第9話 いいよ……

「紫、悪い人相手でもやりすぎないように頼むぞ」


 ぺたぺたと紫スライムへ手の平をあてたら、ぷるるんと紫スライムが応じた。

 「任せて」と言っているのかな。

 

 話をしていたらちょうど馴染みの店先に到着する。

 この店は露天なんだけど、在庫を豊富に抱えているんだ。

 

「アロンソさーん。こんにちは」

「おう、エメリコ。もう無くなったのか。あんまり食べ過ぎると胃に悪いぞ」


 商売っ気の無いことをのたまう樽のようなお腹をした中年の男は、この店の店主でアロンソという。

 彼はすぐに大きな樽と一抱えほどある麻袋をドンと地面に置く。

 

「ね、ねえ。エメリコ、まさかこれ」

「うん。トンガラシの粉と甲虫の角ルベルビートルだ」

「やっぱり……」


 呆れたように天を仰ぐ萃香だったが、気にしちゃいけねえ。


「そういや、エメリコ。出たらしいぞ」

「え! 本当に!」


 いたのか! 

 さすが、トンガラシを日々入荷している店主だけのことはある。

 こんなにすぐ情報を入手できるとは思ってもみなかった。


「おう。ただ、まだいるかどうかは分からん」

「場所は分かりますか?」

「おう。ウエスカ大森林とか何とか」

「そこなら遠くない」

「おいおい、入り口付近じゃなくて、奥の方らしいぞ。気持ちは分かるが、Aクラス以上の冒険者パーティに頼むんだな」


 呆れたように片手を振る店主のアロンソだったが、俺の気持ちはもうウエスカ大森林に向かっている。

 店主にお金を手渡し、萃香に麻袋を持ってもらって俺は大樽を抱え上げた。

 

「探し物があったの?」

「うん。甲虫……えっと、ルベルビートルだったか。そいつの大型種だよ」

「うわあ……」

「何だよその顔! なんと、ルベルビートルの十倍ほどの大きさらしいんだよ。数メートルの甲虫となれば角もさぞ大きいんだろうな」

「虫取りに行きたいの?」

「おう。大型の角は市場に出回らないんだ。森の奥地にいるとかで」

「へえ……」


 目が死んでいるぞ。萃香。

 巨大だったら、辛さも数倍とかになっているかもしれないだろ。

 食べてみたい。いや、食べるべき。食べないと。

 

 妄想に花を咲かせていたら、萃香がぶすーと頬を膨らませ抱えた麻袋を持つ腕に力が入る。

 ぎゅーっと押された麻袋の口から粉が舞い、彼女の目が真っ赤になってしまった。

 

「けほ……」

「ビニール袋とかに入っているわけじゃないから、気を付けて」

「うん、エメリコくん、冒険者……に虫取りを依頼するの?」

「いや。しないさ。Aランクに頼むとか高額過ぎて、この前買い取ってもらったパープルミスリルでの稼ぎがパーになってしまうよ」

「まさか、一人で虫取りに行こうとか思ってる?」

「あ、それでさっきからぶすーっとしてたのか」

「う、うう。だって」

「心配しなくても、行かないよ。萃香が街での生活に慣れるまではね」

「その、虫取りって危険なんじゃ? キミが怪我するのは嫌だよ」

「念のため、スライムを二匹連れて行けば危険はないさ。ま、この話はまた今度だ」


 ニカっと微笑み、片目を閉じる。

 でも、ウインクに慣れていなくて顔が引きつってしまった。

 巨大ルベルビートルは魅力的に過ぎ妄想も膨らむけど、少なくとも三日くらいは萃香の様子を見ないと、ね。

 いくら辛い物に目が無い俺だとて、それくらいの分別はあるんだぜ。

 

 一方で萃香は何かを考えるように口元へぎゅーっと麻袋を寄せる……が、むせた。


「あはは」

「もう!」

「お、もう店の看板が見えてきたぞ」

「ここの文字ってどんな風になっているの?」

「アルファベット……いやローマ字に近いかな。ひらがなだけの文字というか」

「そうなんだ。それだったら、覚えることができるかも?」

「かもなあ。だけどさ、あれだよあれ。元の言葉の意味が分からないだろ。謎の魔力の力で会話できているわけだし」

「確かに……」


 ドシンと大きな樽をその場に置き、扉の取っ手に手をかける。

 後ろでドサリと麻袋が落ちる音が響き、後ろから背中をぽんぽんと叩かれた。

 

「どうした?」

「読めるよ。『ルシオ錬金術店』だよね」


 驚いて振り向くと、萃香の看板をさす指先が震えている。


「え、ええ?」

「元の文字の上に日本語が浮かんで見えるの」

「ほ、ほお。それなら読みはできるってことか」

「うん! よかった」

 

 胸の前で両手をぱちりと合わせ、花の咲くような笑みを見せる萃香。

 彼女の嬉しい気持ちが伝わったのか、紫スライムもぴょーんぴょーんと彼女の肩の上で跳ねる。

 

 ◇◇◇

 

「いいよ。エメリコくん」


 ダイニングキッチンに入るなり、彼女はそういって朗らかにほほ笑む。

 面と向かって言うのが照れくさいのか、いたずらをした後の子供のようにほっぺへ人差し指を当てながら。

 

「えっと」


 いいと言われても何がいいのか頭に入ってこないぞ。

 えへへーと彼女は俺の肩をぽんと叩き、ぎゅっと親指をあげた。

 

「虫取り、行ってきたまえよ!」

「何その、間違ったイメージの上司みたいな口調」

「え、変だった?」

「ううん、面白かった」

「わたしのことは心配しなくても大丈夫だよ。お金は……まだ自分で稼げないけど……」

「そこは問題ないさ。その件でもお願いがあってさ」

「うん」


 立ったままはなんだしと思い、作業机のところにある椅子に腰かけると萃香も続く。

 改まって喋る時に、膝に両手を置く動作まで同じかよ。

 すうっと息をすい、口を開く。


「お店を手伝ってくれ」

 

 俺と萃香の声が重なる。

 

「あはは」

「いいの? わたしがお手伝いしても」

「うん。店を開けることが多くてさ。誰かに店員を頼みたいと思っていたところだったんだ。労働条件は三食家付で」

「破格ー。でも、ありがとう。それにわたし、この街なら生きていけそうと思っているの」

「へえ」

「だって、エメリコくんみたいな人がお店を開いて、暮らしているんだもの。きっといい街に違いないんだから」

「そら、どういうことだよー」

 

 冗談交じりに彼女へ問いかけたら、笑いながらも彼女は応じてくれた。

 

「エメリコくん、人が良過ぎだもの。そんな人が育まれる街って素敵なところでしょ」

「俺は普通だって」

「またまたあ」

「有馬さん、お言葉に甘えて虫取りに行ってこようと思う。お店の開店はその後で」

「うん。これだけしてもらって、言い辛いんだけど……お店のお手伝いをするにあたって、一つお願いがあるの?」

「何だろう?」


 彼女は座ったまま顔をそらし、もじもじと恥ずかしそうに言葉を返す。


「萃香って呼んで欲しいな……。わたしはエメリコくんって呼んでいるのに」

「だ、だな。ここでは名前呼びが普通だし。じゃあ、今後は萃香さん、でな」

「呼び捨ての方が好き。有馬さんはともかく、萃香さんってなんか変な感じがしない?」

「そうかな。じゃあ、萃香で」

「うん、ありがとう。エメリコくん」


 握手を交わし、笑顔で微笑み合う。

 

「そうだ。話は変わるけど、お留守番してくれるならいろいろ教えておかないといけないことがある」

「洗濯とお料理は大丈夫よ。お風呂はなくて、布で体を拭くんだよね」

「銭湯があるにはあるんだけど、しばし我慢して欲しい。あとは、お金だ」

「だいたいできたよ。お買い物の時、わざわざわたしに硬貨を見せてくれていたんだもの」

「は、はは。通貨単位は『ゴルダ』。銀貨一枚が100ゴルダ。金貨が1万ゴルダ。銅貨は1ゴルダな」

「うん! 値札も読めるから大丈夫」

「おっし。お金はこの棚に入っているから、自由に使ってくれてよいよ」

「それ、全財産じゃないよね?」

「え、そうだけど?」

「こらああ。エメリコくん!」


 この後、萃香に三十分ほど、いきなり全額を自分に見せるとは何事だとか、鍵もかけずに棚の中にお金を無造作に置いているとか……いろいろ指摘を受けた。

 自分でも杜撰ずさんな管理だったことは分かっているからな。確かに、これじゃあいつ盗まれてもおかしくない。

 だがな、萃香。

 俺の店はお客さんが殆ど来ないのだ。だから、盗まれる心配はほぼない。

 

 ……なんてことはさすがに言えなかった。

 スライムによって素材を直接降ろしたりで、収入は上向いてきたんだけど、お店が閑古鳥なことは変わっていない。

 しかし、良質なアイテムを置くことでこれから必ずお客さんが来るようになる……はず。

 他にはない素材とアイテムを置き始めているからな。ふふ。

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