第4話 広瀬夏子の場合 2
「今日会えないかな」
久しぶり、の挨拶もなければ、連絡をとらなかかったことに対する回りくどい言い訳もない。至極簡単に用件だけが書かれていた。送られてきたこっちがそれでいいのかと思ってしまう内容に面食らいながら、落ち着いて返信をする。
「久しぶり、どしたの急じゃん」ビールをすすりながら返信をしてみる。すぐに既読がついた。
「今私東京に来てて、久しぶりに夏子の顔が見たくなってさ。今日どうせ休みでしょ」
今日は月曜日。たしかに美容師は基本月曜休みが多い。昔は電気の量が限られてて、パーマの機械とかでたくさん電気を使う美容室なんかは月曜休みになったってテレビで観たことがあるが本当だろうか。
「いいけど私もう飲んでるよ?」
「夏子のことだからそんなことだろうと思ったよ」
「失礼な(笑)」
「私も飲みたかったからちょうど良かったよ(笑)」
携帯を介したメッセージのやり取りとは不思議なもので、離れていた時間をあまり感じさせない。まるで高校生活の延長が、当たり前のように昨日まで続いていたんじゃないかと思うくらい、自然なやり取りができてしまう。これが顔を見ると途端に距離を感じてうまくいかなくなる人がいるのはなぜだろう。
「ではでは、昼から飲みますか。でも私起きたばっかりで何の準備もできてないから、ちょっと時間ちょうだい」
「起きたばっかりでもう飲んでるってどうなの(笑)」
「うるさい、ほっとけ!」
「じゃあ16時に○○駅集合でいい?」
「おっけー、まかして」
スマホの画面を閉じると、缶の底に残ったビールを飲み干した。酒の一滴は血の一滴、よくおじいちゃんが言っていた言葉だ。
枕元のアンパンマン時計を見ると時刻は14時になろうかとしていた。待ち合わせの駅までは歩いて15分くらいといったところだ。まずはこの汗臭い服を着替えないことには始まらない。さっきの自分はよくこんな臭い服に頭を通したものだと思った。
軽くシャワーを浴びると、白いシャツとデニムに着替える。もう10月になったというのに今日はとても暑かった。クーラーの効いた部屋にいるとわからないが外は30℃近くあるらしい。ネットで確認した天気予報によるとフェーン現象の影響で暑さが続いているらしい。フェーン現象ね、聞いたことはあるよ。
化粧を済ませたところでスマホで時間を確認すると、15時30分になろうかとしていた。ついでにかなえから届いていたメッセージを確認すると、
「待ち切れないから先に飲んでるよー」という言葉と一緒に、よく冷えているであろうジョッキが映った写真が添付されていた。まさしくこのビールという液体が誘い水となって、外にでる決心がついた。念入りに肌という肌に日焼け止めクリームを塗りたくると、休日の日専用となっているくたびれたグレーのスニーカーを履き、意を決して玄関を開いた。
むっとした熱気が隙間から押し寄せてきて、たまらずドアを閉める。驚いた。ニュースで確認したから文字では30℃と分かっていたが、実際の30℃はどう考えても30℃以上ありそうだった。この炎天下を15分も歩けるのだろうか、かなえには急に都合が悪くなったと連絡しようか。頭の中を言い訳が駆け回る。しかし、同時に酒飲みの血がにわかに騒ぎ出す。つまり、追い込んだ後の酒は美味いのだ。
少しの時間、玄関で1人格闘していたが、結果は分かっていた。夏子は真っ黒の日傘をさすと外へと飛び出した。勢いがないと自分に負けそうだったからである。
何度諦めそうになったか分からないが、どうにか決死の思いで待ち合わせの駅まで来ることができた。滝のように流れる汗をハンカチで拭いながら駅の待合室に飛び込んだ。余談だがこのとき駅までは10分で到着した、自己最速記録である。時計を確認すると15時45分になろうかとしていた。周りを確認するが、かなえはまださっきの飲み屋にいるのだろう、駅には姿がなかった。
からからの喉で汗が引けるのをじっと待つ。朝イチで飲んだビールはとっくに汗となって蒸発し、夏子は目の前にある自販機でまさしく喉から手が出るほど水を買いたい衝動を、必死で押さえ込んでいた。
「そんな怖い顔してどうしたの」
ふと横を見るとかなえが立っていた。淡いグリーンのワンピースに麦わら帽子をかぶったかなえは、髪の長さこそ昔より短くなっていたが、夏子の記憶の中にある姿となんら変わっていなかった。
「水飲みたいんだけど、今飲んだら最初のビールが霞んじゃうから必死に我慢してた」
「なにそれ」かなえはくっくっと笑う。ああそうだった、彼女はこんな風に笑うのだった。
「元気そうじゃん。急な連絡でびっくりしたよ」
「ごめんね、急に東京来たのはいいけど連絡取れる友達って夏子くらいしかいなかったから」
「いいよいいよ、どうせ暇だったし。お察しの通り酒飲むくらいしかすることなかったからね」
「思った通りだった」2人で笑い合う。瞬間時間をびゅんと飛び越えて、いつも一緒にいた教室に戻ったような懐かしい感じがした。
「早くお店行こう、じゃないと死んじゃう」
「だね、夏子が干からびてミイラになっちゃう」
「ちょっと!」
2人でわいわい歩く道は、意外と暑さが気にならなくて、昔は毎日こんな感じだったんだなと郷愁に駆られるようだった。1人に慣れた夏子にとって新鮮なような、懐かしいような不思議な感覚に包まれていた。
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