第8話 お買い物

『目をつぶって、大きく深呼吸をしてー脱力ー』

『すーはー』

『続いて、丹田に力をためるように』

『丹田?』

『お腹の辺りをきゅううっと』

『お腹痛くなりそう……』

『……』


 心配になってきた……。

 でも俺の心の内をよそに彼女の集中力が高まっているようだった。


『どうかな?』

『お、おおお?』


 開いた彼女の瞳の色が、明るい緑色に変わってる。

 何だろうこれ。魔力の強い人の中には、髪の毛や瞳の色が変わる人がいるとか何とか聞いたことがあるような。

 魔力に敏感なスライムたちは特に何かを感じ取った様子はなかった。青は俺の肩でぷるぷるしているし、紫は作業机の上でむにゅーんとへっこんだり元に戻ったりしている。


『な、何かあったの?』

『ううん。鏡持っている?』

『うん』


 萃香が鞄を取りに店舗側に足を運ぶ。

 そこで、彼女の悲鳴が聞こえた。


「有馬さん」

「え、ええ。これ」

「たぶん、魔力が体を巡って目の色が変わったんだと思う」

「やった! だったら、水も出せるかな」


 蛇口に手をそえ、チラリとこちらに目をやった萃香に頷きを返す。

 ゆっくりと蛇口を捻ると――。


 どばあああああっと物凄い勢いで水が出てきた。


「きゃああ」

「だあああ、離して、蛇口から手を!」


 驚いた。

 原因は魔力の流しすぎである。

 初めて魔力を扱うから加減が利かないのか。この世界で生まれた人は物心つく前から魔力を扱うから、自然と魔力の調整は身につく。

 たまごを掴むときに思いっきり握りしめないように、魔力の力加減も自然とできるようになるんだ。


「こればっかりは調整だなあ。そうだ」


 店舗から魔道具を一つとってきた。


「それは?」

「こいつは魔力測定器みたいなもんだ」


 木枠の薄い板に細い筒が差し込まれた実験道具にも見えるそれは、中が透明な液体で満たされている。

 萃香が筒に指先を添えると、途端に真っ赤に変わった。


「力を抜く……といっても難しいかもしれないけど、こうふううっと息を抜くような」

「こ、こうかな」


 筒の色が赤から紫、そしてまた赤へと巡るましく変わっていく。


「赤が強く、魔力が弱まると青に近くなっていくんだよ。魔力が無くなると透明になる」

「これで魔力の力加減を練習できるのね」

「そそ。しばらくやっていると慣れると思う」

「うん」


 んーっと大きく伸びをした萃香は目をつぶって、深呼吸を繰り返した。

 続いて、彼女は筒に触れたが、筒の色は透明のまま変化がない。


「完全に魔力が抜けたな」

『え? 何?』


 萃香がパチリと目を開け、こてんと首をかしげる。

 彼女の目の色は元のこげ茶色に戻っていた。


『あ……そういや、つい驚いて日本語で喋ってなかったみたいだ。だけど、さっきまで、通じていたよな』

『ほんと? ひょっとしたら。ちょっと待って……まだ難しい』


 筒の色が緑色に変わる。お、なかなかいい感じじゃないか。

 一方で彼女の目の色も綺麗なエメラルドグリーンに変化していた。


「魔力が体に巡っていたら、言葉が通じるようになる……のかな?」

「そうかも……? 今、エメリコくん、日本語で喋ってないよね?」

「うん。アストリアス語だよ」

「街でもお話しできそう!」

「だな! すげえな」


 これが、異世界チート特典ってやつか。

 俺つえええとかできる能力じゃあないけど、ここで生きて行くためにはこれほどありがたい能力はない。


「しばらく練習していいかな?」

「うん。もちろん。トイレは切実な問題だからな」

「う、うん。がんばる!」


 気合を入れるためにぐぐっと力を込めてしまったからか、筒の色が真っ赤になっていた。

 眠たくなってくる頃、彼女はまだまだ覚束ないものの、集中していたらなんとか魔力の力加減ができるようになったのである。

 すげえ、必要に迫られると人間何とかなるもんだな。うん。


 ◇◇◇


 翌朝――。


「うーん」


 背中と腰が少し痛い。ごろごろしたが、床が硬い……。あ、そうか。昨日はベッドじゃなくて床に寝たからか。

 頭の下には赤スライムが枕代わりになってくれているから、快適そのものだ。

 俺が起きたとみるや、赤スライムがぷにゅーんと俺の頭の下から抜け出し、ぴょんぴょんと跳ねる。

 天井に張り付いていた紫スライムがにょーんと体が垂れて俺の腹の上でぴょこぴょこ。青スライムは足元で「はやくおきれー」と猛烈にアタックしてくる。

 こ、こいつらあ。モミジは丸くなって萃香と共にすやすやとベッドの上で寝ているというのに。


「仕方ねえ。分かったよ。餌だよな」


 ふああと大きなあくびをして、体を起こす。すかさず両肩と頭に乗ってくるスライムたち。

 階下でスライムたちに餌をやっていると、眠気まなこをこすりながら萃香も二階から降りてきた。


「おはよー」

『おはよー』

「魔力、魔力」

「う、おはよおー」


 よし、いいぞお。

 そうそう、そうやって自然に魔力を巡らせることができるようになっていかないとね。

 練習あるのみだ。


「軽く朝食を済ませてから、出かけよう」

「ふああい」


 髪が乱れっぱなしになっているぞ……。

 櫛も買った方がいいよなあ。いや、持ってるか。

 身の回りの物は何が足りないか分からないから、彼女に聞きつつだな。ついでに俺も何か必要なものがあったら買っておこう。

 お出かけグッズとか痛んできていた気がする。


 丸パンにハム、チーズとレタスを挟みんだものとぶどうジュースだけというシンプルな朝食を終え、すぐに家を出ることとなった。


 ◇◇◇


「ど、どうかな?」

「うん、可愛いんじゃないかな!」

「そ、そう」


 ぱっと頬を朱に染めつつも、その場でくるりと回転する萃香。

 結構ノリノリじゃないか。

 彼女の動きに合わせて、ひだひだのスカートがふわりと舞う。膝上10センチくらいかな。

 このスカートの名前はサーキュラースカートというらしい。フレアスカートとおんなじデザインに見えるのだが、何か違いがあるのだろうか。

 まあそれはいい。彼女のスレンダー体型とショートカットにこの赤いスカートはよく似あっていると思う。

 上は紺色の半袖ブラウスに黄色のリボン。スカートが腰上まで覆っているから、なんだかカフェの店員ぽく見えなくもない。


「タイツとハイソックス、どっちがいいかな?」

「どっちも買っておいたらどうだろ。あと着替えの服もあった方が良くないか? 高校の制服は目立つだろ」

「いいの!? ありがとう!」


 そんなわけで、もう一着服を揃えてブーツとパンプスも追加した。

 先に買った日用品と合わせたら結構な荷物になったなあ。

 一度家に戻り、荷物を置いてから再度街に繰り出す。


 今度は食材の買い出しだ。


「この辺りが食品を置いている店が並んでいるんだ」

「ふむふむ」

「一人で来れそう?」

「うん! 真っ直ぐだし、大丈夫だよ!」


 紫スライムを肩に乗せた萃香が笑顔を見せる。任せとけーってガッツポーズつきで。

 彼女に食材の買い出しを任せようと思っているんだ。街と人々に慣れて欲しいと思ってさ。


「何か危ない目にあいそうになったら、紫に頼ってな」

「紫の子ちゃんに?」

「うん。こんな小さくてぷるぷるだけど、こいつ、結構強いんだ」

「そうなんだ」


 萃香が紫スライムをつんつんとつっつく。

 彼女の指の動きに合わせて紫スライムがぷるぷる震える。

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