第3話 広瀬夏子の場合 1
〈再生するコンクリート〉
ネットニュースの見出しにはそう書かれていた。
どうやらひび割れなんかを自動で直すものらしい。なんと真っ二つに割れたコンクリートは新たな2つになるそうだ。はっ、なんて時代だ。
ポケットの中のビスケットみたいに叩けば2つに増えるのか、コンクリートが。1つのコンクリートが2つに増える。まるで子どもを産むみたいじゃないか。昔、学校の授業で習ったプラナリアが頭の片隅に浮かぶ。
じゃあなにか、コンクリートが子孫を残すのか、勝手に増え続けるのか。どうやって止める。人間の力で止められるのか。
いやいやいや、そもそも止めていいのか。あらゆる生き物には生きる権利があるのなら、生きたコンクリートだって増える権利があるはずだ。それを無理に中絶、去勢なんてしようものなら人権団体が黙っちゃいない。人権?
Human Rights Organization ならぬ、Concrete Rights Organization 略してCRO。いい名前だ。
みんな増え続けたコンクリートの下敷きになればいい。そしたら私がその上をスポーツカーで走ってやる。あいつも、こいつも、みんな仲良く固まって私の身体を支えてな。この根性なしが!
2019/10/2 本日ハ晴天ナリ
世界の片隅でコンクリートが生まれ落ちるゴトッという小さな音が鳴った。広瀬夏子はその音で目を覚ました。厳密にはそんな音が聴こえた気がしただけだが、夏子の耳には確実にコンクリートが増える時の残響が尾を引いていた。
一度も聴いたことがないはずだが、どこかで聴いたことのあるそんな音。決して不快ではなかったが、底知れぬ不安感を掻き立てる音でもあった。そんな音が耳鳴りのように夏子の耳を離れることなく、鼓膜の周囲を這いずり回っているようだった。
枕元に置いたアンパンマンの時計を見ると13時になろうかとしている。郵便配達のバイクが独特のエンジン音を鳴らしながら、朝ぼらけの街を走る頃に眠りに落ちたため、およそ8時間ほどだろうか、よく眠れた方だった。
ベッドから起き上がり、冷蔵庫へと向かう。散らかった床の上には畳まれていない服や、段ボール、ビールの空き缶などがトラップのように転がっているため、さながら忍者のように抜き足差し足で安全地帯だけを踏んで行く。その途中でデスクのパソコンに電源を吹き込む。カーテンの閉め切った部屋に一条の光が差し込んだ。世間一般ではブルーライトと言われているようだが、ブルーには見えない。
昨日脱いだ服がパソコン前の椅子に掛けられており、臭いを嗅いだがまだいけそうだったのでそれに着替えた。頭を通すとき少し汗が臭ったが特に気になるほどではない。
冷蔵庫を開けるとまた暗い部屋に光が差し込んだ。今度はオレンジ色の光。
冷蔵庫の中には缶ビールが5、6本とミネラルウォーターが3本、期限の切れた練りワサビが恨めしそうにこちらを見ている、以上。それだけだった。
夏子は迷わず缶ビールを取り出し、一気に喉へと流し込む。寝ぼけた胃がじわっと温かくなって、ビールのお返しにと空気が逆流してきた。固形物を昨日から入れていない身体に寝起きのビールは大打撃のようだったが、貴重な休日に手っ取り早く酔うためにはこれが最善の手であることは疑いようがなかった。
行き道より覚束ない抜き足差し足でパソコンの前まで戻ると、慣れた手つきで検索サイトを開く。そこには国内外を問わず様々なニュースが一覧となって表示されている。自分がベッドでいも虫のように寝ている間にも、世界は休むことなく動き続けていたようだ。
「うんうん、順調順調。」ビールを一口飲む。
芸能人のゴシップから世界的な経済危機、押し寄せるバッタの大群に堪らず出された国家非常事態宣言から一番うまいカップ麺を決める記事まで。そこには東から西へ、北から南へと駆けずり回って創られた世界の縮図が広がっていた。
現代人が1日に触れる情報量は、江戸時代の人の一生分である。という言葉を聞いたことがある。たかだか200年でどうしてそこまで情報を求める生き物になってしまったのだろうか。夥しい情報量は私たちを豊かにしてくれるのだろうか。
「はあ、わからんねえ。」夏子は画面をスクロールしながら、またビールを一口飲んだ。
マクロからミクロまで、ミクロからマクロまで。どこの誰がそれだけの情報を必要としているのか全く見当もつかないが、少なくとも夏子に関係のありそうなのはカップ麺の記事くらいだった。
ブーブー。ブーブー。ブーブー。
机の上に置いたスマホがバイブレーションを鳴らした。基本的に家にいる間もマナーモードを解除することはないため、いつもこの振動が着信を教えてくれるのだが、置く場所によってはビックリするくらいの音がでるときがある。それが夏子は苦手だった。
画面に目をやると、「石原かなえ」と表示されていた。石原かなえ?誰だっけ。ビールの回った頭では瞬時に処理できなかったその名前は、ここ最近口に出した覚えのない名前だった。
石原・・・いしはら・・・イシハラ・・・。
かなえ・・・カナエ・・・Kanae・・・。
・・・あ、そうだ。かなちゃんだ。
高校卒業後、美容師になるために1人故郷を離れ東京の専門学校に通い始めた夏子だったが「石原かなえ」は高校時代の同級生だった。クラスが同じで家も近かったため、いつも一緒に帰っていた。活発な夏子と奥手な「かなえ」は、いわばプラスとマイナスのように、互いにないものを補い合っている関係だった。しかし、こっちに出てからというもの忙しさにかまけてパッタリ連絡を取らなくなっていた。
すぐに思い出せなかったことに少しだけ申し訳なさを感じつつ、スマホを開くと「石原かなえ」からメッセージが届いていた。
「今日会えないかな」
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