第25話 泉の魔女



「アムルタート、本当にいいのですか?」


魔法都市ランディカムの中枢部、巨大な魔法装置の前で王女ドルエラは王国一の魔法騎士アムルタートに問いかけた。


「魔王に必要な資質とは、強大な魔力と強靱な肉体と聞いた。ランディカム王国に俺を超える騎士はいない。」


中枢部では何らかの儀式が進行中だった。床に描かれた六芒星、妖しい光を放つ数多くのクリスタル。国の総力を結集した儀式魔術が、その存亡をかけて行使されるのだ。


「我が国どころか全ての魔法都市を見渡しても、あなた以上の騎士などいません。魔法騎士アムルタート・タルタロスの唯一の欠点は"怠惰な事"だけでしょうね。」


無精髭を生やした無精者は、王女に答える。


「俺が魔法都市同士の戦争に参加しなかったのは、生来の怠け者だからではない。面倒くさい事は嫌いだが、意味のない共食いはもっと嫌いだからだ。"今からでも遅くない、無益な戦争はヤメて共存の道を探せ"とお父上に具申したが、聞く耳を持たなかった。」


「……それで父上はあなたを放逐したのですか。ですが、よく帰ってきてくださいました。我が国一の魔法騎士が愛国者だった事に感謝します。」


「俺は別に愛国者ではない。王にも国にも愛想は尽きた。」


「ならばどうして、最終兵器"魔王"に志願なさったのですか?」


「俺が戻らねば王女、貴方が魔王にされると聞いたからだ。娘を兵器にしようなどと、陛下もトチ狂っているとしか思えんな。王子も妹が人身御供にされるというのにダンマリとは、男の風上にも置けぬ。」


魔法都市ランディカムにおいて、騎士アムルタートに次ぐ力を持っているのは王女ドルエラ、それが衆目の一致するところであった。


「……ではあなたは私の為に……」


別世界アウタープレーンに住まう者達の力を魔法体系に取り入れた超大規模儀式魔術によって、人を人類を遥かに超える超常的存在へと変える。それが"魔王"であり"女神"だそうだな。」


「別世界だけではなく、古エルフ、竜族、あらゆる種族の力を理論化、結集させたものです。ですが代償として…」


「魔王となった者は"全ての記憶と自我を失う"、間違いないか?」


「……はい。」


「では今の間に言っておこう。……王女、いや、ドルエラ、俺は貴方を愛している。」


「アムルタート、私は…」


王女が言葉を紡ごうとした唇に、騎士は指をあてて笑った。


「返事はいずれ聞かせて頂こう。魔王になった俺が、自分を取り戻してから、な?」


「記憶も自我も戻す方法はありません!ですから…」


「必ず取り戻す。俺が貴方を想う心を消し去る事など出来ん。幾星霜を隔てようと、俺は貴方を思い出してみせる。……ではな、こんな馬鹿げた戦争で命を粗末にするなよ?」


王女の頬を伝う涙を指先で拭った魔法騎士は、巨大な六芒星の中心にある大クリスタルの中へと消えていった。


──────────────


王女ドルエラは最終兵器"魔王"と廉価版の人型兵器"魔族"を駆使して戦争に興じる父や兄に目もくれず、とある研究を始めた。そして、魔術の天才であった彼女はとうとう不可能を可能にした。その研究とは"魔王に自我を取り戻させる"というもの。魔王アムルタートに自我を取り戻させる為に始めた研究だったが、完成したのは"魔王と女神、兵器化された人間全てに自我を取り戻させる装置"だった。当初の思惑とはいささか違う効力を持った魔法装置。だが、彼女は満足だった。


戦争をヤメようとしない父や兄、魔法都市の全ての支配者達は、自我と記憶を奪われ、兵器となった者達の声を聞けばよい。たとえ彼らの手によって都市が壊滅しようと構わない。ドルエラは迷わず装置を起動させた。


彼女にとって誤算だったのは、装置の起動で自我を取り戻した女神アイロアが、劣勢を覆すべく自らの力と引き換えにして、3体の魔王を別世界に封印してしまった事だった。そして、魔王も女神も不在となった後も魔法都市は戦争を継続し、衰退していった。ドルエラが文明の終焉を見る事はなかった。魔法文明に見切りをつけた彼女は、自我奪還装置の作製に協力してくれた古エルフの友人に"魔王アムルタートが人界に帰還したら目覚めさせて欲しい"と依頼し、氷の柩の中で眠りについていたからだ。


────────────────


数千年後の世界、静謐の森と呼ばれる秘境の最奥で彼女は目覚めた。数千年を隔て、彼女の友人フィルネスが森の最長老となった今も女神アイロアの封印は効力を発揮していて、別世界……現代の表現で言うところの魔界から、魔王達は出られないでいるようだった。"魔王アムルタートが人界に帰る事はないやもしれぬ"、そう考えた最長老は、一度彼女を起こしてみる事にしたのだ。


「ドルエラ、どうするかね? また長き眠りにつくのかな?」


彼女を氷の柩から目覚めさせた古エルフの最長老フィルネスは、目覚めた友に意志を確認する。


「いえ。おそらく魔王アムルタートは、人界に興味がないのでしょう。時空系魔法に長けた彼が、数千年の時をかければ、人界へ至る道を見つけていたはず。」


魔女の答えを聞いた古エルフは、白く長い眉の下にある眼を閉じ、瞑目した。


「時空系魔法に長けた魔王……なるほどのう。じゃから"魔界の一部を切り離して隔絶する事が出来た"という訳じゃ。」


「魔界を切り離して隔絶した? フィルネス、それは確かな話なの?」


「さて、どうじゃろうな。"魔王の箱庭"に関する噂の出所は魔族じゃろうからして、事実とは限らん。なんにせよ、ゼンムダールやバエルゼブルにそんな力がなかった事は僥倖じゃて。」


「そう、だったら箱庭の存在が事実か否かを探る事から始めるべきかしら?……フィルネス、ありがとう。世話になったわね。」


「気にせんでええ。眠りにつく前にドルエラ殿がかけてくれた魔法のお陰で、この森は人の目に触れる事もなく、静謐を保てておる。孫の孫のような変わり者でもない限り、我ら古エルフは静寂を好む。」


長い年月を経て、古エルフ族にも変わり者が誕生したらしかった。


「どんな社会にもはみ出し者がいるものよ。あの人アムルタートもそうだったわ。フィルネスの玄孫の子は今どうしているの?」


孫の孫とは、玄孫の子。エルフよりも長命な彼らなのだから、玄孫より先の呼び名ぐらい考えておけばよいものをと彼女は思ったが、口にはしなかった。エルフもそうだが、古エルフも"余計なお世話"を嫌う事を知っていたからだ。


「10年程前に人界に行きおったわ。フィオ・フィルマースという女エルフに会うたら、"たまには森に帰ってこい"と伝えておくれ。」


「わかったわ。もし会えたらそう伝える。それじゃあね、フィルネス。」


「うむ。友に幸運があらん事を。」


静謐の森を出たドルエラは、小さな湖の湖畔に居を構え、魔女として活動を開始した。


女神の封印の効力は永続的と考えたドルエラは、湖畔の館で付与魔術を研究する傍ら、魔王の情報を収集する。さほどの時を経ず、最長老から聞いた噂の真贋は確認出来た。"魔王アムルタートが魔界での騒乱に厭気が差し、自分の領土を魔界から切り離して箱庭にしている"と知ったドルエラは、箱庭に行く道を探り始めた。魔王に帰還するつもりがないのなら、自分が彼の住まう地に赴く必要がある。


その方法はドルエラよりも先に、古代遺跡を発掘していた冒険者達が見つけた。彼らは密かに箱庭に潜入し、"かの地は魔族と魔物が住まう世界に違いない"と国王に報告した。"魔族を殲滅せよ"、王命を受けた彼らは"箱庭の魔王"を討伐しようと、王国の精鋭兵を率いてまた箱庭へと旅立った。


魔王の庭を侵略した自称勇者や王国軍が魔王の逆鱗に触れ、返り討ちにされたであろう事をドルエラは推察していたが、なにくわぬ顔で王に謁見した。好戦主義者の末路になど興味はないが、彼らが見つけ出したアーティファクトには用がある。彼女はなかなか帰らぬ勇者達と王国軍を心配した王を利用し、箱庭へ至る門を手中にする事に成功する。




箱庭に至る"異界の門"を手に入れたドルエラは唯一の弟子、ヨハン少年に別れを告げて箱庭へと旅立つ。魔王となったアムルタートに再会する為に……


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