第四十章
「この豊かなるこの国の支配者になれるということだ。ははっ。この喜びは、お前には分からないだろう」
大伴智香は強く首を振った。分からない。分らない。何を馬鹿なことを言っているの。洋蔵の言う支配者の意味を、智香は、理解する気もなかった。
「私・・・あたい・・・この国の支配者・・・何なの?分からい、そんなもの、あたいはなりたくない。あれは・・・あの球は、お母様があたいに与えてくれたもの。あんたなんかが持つ資格なんてない」
智香は言い切った。
「違うぞ。違うぞ。双竜王の珠は、四百余年前長い戦いの末、俺の家系の先祖が勝ち取ったものだ。その闘いの相手が、お前の先祖だ。そうだ。納得したか・・・しないでもいい、俺の先祖は勝ったのだ。どうやら、とてつもなく長い闘いだったらしい。勝ったその時以来俺の家系の至宝として伝わっていた。それが、四百余年前に何かが狂ってしまったのだ」
「何かが?何が・・・?」
智香は、洋蔵の話す内容に驚くばかりだった。
「ふっ。おい、全てを知りたければ、志摩に行け。そこに、お前の知りたい何かがある。何が・・・の答えも志摩にある。残された他の財宝も、志摩の何処かにある」
「志摩・・・お母様とお父様が生まれ育った所・・・そして、あの声の主がいった財宝もある」
まだ財宝のことは、卓君にも美和にも言っていない。同じに行って、ちょっとした冒険を楽しみたいな、と智香はそんな夢を見た。智香は、まだ見ぬ志摩に深い憧れがあり、志摩で遊ぶ幼い真奈香を思い浮かべると心が安らかになった。しかし、今、洋蔵が志摩に行けばすべてが分かると言った。彼女は不安に襲われ、怖くなった。行きたい、でも、行って、知りたくない秘密を知ることになるのが怖かった。
「聞け!俺もお前も、そういう宿命の下に生まれているのだ。だめだ。だめだ。逃げられない。逃がすものか。その宿命の下に生まれてしまった以上、どうしようもないのだ。俺か、お前か、どちらかが双竜王の珠を持たなければならない。そういう宿命なのだ。分かるか!俺かお前かが持って、初めて双竜王の珠の力を目覚めさすことが出来る。それには一つの条件が必要だ。俺か、お前かが二つ持ち、もう一つ・・・いや二つなのか、剣と鏡?何かが加わった時、双竜王の珠に何かが起こると言われている。それが、何か・・・俺にも今は分からん」
智香は洋蔵の言うことを聞きながら、顔をゆがめた。手首の黒い痣が激しく痛み、彼女を今また苦しめていた。あなたか、あたいか、どちらかがこの国の支配者・・・彼女は首を強く振った。
大伴智香は、今洋蔵という人間とは思えない化けものと向い合っている自分が不思議でならなかった。同じ宿命の下に生まれた同類の生きものなの?あたいが・・・彼女は今自分を苦しめている手首を見つめ・・・馬鹿な、と怒鳴った。黒い痣は、彼女の手首を引きちぎろうとしている。あぁ・・・あたいはこの痛みにいつまで耐えればいいの?
怖い・・・。怖いという気持ちが、智香の体を覆う。ここから逃げ出してもいいはずなのに、踏み留まっている。何かが、彼女に勇気を与えようとしている。
あなたは闘わなければならい宿命の下に生まれて来たのですよ、と彼女に誰かが語り掛けて来た。あの時の声の主・・・なの!
智香は、誰?とは問わない。彼女には聞こえて来る声の主が、誰だか分かっているのかも知れない。
宿命・・・それは運命よりも重いものなの?
彼女は語り掛けた。続けて、
お母様があたいに伝えようとしていたのは、この宿命なの?
と語り掛けた。
言葉として、答えが与えられたわけではない。彼女が自分で導き出し、心の中で意識し植えつけたようだ。
でも・・・彼女はやっぱり首を強く振ってしまう。
そんな中、智香には確かな実感が体の中に起こりつつあった、彼女はそれに気付いた、それで十分だった。他は不確かでいい。彼女の目は鋭く輝き、洋蔵を睨み付けた。だけど、その輝きは消えない。そして、彼女は大きく深呼吸をして、ゆっくりと言った。
「今のあたいは何も知らない。でも、あたいは負けない・・・」
智香の言葉は一つ一つはっきりしていて、自信に満ち溢れていた。彼女自身気付いていないと思うが、昨日までの弱々しく細い声ではなく、人として確かな人格を持った逞しい声に変わっていた。
「何をぶつぶつ言っている、知らないのなら、知れ。その努力をしろ」
洋蔵は言う。
「この国の支配者・・・くだらないことを言わないで。馬鹿な夢を見ないことね。そんなことが何になるの!たとえそうであっても、あたいにも全く興味もないし、そんな夢も見ない。あたいは・・・あたいは、あたいの愛する人たちを愛し守りたいだけ」
「そうか、そうなのか、それなら、俺はお前の愛する人たちを傷つけ殺してやる」
「だめ、それはだめ。あたいは絶対に許さない」
智香の形相が徐々変わって行く。幼く優しい顔が目、眉、鼻、口がくっきり浮かび上がる。智香は守る術は教えられ、知っている。しかし、攻撃する術は知らない。風が吹き始めた。何かが動き始めているのを、智香は感じている。洋蔵が何かを呼び起こそうとしている。
「どうする?」
「お前と闘う」
「そうか、分かった。ここで、決着をつけるか」
「あたいは死なない。なぜなら、なぜならすべてを知る必要があるから。あたいにはすべての秘密を知る権利があるから。愛し尊敬するお母様のこと。お母様とお父様との関係を。そして、あなたがしつっこくいう四百余年も前に出来事を」
「くっ、くっ」
里中洋蔵の笑い声は次第に大きくなり、荒れ狂う風に乗って響き渡った。そして、洋蔵の笑い声が止まった時、風が止み、雨が止んだ。その次の洋蔵の動きは俊敏だった。
この幼い宿命の相手を確実に殺せる距離に接近するまで、洋蔵は慎重だった。
だが、次・・・刹那の動きだった。
洋蔵は智香の背後に回り、筋肉で盛り上がった腕を彼女の首に巻き付けた。
「・・・」
智香は苦しくて、うめき声さえ上げられない。
「あたいは、死ぬ!」
智香は直感した。
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