を弁えた魔女のようだな。ルカが戻るまでの間、人界の事情などを聞かせて頂けるか?」


馬上から下りた騎士の言葉に、魔女は頷いた。


「いいわ。主立った王国の話でもしようかしらね。」


遺体を前に世間話に興ずる騎士と魔女の元に、ハーピーが戻ってきた。


「ザイード様、魔王様が人界の魔女にお会いになられるそうです。丁重に館までお連れしろと。」


「あいわかった。魔女殿、どうぞ馬に。」


「自分の足で歩くわ。」


「そうはいかん。魔王様が謁見されると仰ったのなら、貴方は客人だ。丁重に館までお連れしろと、命令もされている。」


「では遠慮なく。」


「鬣が燃えているように見えるが、火傷はしない。魔界馬とはそういうものだ。」


忠告されるまでもなく、ドルエラはこの馬の事を知っていた。


「プロミネンスホースに乗るのも久しぶりね。」


「プロミネンスホース?」


彼女の生まれた時代の魔術師達が、軍馬として魔法改良した品種、それがこの馬の起源なのである。


───────────────────


馬を引く騎士に連れられて到着した"魔王の館"は、さほど大きな建物ではなかった。これなら人界の貴族のお屋敷の方が、大きさも設えも、遥かに立派だろう。


王国一の魔法騎士と謳われながら、辺境のあばら家住まいだったアムルタートの事を思い出し、ドルエラは苦笑する。騎士から魔王になっても、性癖は変わらぬものらしい。彼女の苦笑の意味を取り違えたザイードが、主の為に弁明する。


「ドルエラ殿、魔王様は質素な館がお好みなのだ。我らがもっと大きな館や城を建造しようと申し上げても"そんな労力があるのなら、開墾でも進めて皆に飯でも食わせるがよい"と仰せでな。贅沢といえば、お食事とお酒をよくお召し上がりになられるぐらいで……」


大食らいの大酒飲みも相変わらず、か。ドルエラは笑いをこらえながら答える。


「人界の王に聞かせてあげたいお言葉ですね。」


馬を下りて案内された館の小さな謁見の間では、巻角を持った魔界貴族が左右に立ち並んでいた。そして謁見の間の最奥、一段高い場所に置かれた玉座の上に、黄金の角を持つ箱庭の王"魔王アムルタート"は鎮座していた。


「おヌシが人界から来た魔女殿か。余がこの箱庭の主、魔王アムルタートである。」


魔王とは魔族の王。ゆえに家名はない。唯一絶対の存在には、己が名だけで十分だからだ。


「お初にお目にかかります。人界からまかり越しました"泉の魔女"ドルエラと申します。失礼して、顔を上げさせて頂きます。」


お初に、と言ったが、初めて会う訳ではない。長い長い時を隔てた再会である。膝を着いた姿勢で、鼓動を抑えながら、顔を上げた魔女。人界から来た女の顔を凝視した魔王の体が、岩のように硬直する。


「……魔王様、私の顔がどうかされましたか?」


その言葉で硬直が解けた魔王は、玉座を駆け下り、自らも片膝を着いて魔女の手を取った。


「ドルエラ、余の嫁になってくれ!魔王アムルタート、一生の頼みである!」


突然の求婚に唖然となったのは、求婚された当人ではなく、左右に並び立つ魔界貴族達だった。


「そんな馬鹿な!」 「魔王様!人族の女を娶られるおつもりですか!」 「嫁ならば魔界貴族の娘に相応しい者が…」


ざわめく貴族達を魔王は一喝する。


「余の嫁は余が決める!おまえ達にウダウダ言われる筋合いはないわ!」


滅多に怒る事はないが、怒れば誰よりも恐ろしいと知る貴族達は、一斉に平伏した。


「どうじゃ? なぜじゃかはわからんが、余の嫁はおヌシしかおらんと閃いたのじゃ。頼むからうんと言うてくれい。」


「はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします。」


「聞いたか、皆!今日より、ドルエラが余の嫁ぞ!善は急げ、さっそく宴の準備をせい!」


魔王は喜色満面で貴族達に命令を下す。嫁を抱き上げた魔王は大股で歩き、玉座に戻って膝の上に嫁を座らせた。魔王の命を受けた貴族達は、魔王の嫁となったドルエラに代わる代わる祝辞を述べて名を名乗り、婚礼の準備をするべく謁見の間から退出してゆく。


館を出た魔界貴族達は配下の魔族や魔物を召集し、手分けして祝宴の手筈にかかった。降って湧いた婚礼の宴、しかし主の慶事を祝う大切な儀式だ。盛大な祝宴とせねばならない。箱庭に暮らす魔界貴族も魔物達も、魔王アムルタートを敬服してやまない。アムルタートは他の魔王のように"虫の居所"で、配下を処断したりしない。力の高低、能力の有無で任せる仕事を変えはしても、魔族魔物を大切にしてくれる"心優しき魔王様"なのだ。魔王ゼンムダールや魔王バエルゼブルと魔界の覇権を賭けて争う道を選ばず、自分の領土を魔界から切り離して箱庭としたのも、眷族達を死なせたくないが為。魔界を離れ、争いのない暮らしを手に入れた眷族達は"平穏"の大切さを理解し、主に感謝していた。


その主、寛大な魔王様は適材適所を差配するだけが仕事で、自らは徹頭徹尾、何もしないのが玉に瑕ではあったが……


数千年の独身生活に別れを告げた魔王、その逞しい腕に抱かれた新妻は、分厚い胸に頭を預けて甘く囁く。


「旦那様、これから楽しい思い出をいっぱい作りましょうね?」


魔王アムルタートは、騎士アムルタート・タルタロスであった頃の記憶を失っている。でも、私への想いを忘れないと言った言葉に嘘はなかった。夫に過去の記憶はないけれど、これから私と一緒に楽しい思い出を作ればいい。父の愚かさの犠牲になった魔王に、娘の自分が埋め合わせをするのだ。こんなに楽しい贖罪があるだろうか?


「うむ。余はおヌシを大事にするからな!」


「はい。私は誰よりもその事を知っていますから。」


人間だった頃の面影を色濃く残す魔王の横顔、ドルエラはそっとその頬に唇を寄せた。


「フフッ、おヌシは不思議な魔女殿じゃのう。」


「うふふ、旦那様は不思議な魔王様ですね。」


数千年の時を隔てて再会した魔王と魔女は、この日を境に夫婦となった。


種として強すぎるがゆえに子を為せないとされる魔王。だが極端に能力が高い古代人との間にならば、子が誕生しうる事が判明する。結婚から半年後、魔王と魔女の夫妻は、半人半魔の赤子を授かったのだ。



息子の生誕をことほか喜んだ魔王は、唯一絶対とされる自らの名を与えた。魔王の基礎能力と人族の成長力を持った勇者、アムルファス・アムルタートはこうして誕生したのだ。


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