第三十九章

飯島一矢は首の後ろに手を当てた。普段はシャツに隠れて見えないが、傷がある。背中に隠している剣も気にはなってはいたが、とりあえず傷の方が一矢の心を痛めていた。いつごろからか気になっていた。だが、改めて父や母に聞くべきことではない、と彼は思っていた。首の後ろだから、どういう傷なのか自分では見ることが出来ない。また、鏡を使ってまで見る気もなかった。

それよりも、一矢には気になっていたことがある。彼はポケットから、あの球を取り出した。偶然、彼の方に飛んで来た珠だった。あの時、二つ光った。その内の一つが、一矢の所に飛んで来たのである。もう一つは闇の中に吸い込まれて行った。あの化けものの話だと曰くつきの珠のようだが、あの子にはもっと大切なもののようだ。何か分からないが、あの子に返した方がいい、と彼は思っている。しかし、この球を返すのに、わざわざあの子に会いに行くのも気が引けた。それに、何だか気恥ずかしかった。

(これから、どうしたものか・・・)

一矢は考え込んだ。すぐに答えが浮かばない。彼はベッドに寝転んだ。ハエが一匹、部屋に迷い込んできた。彼は飛ぶハエを目で追った。彼の目はハエの動きをとらえた。見られているという気配を感じたのか、また飛んだ。しばらく彼の目はハエを追い続けた。

そして、突然ハエは飛ぶのを止め、落ちた。


大伴智香には洋蔵が何を考えているのか、その表情や目の色からは思考の一斉が読み取れない。しかし、明らかに洋蔵は興奮していた。洋蔵の体から発散しているのだろう、鼻を突き抜けるような鋭い臭気に、彼女は顔をそむけた。

「知らないなら、教えてやろう。お前は知っていていい」

里中洋蔵は嬉しそうに智香の周りを歩き始めた。

「俺はお前に会えたことを喜んでいる。お前は気付いていなかったかも知れないが、俺は少し前からお前の後を付け回していた。長い間、お前たちを探し回った。この四百余年絶えずお前の家系を追い、監視していたわけではない。見つけたと思ったら、見失ったりの繰り返しだった。その間、絶えず自分を磨き、その時が来るのを待った。そして、やっとその時が来たのだ。俺はお前が十二歳の小娘だということを、少しも残念だと思わない。お前は俺と闘わなければならない敵なのだ。俺は親から、父からそう教えられて来た。代々ずっとその教えを受け継いできた。見つけたお前が、俺の家系が長い間探し求めていた怨念の相手だと知った時、俺は歓喜した。やっと探したのだ。終わる、ついに終わると思った。どうしても俺で終わらせなくてはならない」

洋蔵はしばらく言葉を失った。心に迷いがあるのか?洋蔵の複雑な表情が、今智香には読み取ることが出来た。だけど、それが意味するものは、今の彼女には何なのか判らなかった。

この時、急に洋蔵の集中が智香から逸れた。

「誰だ?何処にいる?」

洋蔵はまたあの声を聞いた。実に耳障りな声だった。この近くにいるのは間違いないが、少し距離があるようだった。

返事がない。洋蔵が狼狽えた素振りを見せた。

「何?」

智香は呟く。

洋蔵の目が正気に戻った。

「ふふっ、俺はお前を探すことばかり気を使っていたために、時々妙な夢を見るようになっていた。まぁ、いい。誰なのか、その内はっきりするだろう」

洋蔵は智香を宿命の敵だと認めていた。俺はこの体で感じている。体の中から湧き上がってくる高揚感は鈍く震え、心の中はどろどろに汚れてしまっていた。この感覚は誰に教わったものではないが、間違いない。俺に比べ、この小娘は微塵の汚れも感じ取れない。少しと恥と思っていない。四百余年前に起こった事実が、俺とこの小娘とを宿命の敵と定めたのだ。こんな小娘なのかという気持ちも不満もない。この小娘に何か出来る?俺の陰陽道の力は、この小娘の力よりも上だと洋蔵は自信を持っていた。

だが、洋蔵は自分たちが受け継いできた術とは違う力を、この小娘から感じ取っていた。

(この小娘は普通ではない。俺の敵。宿命の相手になる前につぶしてやる)

洋蔵は智香を甘く見てはいない。この時智香は気付いていないようだが、洋蔵は彼女との距離を少しずつ縮めていたのである。

「双竜王の珠の由来は半ば伝説になってしまっていて、球の秘密は、今はごく一部の者しか知らない。しかしその真偽は定かではない。さてその伝説だが一つの条件があってという前提が必要だが、双竜王の珠が二つ揃うと永遠の命と、今ある大自然と、この宇宙を自由に操ることが出来ると言われている。はっ!俺は、その伝説を心底信じている。さらに、双竜王の剣と鏡が揃うと、俺の先祖が海賊として暴れまわり集めた財宝の今ある場所の在り処を指し示してくれる」

洋蔵は一気にしゃべり、歓喜している。彼は・・・そう彼は狂ったように踊り続ける黒い雲を見上げ、両手を差し上げた。

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