第二十四章

津田孝子は智香の手から落ちた双竜王の珠を手に取った。

 「チッ」

 洋蔵は舌を鳴らした。彼は智香を捕まえていたため、両手の自由が利かず、次の素早い動きが取れなかったのである。

 智香は洋蔵に両方の手首をつかまれたままだったが、目をぱっちりと開けた。気を失ってはいなかったのだ。体から力という力が無くなってしまったような感覚だったが、彼女の体には微かだが強い躍動が感じ取れた。

 「まだ、意識はあるのね」

 孝子は笑みを浮かべた。彼女は手にした球を見た。

 「お姉ちゃん、これ何なの、これは?」

 孝子は双竜王の珠を手にした時、非常に強い違和感を抱いてしまった。不快な感じではなく、心地よい違和感だった。

 「お姉ちゃん、こいつに、その珠を渡さないで」

 智香に孝子に聞こえるように叫んだ。孝子は強く頷いた。

 「お姉ちゃんの珠、孝子が預かったよ」

 孝子は珠を持った手を差し出した。智香は目を動かし、頷いた。口元を弛んでいる。智香にとって、とっても大切な球であるに違いない。

 「大丈夫?」

 智香は目を開けていた。どうやら、まだ完全に気を失ってはいなかったようだ。それでも、相当弱っているのは見て取れた。このままの状況が続けば、智香は本当に死んでしまうかも知れなかった。何とかしなければいけないと孝子は思った。だが、どうすればいいのか、いい考えが浮かんで来なかった。

 黒い化けものは、見るからに気持ち悪かった。二メートル近い体は、孝子が立ち向かうのを躊躇させるのに十分な迫力と恐ろしさを持っていた。目も口も鼻も、形は確かに人間には違いなかった。だが、この世の生きものでない雰囲気が、化けものから醸し出されていた。どんな環境で育ったら、こんな恐ろしい形相を持った人間が生まれるのかと想像するが、孝子の短い生きた時間では破天荒な想像を働かせても、さらに空想の力を借りても、一つの形にすることは出来なかった。

 「あぁ・・・」

 孝子は悲痛な叫び声をあげた。智香の小さな体が一瞬ガクッと震えたようにみえたのである。智香は今度は完全に気を失ってしまったのか。智香の体はまだ洋蔵に両方の手首を捕まれたまま、だらりとして動こうとはしなかった。しかし、良く見ると、智香の顔色にはまだ微かに生気が、孝子には見られた。

孝子はホッとするが、これ以上このままの状態が続けば、智香は本当に死んでしまうと孝子は思った。それほど、智香は弱っていた。もう一秒たりとも無駄な時間を費やすことは出来ない。

 (えいっ!)

 孝子は心に中で自分に気合を掛け、奮い立たせた。そして、黒い化けもの、里中洋蔵の背中に飛び乗り、首を絞めた。というより、がむしゃらに洋蔵の首にしがみついたと言った方がいいかも知れない。今の彼女に出来る精一杯の攻撃だった。

 洋蔵の肌が、ぞっとするほど冷たい。生きているものの温かい感触は全くなかった。彼女の手には双竜王の珠が握られていた。

 「ウゥゥゥ!」

 孝子は洋蔵の唸りに似た怒りを、身近で感じ取った。

(このうめきは・・・人間じゃない)

と、彼女は思った。

 洋蔵の動きが止まった。彼・・・そう、洋蔵は智香を攻めるのをやめ、智香を持ち上げていた片方の手、左手を離した。智香は、洋蔵の右手だけで持ち上げられている。

 智香に動く気配はない。

 「お姉ちゃん、目を開けて」

 孝子は、智香に手が届きそうな位置にいた。

 孝子の声が聞こえたのか、智香はうっすらと目を開けた。もう微笑む元気もないようだった。

 「離して、お姉ちゃんを離せ!」

 孝子は叫んだ。彼女は、洋蔵の首を絞めている腕に力を込めた。

 「ウゥゥ」

 洋蔵は一度唸った。やはり、苦しいのか?だが、今度の彼の唸りには張りがあった。明らかに不快感を表している。

 洋蔵は自由になっていた左手で、背中から首を絞めている孝子を、まるで肩についていた小さな木の葉でも払い落とすように、振り払った。

 孝子は悲鳴と共に、今度はまともに壁にぶち当たり、気を失ってしまった。その時、握っていた双竜王の珠は、孝子の手から離れた。

 「チッ。くそっ」

 洋蔵は唾を吐き捨てた。

 「青い!」泥の混じった醜い色だ!

 大森智香は孝子の勇気ある動きをただ見ているしかなかった。孝子が壁に投げられ、気を失ったのを見た時には、真奈香と同じように死んでしまった、と一瞬思ってしまった。だけど、孝子の胸が動いているのを見て、ほっとした。

 (自分には何が出来るんだろう?)

と智香は考えた。孝子のように勇気ある動きが取れるだろうか?私にだって、出来る・・・薄れている意識の中で、彼女は自分の気持ちを奮い立たせた。

「きいち・・・ほうがん・・・先生」

 智香は躊躇していたが、あの友達を呼ぶことにした。彼らが近くにいるのは、少し前から感じ取っていた。

 「お願い、私の友達。近くいるのは分かっているのよ。聞こえたなら、私を、智香を助けに来て。今日は遊びじゃないのよ。そのことは、あなたたちが一番知っていることじゃない。お願い、もう友達じゃないって言わないから」

 確かに智香は、洋蔵にきつく手首を捕まれているという苦しみはあったが、彼らのことを考えるだけで、なぜか勇気のようなものが生まれて来た。

 里中洋蔵は、こういう智香の変化に気付いていた。しかも、智香が呼び出している存在についても、洋蔵は知っていた。ただ、智香と関係ある存在なのか分からなかったのである。

 「ほっ、ほっ」

 洋蔵は背後に敵の存在に気づき、唇をゆがめ、笑った。どんな敵が現れても、俺の敵ではないという洋蔵の自信に満ちた笑いである。

 洋蔵の笑いに応えるように、

 「へっ、へ、へ、へ・・・」

 と、白虎の笑いが響き渡った。

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