第5話 賢者の卵
トリュニアン郊外の小さな館、そこが賢者の卵の住居らしい。俺はフィオを伴って、郊外へと出向いた。無論、フィオは長くもない道中の間、ずっとブーたれている。
「なんで私が弟子の家をわざわざ訪ねていかなきゃいけない訳? 呼びつければいいじゃない!」
「こちらは頼み事をする立場だ。赴くのが礼儀だろう。」
「頼み事をするのは貴方で私じゃないわ。だいたいなんで私まで…」
「初対面の怪しいフード男から突拍子もない話をされてだ、おまえは信じるのか?」
「信じる訳ないでしょ。」
「だからフィオを連れてきた。理解出来たか?」
理解はしたが納得はしてないって顔だな。まあいい。おまえがそんななのは昔からで、もう慣れてる。
「この館がそうらしいな。見た感じ、結構金が掛かってる。弟子とやらは金回りがいいようだ。」
灌木に囲まれ、大きすぎず、小さすぎない、まこと手頃な大きさの館は、従僕用の別棟まで備えた貴族の別荘みたいな建物だった。若干古びている事を除けば、実に趣味のいい館だ。個人的な趣味を言えば、少々古びている建物の方が好きだがな。つまり、俺の採点なら満点だ。
「実際、金回りはいいんじゃない? 妾腹だけど、どっかの貴族の三男坊らしいから。」
そんな事だろうと思っていた。妾腹の三男となればよほどの事がない限り、家督は継げない。だからといって、お家騒動に巻き込まれないとは限らない。だったら"領地から離れて隠棲する"が、トラブルを避けるにはいい手だ。読み書きする頭だけではなく、処世術にも長けているなら、アイシャのサポート役には最高だな。
「まったく、小金があるならこんな辺鄙なとこに住んでないで、市街地に引っ越せばいいのに。何が悲しくてこんなとこに住んでるのかしらね?」
おまえがゆうな、古エルフ。お仲間はみんな、森の奥深~くに住んでるじゃないか。フィオ自身は都会派エルフの典型例だけどな。
館の風見鶏の隣に止まっていたカラスが俺達を一瞥すると、館の玄関が開いて青い髪の青年が姿を現した。あのカラスはやはり使い魔か。使い魔を使役出来るレベルなら、アイシャとはかなりレベルに開きがあるな。SS級冒険者のフィオからすれば、アイシャも青い髪の青年も"駆け出し"で一括りにしてしまうだろうが……
「これは師匠。お客様を連れてこられたのですか?」
「そーよ。立ち話もなんだから、お茶にしましょ。……少し、込み入った話もあるしね。」
「大したおもてなしも出来ませんが、どうぞ中へ。」
青年に案内されて館の玄関を入る。風景画の飾られた廊下を進んで、古いなりに手入れが行き届いた客間に通され、椅子に座った。席を外した青年は、自らティーセットを載せたトレイを手にして戻り、茶を淹れてくれた。どうやらこの青年は、この館に一人で住んでいるようだ。三男坊とはいえ貴族なら、従卒の一人ぐらいは連れていてもおかしくないんだがな。
湯気を上げるティーカップを前にして、青年は礼儀正しく名乗ってくれた。
「私はレイモンド・スキュトネールと申します。お客人、どうかレイとお呼びください。師匠もそう呼んでいます。」
「アムル・アロンダートだ。王都の冒険者ギルドで中級メンターをやっている。名前の方は偽名なんだが、気にしないでくれ。」
「……偽名、ですか?」
そりゃ訝しくも思うよな。名乗った名前が偽名ですってんじゃ。
「レイ、事情を話す前に、この本の付箋を入れたところを読んでみて。アンタは速読得意でしょ?」
一冊の本を手渡されたレイは、ページを開いて驚愕の声を上げた。
「こ、これは!師匠、これは「樹海文書」じゃないですか!?」
樹海文書!? エルフよりも長命な古エルフ達が、神代からの記録を記したとされる秘文書だ。……実在していたのか……
「樹海文書の写本、よ。古エルフ語は教えてあげたんだから、読めるわよね?」
秘文書の写本を作って静謐の森から持ち出しちまうあたり、やっぱりこの女は無茶苦茶だ。古臭い慣習に厭気が差して飛び出してきたとか言ってたが、実は追放されたとかじゃないだろうな?
レイは魔術師だけに、知識欲は旺盛らしい。貪るようにページをめくり、瞬く間に付箋の付いた箇所を読み終えてしまった。昂ぶる自分を落ち着かせるように深呼吸し、震える指先でティーカップを掴んで、喉を鳴らして茶を流し込んだ。
「レイ、もう落ち着いた?」
「はい。この文書が表に出れば、世界がひっくり返りますね。特に宗教関係者がなんと言うか……」
「その文書を盗み読みした時、最長老が怒ったのなんの。ドルイド魔法で作った茨の檻に、10年近く閉じ込められちゃったわよ。……でも女神も魔王も、古代人の創り出した兵器だったなんてビックリよねえ。」
女神も魔王も古代人が創った兵器だっただと!?
「俺にも読ませてくれ。噂通りのとんでもない秘文書らしいな。」
俺も速読は得意、ろくに勉強なんぞしちゃいないが、これでも魔法使いだ。古エルフ語で綴られた文書を流し読みし、内容を頭に叩き込む。
………なるほど、そういう事だったのか。今より遥かに魔法文明の栄えていた古代世紀、人は現在よりも叡智と魔力に優れた存在だったとされている。その古代人達は巨大な魔法都市をいくつも築き、栄華を極めた。そして、魔法都市同士の戦争によって……衰退した。
"魔王は魔王を殺せない"というルールは、兵器であった事に起因している。同盟を結んだ魔法都市同士が、お互いの最終兵器を無効化する為に結んだ血約だったんだ。もし裏切って最終兵器"魔王"の破壊に成功しても、復活した"魔王"に報復される。裏切り防止にこれ以上の手はない。
しかし7柱の女神を擁する7つの魔法都市と、7体の魔王を擁する7つの魔法都市の大戦争かよ。よく世界が壊れなかったな……
「そんでね、レイ。その兵器の末裔が、アンタの目の前に座ってるのよ。」
「や、やっぱり師匠は"兵器"だったのですね!」
意図的にボケたのだろうか?……違う、たぶん素だ。
「違う!!私じゃないわよ!今の話の流れでなんでそうなる訳? この!このぉ!」
細くしなやかな指でのデコピン連打。この師弟の関係がよくわかる一コマだな。
「レイ、俺の真名はアムルファス・アムルタートだ。」
「!!……じゃあ、あなたは魔王アムルタートの……」
「息子だ。樹海文書を読んだだけで頭の中はいっぱいいっぱいかもしれんが、落ち着いて俺の話を聞いてくれ。実はな……」
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「なるほど。アムルさんは、魔王の血を引くが故に、魔王を滅ぼす事が出来ない。最終兵器"魔王"を滅ぼす事が出来るのは最終兵器"女神"だけだから。そしてアムルさんは、女神の血を引く勇者を見つけた。それがアイシャさんなのですね?」
事情を聞かされたレイは思案顔になった。"根暗"などとフィオは評したが、この青年は"物静か"なようだ。
「女神アイロアの血を引く娘はもう一人いるが、彼女じゃ性格的に難しそうなんだ。レイ、魔王バエルゼブルの復活の時は近い。奴を完全に滅ぼすのに協力してくれないか?」
「……わかりました。私でよければ喜んで。でも、私などに勇者の補佐役が務まるでしょうか?」
「フィオが弟子にするだけあって、レイには賢者の素質がある。勇者の卵を補佐する賢者の卵、当面はそれでいい。俺は古代語魔法と魔界魔法は得意だから、レイが力をつけてくれば、そのあたりは教えられるだろう。」
「はい。では今日からアムル先生が私のメンターですね。」
「あら、私はもうお払い箱? そりゃ魔界魔法じゃアムルに勝てないけどさぁ……魔王の息子相手じゃしょうがないじゃん……」
「フィオナ・フィルマースが私の師匠である事は生涯変わりません。
巧く言葉を使うものだ。物静かな弟子の方が大人げない師匠より、よっぽど大人らしい。
機嫌を直したフィオは尖らせていた唇を引っ込め、ニッコリ笑って弟子の頭を撫で撫でし始めた。
物静かで思慮に富み、思いやりもある賢者の卵。
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