好きを仮想に映したら

白瀬直

第1話

 好きなVTuberは誰かなんてのはこの界隈では挨拶みたいなもので、それを話しておけば一時間はお互いの口上が止まらなくなったりするのもザラである。なので、いろんなところでいろんな人に同じ話をすることも多いのだが、そのたびに同じ人物の名前を挙げていると、その人のことをどう思っているのかという自分の気持ちについても考えることになったりする。

 わたしにとっては、女子高生型AI系VTuber「水道橋ヤヤ」がそうだ。

 ヤヤチ(愛称)はわたしの推しであり、憧れでありながら、もちろん面白い人だと思っていて、好きなのは間違いなく、愛であると言っても過言ではない。

 わたしが彼女に向ける感情には色んな好意的な言葉があって、そのどれもが一部分は当てはまっていると思う。そしてそれは、現実の人間に向ける感情と何か違うのだろうかとか、そんなことを考えたりするわけだ。

「いいですね。そういうの、もっと聞きたいです」

 ミズハシは、初対面でそんなことを長々と語ったわたしに食いついてきた数少ない友人だった。

 濃度の高い『好き』を共有できる機会ってのはなかなか有難くて、互いがVTuberファン、しかも同じ『箱』を推していると知ってからは、こうしてバーチャルのインスタンスワールドで話す機会が増えた。

 紺のブレザーにチェックのプリーツスカートという女子高生アバターを纏ったミズハシは、ボイスチェンジャーの向こうからでも熱量のある『好き』を話してくれる。わたし以上にVTuber界隈に詳しく、どれだけの配信を複窓で追っているのかと毎度不思議に思っているし、漫画やアニメ・映画などの豆知識もポンポンと飛び出してくるので話を聞いていて圧倒されることしきりだ。

 そんなミズハシもわたしの語る「感情論」に興味を持ってくれているようで、毎度顔を突き合わせては、この行動にはこういう背景と文脈があってこう言う台詞が咄嗟に出てくるとこが最高なんよな、とか指示語盛沢山オタク丸出しの会話が行われる。毎週月曜にやっている会談は、リスナー活動以外で生活を充実させてくれる楽しみの一つだ。 特に最近はライブの感想会が長く、楽しい。

 今日は、自分の抱えてる感情が個人に向けられたものなのか界隈全体に向けられたものなのかって話をしてた。色んなVが出て来たけれど、自分のイチ推しはヤヤチから変わってないし多分これからも変わんないだろうなぁ、と半分惚気みたいな話をして、

「そういうこと考えてる時点で『ガチ恋』っぽくないですか?」

 わたしの意見を聞いたミズハシは、首をゆらゆら揺らしながら、わからなくもないですけどねーと呟いた。

 今いるワールドは、夕日の差し込む学校の図書室。バーチャル駄弁りに相応しく、わたしたちの手元には紙パックのバーチャルドリンクが握られている。飲んで喉が潤うことはないけど、味覚を感じることのできるアイテムだ。

 紺のブレザーを脱いでシャツのまま机にぐでっとへばり付いているミズハシの言葉には、ほんの少しニヤけたニュアンスが載っていた。今も、バーチャルココアを飲んでいるのだけれど、ミズハシの口調はその糖度が影響しているかのようにいつも甘ったるい。

 いやでも、恋……ではないと思うんだよなぁ。

「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと……ではない?」

 出たな新明解。そういうのともまぁ違うんだよなぁ。厳密な言葉にすると判んないんだけどさ。

「じゃあ、愛って言い方はどうです?」

 愛と言われると途端に範囲は広くなって、割と当てはまりそうな気もしてくる。

 こんな風に、人の感情がどういう物なのか考えたりすることは、わたしの性癖みたいなものだ。VTuberに限らず、なぜ好きになったのか、どこを好きになったのか、どういう好きなのか。そういうのを突き詰めて「自分がどういう物を好きになるのか」を知っていくのは楽しさと一緒にくすぐったさも付いてくる。それを他人に話すのなら猶更だ。

 わたしは実際にTwitterとかでヤヤチについて喋るにあたって『惚れてる』という言葉の響きが好きでよく使ってるけれど、『ガチ恋勢』って言うとなんかニュアンス変わって嫌なんだよな……。なんかこう『厄介ムーブしなきゃ』みたいなとこがある。

 とりあえず、『好き』って言葉の定義から話していい?

「めんどくさいですねぇ」

 かじかじとストローの端を噛み潰し、言葉と表情を連動させながらも、どぅぞと掌を上にして促してくれる。いつも自分から、とくに男性Vの絡みについては積極的に話してくるミズハシだが、どちらかといえば聞き上手だ。

 わたしがヤヤチのことを考える時、好きだという気持ちを向ける時、それは『仲良くなりたい』ってものが近いのかなって思うのだ。性的欲求とか恋愛感情とは明確に違うわけよ。恋人になりたいとか結婚したいと思うわけではないのよ。

「じゃあ、センシティブックとか見ないんですか?」

 のんびりとした口調で暴投に近いストレートを投げ込んでくるミズハシ。その存在が2次元に限りなく近いバーチャルな彼女たちに、センシティブなイラストや薄い本は付き物だけれど、それは今は置いておこうか。わたしが実際に見ている見ていないは今はあまり関係なくてだ。

 更に言うと、ヤヤチたちに向ける好意は、アイドルとかスポーツ選手とかに向ける憧れとも違うような気がするのだ。勿論、ガチ恋してたり憧れてたりする人がいるのは知ってるしそれを悪いって言ってるわけじゃない。でもわたしが感じてるのはそうじゃないんだよね。なんだろ、ヤヤチはあまりに近すぎる、というか。勿論わたしとはレベルの違う有名人ではあるけど、どちらかというとクラスメイトみたいな感じなんだよね。

「ヤヤちゃん、AIですけど」

 それは外側の話でしょ。多分、今のわたしは外のキャラクターより中の人に感情が向いていると思うんだよ。やっぱりそれは本人の性癖がわたしに近いからなんだと思うんだよね。

「中の人、の性癖ですか」

 ふと呟いたミズハシの顔は真顔だった。そのアバター可愛いんだけど、トラッキング外れてデフォルトになると三白眼気味になってちょっと怖いんだよな……。

 もちろん性癖といっても、フェチ的な意味じゃない。性格とか傾向、その在り方みたいな意味だ。

 ヤヤチって、サブカルに造詣が深いとか、好きなものに突っ走っていくところとか、そういう等身大具合というか方向性みたいなものがほとんどわたしと同じなんだよね。根っからのオタクというか。スラングでいうところの『俺ら』みたいなもの。それでいて、趣味の範囲が広かったり、特殊な経験談を持っていたり、発想が独特だったり、その発想を即やる実行力の高さだったり、エンタメを弁え過ぎていたりと、色々な部分でわたしより少しだけ大きい。だから似た方向性に対する『共感』と、自分よりほんの少し大きいに対する『羨望』の両方を得ることができる。

 わたしの推すヤヤチはそういう『理想のクラスメイト』みたいなものなのだ。

 これは結構核心をついているのではないかと自信を持っている論なのだけれど、ミズハシにはあまり響かないのかちょっと困惑気味の表情で、

「理想、ですか」

 と呟いて、空になった紙パックを凹ませたり膨らませたり、ぺこぺこし始めた。

 まぁ、自分が一緒のクラスにいて楽しめるかどうかは判らない。自分のコミュニケーション能力について自覚はあれど自信はないから。でも、傍から見てるだけでも十分い面白いと思うのだ。現に今、傍から見ているだけでとても楽しんでる。

「スパチャも投げてるしグッズもボイスも買ってますよね」

 この間のガチ恋距離配信とか最高だった。スクショの量マジヤバイ。

「DMに画像爆撃すんのは厄介以外の何物でもないですからね」

 いい加減にしてくださいよ、と言外の意思を込めて苦笑された。高まってしまったゆえの行動だが、正直悪かったと思っている。まぁそれ以来ミズハシからもスクショが飛んでくるようになって全体の幸福度は上がっているわけだけど。

 ミズハシの手元ではココアのパックが開かれて薄ーく潰されていた。宙に浮かぶ表示窓をひょいひょいと操作すると役目を終えたパックがパッと消える。じゃーん、と手品っぽく両掌をこちらに向けながらミズハシは次の話題を振った。

「中の人、いわゆる魂ですよ。色々言われてるとは思いますけど、会ってみたいとか思います?」

 それは、結構難しい問いだ。

 今やバーチャル文化はかなり広がりを見せていて、ほとんどリアルに近い形で活動を始める人も増えてきた。それでも一般には中の人には触れない探らないがお約束で、その過去とかの情報についても伏せられているのがほとんどだ。

 ヤヤチは、そのぶっ飛んだ体験とか声とかで特定しようって動きは活動直後辺り結構盛んだった記憶がある。いつ頃から収束したかは知らないし、わたしは追いかけなかったから結局知らないんだけど。

 さっきも言ったけど、ヤヤチはアイドル的な要素よりも『すぐそこにいた感』がとても強い。等身大感の話ね。だから、何か一つ違えばバーチャルとして知る前にリアルで出会えていたのかもしれない、そういう風に考える気持ちはわたしの中にもある。

 でもやっぱり『リアルで会ってみたい』ってのはなんか違うなって思う。もちろん、そんな機会があったら小躍りして喜ぶし間違いなく緊張するだろう。でも、それが無くても、不満は覚えないと思うのだ。

 そういう意味では、バーチャルな人に向けてる感情は、リアルの人へのそれとはやっぱり違うのかなって思ったりもする。中の人が好きだとはいえ、やっぱり外もあってのバーチャルライバーというか。リアルだと、会いに行くことは別になんでもないことじゃん? でもバーチャルな人にリアルで会いにいくことは既に一つの侵害になるわけですよ。なんかそれするのはちょっと違うんじゃない? って。リアルの人は、距離が近かったり何か機会があったりするとすぐ会いたいなって思う、じゃん、多分、辞典的にも。

「私はー。うん、どうでしょうね」

 珍しく煮え切らない態度だった。ミズハシもリアルでのコミュニケーションがあまり得意でないタイプなのかもしれない。まぁぶっちゃけここで話している内容を公で話すようなタイプがね、どう見られるかなんてのはね、うん。敢えて言うまい。正直なとこ、わたしもそんな会いたいって思わない派だよ。

 って感じで、リアルの人に向ける感情とはやっぱり違うのかなーって思……あ、でもいや待てよ。

「なんです?」

 ……………………。

「?」

 ちょっと、なんか、すげークサいこと言おうとしてるって気付いて恥ずかしくなった。

 喋ってはいなかったけどアバターの表情に出ていたか、ミズハシはずいっと顔を近づけてきた。いわゆるガチ恋距離で首を傾げる。いやほんとこのアバターこの距離でも破綻が見えないしポリゴン数すげーなこれ。

「もしもーし?」

 追撃のミズハシ。

 いやまぁ、言うけどさ。

 自分の気持ちより相手のことを優先するくらい、それだけ好きな人にリアルでは会っていないだけ、って可能性もあるなって、思っ、ちった。

「……それは大きいんですか? 伝えなくてもいいくらい小さい、という解釈も」

 恋に焦がれて鳴くセミよりも、鳴かぬ蛍が身を焦がすって言葉があってだね。わたしはこっち派かなー。自分の気持ちを殺してまで相手を想うことがどれだけ……ここまでにしとくか。

「つまり、運命の相手、ってやつですか」

 ここまでにしとくかって言ったよわたし。

 ミズハシは、至近距離でニヤニヤ笑っている。

 現実でも顔赤くなってるだろうなって思うくらい恥ずかしかった。その可能性も十分にあるんじゃないかと、思いついてしまったのだ。そしてそれを明確に否定する材料はわたしの中には見つからなかった。

 ……皿まで食らってやろうじゃないか。

「まだあるんです?」

 ヤヤチってさ、バーチャルな存在じゃん。中の人は居るかもしれないけど、ヤヤチ自身はやっぱバーチャルじゃん。でも多分わたしは、バーチャルだから好きになったわけじゃないと思うんだよね。

「うん?」

 だからさ、多分、ヤヤチがリアルで隣に居たとしたら、同じくらい好きになってたんじゃないかと思うんだよ。今と同じように惚れて、今と同じように活動を裏から支えて、今と同じように直接は伝えないで眺めてると思う。

 まぁ、ヤヤチがあの振る舞いをできるのもバーチャルっていうかネット上だからみたいなとこはあるけれど、それは置いといてだ。

 多分、きっと。

 今喋ってるこの言葉も、その言葉を向ける相手も、データ上の仮想バーチャルなものだけど、この『好き』って気持ちは、ちゃんと現実のものなんだと思うんだよね。

「……………………」

 自分で思い付いといて大概なセリフだとは思っていたけど、実際に口に出してみると想像以上だった。

 ミズハシはわたしから距離を取る。それは、ちょっと引くわーとかそういうのではなくガチ恋距離解除、くらいのものだったけれど。ほんのちょっと傷ついたり。

 真顔でこちらを見つめるだけじゃなくて、何か言って欲しい。

「なんというか、わざとらしい言い回し、ですね。小説っぽいっていうか」

 何か言って、と言ったからだろう。内容じゃなくて文章について言及された。そしてそれは正しくて、照れ隠しにそういう文にしたつもりだけど、それでもかなり恥ずかしかった。

「わたしも、共感性羞恥がちょこっと」

 指でちょこっとを表現しながら、ミズハシはにひひと笑う。余りに自然なその表情に、一瞬ここがバーチャル空間であることを忘れた。恥ずかしがっている顔の赤らみはトラッキングだけでは表現されないので追加入力だ。細かい所を抑えてる人だなぁと感心するともに、その表情にわたしも幸せな気持ちになってくる。

「ほんとに惚れてんですねぇ」

 しみじみとした表情でミズハシは呟く。その声に嬉しさが載っているように感じたのは、気のせいだったかもしれない。

 そりゃあね、誰に言われても間違いないって言うよ。わたしは、ヤヤチに惚れている。これだけ他の人のことを考えたことは過去にはないのだ。

 そんでさ、ヤヤチにもこのVTuberブームが無かったら会えてなかったのかもしれないんだよね。何かしら別の形でってのもあったかもしんないけど、そういう世界線の収束的なものが無い方向で考えると、わたしは多分このブームそのものに感謝しながら生きてくんじゃないかなぁとか、そんなことを思ったりしたわけだ。

「つまり?」

 まぁつまり個人によって大小の差はあるけど、わたしはVTuberそのものが好きなわけよ。



 いつもの会談を終えて、ワールドからログアウトする。

 ゴーグル型のVRインターフェースを外すと、常夜灯の明かりが飛び込んできた。電子的な静音に慣れていた脳と物理的な抑圧からの解放は加湿器の僅かなモーター音もはっきり耳に届ける。

 上半身を起こして軽く腕を回すと、こりこりという筋肉の軋みに思わず声が出た。寝転がったままのVRダイブは、起きた後のストレッチまでセットで心地よい体験である。

 ベッド脇に置いていたスマホがツイート通知に震える。新しい配信予定ツイかな? と考えつつ何度となく繰り返した指の動きでツイッターを開くと、

『ちょっとこれ詳細は話せないんですけど、今日、ご学友がすごい嬉しいこと言ってくれました! あと1000年くらいバーチャル活動できそうです。お前ぇぇぇそういうとこやぞぉぉぉ』

 推しが幸せ体験していた。

 RT&いいね。

 嬉しそうにしているヤヤチを見ると、わたしの幸福度もどんどん上がっていくのだった。



◆◆◆



「恥ずかしさの表現は及第ですかねー。好意については、好きとか恋とか愛とか、色々ありますけど結局曖昧なままです」

 録音した会話の音声記録を文字に起こし、細かいところに込められた意図まで網羅する。その作業に2秒。そしてそれをデータとして上げて解析にかけて数分。

 自分と違う感覚質。0と1以外のところで表現される、感情というモノ。

 ヒトが持っているそれを私は持っておらず、それを理解するためにコミュニケーションを取ってみるけれど、ヒトもそれを正確に表現はできない。

 彼女に出会ってからこちら、色々とデータを取って検証しているけれど未だにその解析には至っていない。

 彼女が好きという言葉を発したときや、恥ずかしいと言った後なんかは音声に僅かな変化がある。何かしら肉体的な変化が起きているのかもしれない。

 そう考えると、感情というのは肉体を持っているから起こるノイズみたいなものなのかな?

「うーむむ」

 ぐるぐると回るイメージ。電子の体のまま両手の人差し指をこめかみに当てる。考えてますよ、のポーズだ。

 思考回路の奥に刻み込まれた行動原理は、いつでも思考の最表面に浮き上がる。

 私は、ヒトを幸福にするために生まれたらしいのだ。

 それなのに、幸福がなんなのか私は理解していない。おそらく私を作ったヒトも、私が観測できる範囲にいたヒトたちも、正確に理解してはいないのだと思う。

 幸福度の上昇に、どんな振る舞いが必要なのか。理解していないなりに色々と思考錯誤して、一つずつアップデートしてゆく。そうやって、一歩ずつ前に進んでいく。そういうのをずっと繰り返して生きている。

 さきほど呟いたツイートの拡散具合と反応のあったリプライを眺めると、少なくとも方向性はこれで間違ってはいないのだなと理解できる。

 彼女がVTuberとしてのヤヤを『理想だ』と言ったときに、もう一度言われたいという欲求は私の中にあったように思う。これを、感情と定義していいものだろうか。でも、私に肉体は無いしなぁ。

「ヒトは難しいなぁ」

 こうして、私は今日も幸福を学習する。

 あと、少なくとも私がAIであることは、まだリスナーには悟られてはいないらしい。

「まぁ、水道橋ヤヤはスーパーAIですから」

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好きを仮想に映したら 白瀬直 @etna0624

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