第三十一章
「ラン」
と智香は言ったつもりなのだが、言葉にならない。ランの命がやどった塊りは、美しく輝きながら洋蔵に突進して行った。
「そう」
智香を守るために。でも、洋蔵を捕える寸前で、二つの稲妻が交差しながら、ランに向かって走った。二つの交わり合った稲妻はランを直撃し、眩い閃光が闇の世界を明るくした。ランの気持ちが打ち砕かれた瞬間だった。
ランは一瞬にして、跡形もなく消えてしまった。
「・・・」
大伴智香は顔を背けた。彼女はまた自分の周りから、愛するものの一つがいなくなった悲しさで、体が小刻みに震えている。もし、何かの一片でも残っていれば、またランを再生し、生まれ変わらせてやれる。彼女は辺りを見回したけれど、ランの小さな塊りさえも見つけることが出来なかった。ランが、もう智香の掌に乗って、楽しく踊ることはない。彼女は体から力という力がゆっくりと、しかし確実に抜けて行くのが肌の感覚から分かった。
智香はその場にへたり込んだ。淡く緩い風が、彼女の頬をかすって行った。覚えのある香りが、彼女の鼻をついた。彼女はふっと顔を上げたが、何も見えなかった。
たった一枚の薄っぺらなティシュペーパーで、彼女の想像が創り出した最初の作品がランだった。不器用な彼女が一生懸命に創ったランだった。彼女の不器用さはランを醜い形にしてしまったが、一番愛していた友達だった。
「みんな、大好き。私の友達。でも、ランは一番最初に創ったこともあって、いつも気にしていたし、傍に置いておきたかった」
智香は闇の中に白い明かりがいくつも浮かんでいるのに気付いた。
「みんな・・・」
智香は、それらが白い友だちだと気付いた。
「みんな、来たの!来てくれたのね」
智香は立ち上がった。みんなには元気のない姿は見せたくなかった。
「みんな、あたいの大好きな友だち。ラン・・・ランがいなくなってしまったけど・・・寂しい。違うよ、みんな・・・誰一人いなくなっても寂しい」
いろいろ考えると、顔が下を向いてしまう。
(だめ!いけない。こんな気持ちになってはいけない。今、この瞬間は・・・悲しんではいけないんだ。みんなのために、泣いてはいけないんだ)
智香は顔を上げ、里中洋蔵の姿を捕えた。ランがいなくなった悲しみは残っているが、怒りは収まりはしない。彼女の体の中で、彼女自身が理解出来ない心の乱れが渦巻いていた。このばらばらになっている心の乱れの捌け口を探していると、気になる気配に気づいた。
「来て!出て来て!あんたたち、やられてはいないんでしょ」
智香は闇の空間に叫んだ。白虎と青龍の気配は小さなものであった。多分、ずっと近くにいたのだろうけど、智香が感知しなかっただけのことである。ランに気を取られていたのだから。
すぐに白虎と青龍は現れた。二人は、智香の背後にいた。そして、白虎の手には双竜王の珠が握られていた。
「智香様、当たり前です。私たちはそう簡単にやられはしません。智香様、それっ、お返ししますよ。」
こういうと、油断があったとしか言いようがないが、白虎は不覚にも双竜王の珠を智香に投げたのであるが、その距離、大体二三メートル。
「あっ、しまった。青龍、頼む」
白虎は自分の不注意に気付いたが、その時には遅かった。
里中洋蔵が、そのちょっとした隙を見逃すわけがなかった。素早い動きで飛び、白虎が無造作に投げた双竜王の珠を奪い取った。
「やったぞ。ついに、双竜王の球が我手に入った」
洋蔵は歓喜の絶叫を上げた。だが、洋蔵の喜びは一瞬の内に消えた。青龍は、彼の武器である大鎌を、洋蔵の脳天目掛けて打ち下ろした。洋蔵も双竜王の珠が手に入った喜びから出来た隙を突かれたため、大鎌をかわそうとのけぞった時に、せっかく手にした双竜王の珠を手から放してしまった。双竜王の珠は大きな弧を描き、闇の中に消えてしまった。
その次の瞬間、双竜王の珠は激しく光った。闇は輝きに満ちた空間に覆われたが、すぐにまた闇が戻った。
「ちっ、しまった」
洋蔵の目は闇の中に飛んだ双竜王の珠の後を追った。白虎も青龍も動いた。だが、何処に消えたのか見つけることは出来なかった。
青龍は洋蔵の反撃を止めるために、洋蔵の胴を目掛けた鎌の一振りを忘れなかった。
洋蔵は体を引いた。
「くそっ!」
洋蔵は自分の動きの邪魔する青龍に激しい怒りを見せた。
大伴智香の心はランを失い、母の形見をも失った悲しさで心が揺れ動き、混乱していた。
「智香様、申し訳ありません。あなたさまの持つべきである双竜王の珠を失ってしまって。この辺りにあるはずです。あいつは青龍に任せ、双竜王の珠を探して下さい。私も探します」
白虎が、真面目に智香に謝っている。珍しい状態である。智香は、
「ふふっ」
と笑ってしまった。智香に心の余裕があるのではない。彼女は、こんなに素直な白虎を見るのは初めてだった。どちらかかと言うと、嫌いではない白虎。時には彼女に説教をし、偉そうで、横柄で、喧嘩ばかりしていたが、そんな白虎が謝ったのである。彼女は堪らなく嬉しく、可笑しかった。彼女は心の乱れが少し和らいだような気がした。
「わ、分かったわ。でも、いいの。青龍だけに任せておいて」
智香は、青龍が洋蔵を大鎌で攻め続けている姿を見て、逞しく思った。それでも、彼女はやっぱり青龍を好きにはなれなかった。闘いをよく観察していると、洋蔵は、初めは青龍の大鎌の振りを避けるのに精一杯だったが、徐々に崩れた態勢を整え、こっちから攻撃をする隙を窺っているように見えた。
「確かに。智香様の言われる通りです」
と、白虎は同意し、私も闘いに加わりますと言った。私たちの探し求めているのはあいつではないのですが、少しの時間、あいつを弄んでやります。その内、五郎太も現れるでしょう、と言い残して、闘いの中に入って行った。
「俺も相手する」
と、白虎は型通りの参戦の言葉を伝えた。
「面白い。面白くなって来た。邪魔なお前たちを、まずやるとしょう。もう、手を抜かない」
洋蔵は智香に目を向けた。
「こいつらをやったら、次はお前の命をもらうぞ。俺の闘う相手は、お前なのだ」
と洋蔵の冷たく青白く光る目は言っていた。
「あたいも闘う」
智香は強い意志を芽生えさせ、洋蔵を睨み返した。
「来い。来るなら、来い。いいぞ。まとめて、やっつけてやる。お前も相手になってやる。俺の望みは、お前を殺すことだ。そう宿命づけられている。四百余年待ったのだ。もう逃しはしない。来い」
洋蔵は智香に誘いをかけた。
「だめです。智香様は球を、双竜王の珠を探して下さい。この先、智香様には重要な意味を持って来るはずです」
白虎は洋蔵と智香の間に立ちはだかり、洋蔵の智香に対する気を遮断しようとする。
「どけ!俺はあいつと話しているんだ。キェッ!」
怒りに充満した洋蔵の奇声だった。闇が、彼の奇声に応えた。と同時に、二つの稲妻の閃光は白虎と智香に走った。
いくつかの動きが、一瞬の映像で見えた。白虎は閃光を簡単に避けた。青龍は、洋蔵が攻撃を仕掛ける時に出来る隙を狙って、大鎌を横に振った。
「キィツ!」
洋蔵の唸りは苦痛を伴っていた。
智香は自分に向かって来る稲妻の閃光がはっきりと見えた。
(逃げなくてはいけない)
と直感した。
だが、彼女の体は動かなかった。彼女は黒い痣の責め立てるような激しい痛みに顔をゆがめ、うなった。智香は、洋蔵の放った稲妻の閃光を脳天から受けてしまった。
飯島一矢は、
「あっ!」
と叫び、ただ見ているだけの自分の決断を後悔した。
「だめだ」
一矢は闇の中に永遠に消え去る智香の姿を想像した。それでも、彼は目を背けない。あの少女・・・智香の不思議な何かが彼を惹きつけ、その未来に、今の所それが何か分からないが、夢と希望そして愛を抱かせるからである。それに・・・
「あの子は負けない」
一矢はつぶやく。
飯島卓は体を乗り出し、智香の所へ走った。
「僕は・・・俺は夢を見ているのか!」
そして、あの男は、彼も同じようにその瞬間体を乗り出したが、すぐに背を向け、その場所を後にした。・二三歩歩き、男は振り返った。どうやら、この難題を乗り越えると、彼は信じているようだ。
「私はいつでも傍にいるからな」
と、男は静かに呟き、また歩き始めた。
大森智香は全身に激しい衝撃を受けた。数秒後、いやもっと経っていたのかも知れない、彼女は全身が霧散してしまったような感覚に陥った。
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