「…体が痺れて」エルヴェー1

エミーリアはもやもやした気持ちで入学式を終え、自分の教室に戻ろうとする。




そこで悪役令嬢のエルフリーゼに呼び止められた。




「今朝は、命を救ってくださってありがとうございました。でも貴方、王子に手を取られていましたわよね。私、貴方のような美人ってだけでチヤホヤされる女性はもっと苦労した方がいいと思いますの」




本来ならばここでライバルのエルフリーゼが『今朝の話聞いたけど、王子を盾にするなんてこの国の貴族としてあるまじき!っていうか王子に身を挺して守ってもらえたなんて羨ましい!』って主人公のエミーリアに『これから虐めますのでよろしく』宣言をしてくるのだが、今回はエルフリーゼご本人が王子を盾にしていたことは棚に上げて突っかかってきた。




「私、全然チヤホヤしてもらえなかったんだけど」


騎士になれとか言われたし。




「とりあえず貴方のことは全力で虐げるべきと私の本能が告げていますの。もうこれ以上誰かにチヤホヤされないように慎ましく過ごしなさい」




まあでも、悪役令嬢の責務を思い出してくれたようで何よりだ。


朝、王子の前で見せた可憐な姿はバグだということか。


これは『しっかり仕事して私を引き立ててくれる』宣言だと思う。


よしよし。ゲームは元の流れに戻り始めている。




「はい、エルフリーゼ様。期待しています」




よし。気持ち切り替えてこう。


授業が終わったら次のエンカウンターイベントがある。


これから出てくる攻略対象は特に推しでもお気に入りでもないけど、ハーレムエンドも視野に入れてるからとりあえず好感度は上げておこう。









教室にて。授業が終わった。


魔法学だの王政学だのこの国の歴史だの全然わからんかった。


今まで勉強してきた数学とか現代史とか世界史とかは全く役に立たんかった。


先生に指名された時に正直に『全然わかりません』って言ったら、『廊下に立っとれ!』って魔法でスリッパをリモコ〇下駄みたいに飛ばしてきたたから、光魔法でぶった切ったら、クラスメイトに拍手してもらえちゃった。






「ねえねえ、さっき凄かったね。先生も口あんぐり開けてたよ。


君名前なんて言うの?」




エミーリアの前の席に座っている男の子が振り返って声をかけてきた。




…来た。第二の攻略対象、子犬系で甘えたがり男子エルヴェだ。


フワフワの髪と純粋そうな瞳の可愛い顔をしているのに、いざというときは頑張って男らしくなるところにファンがたくさんいた子だ。




ゲーム友達の一人は彼にドはまりして貢いでいたなぁ。今彼女はどうしているだろうか。




「エミーリア・フォン・シュベルクです。よろしくお願いします」




「へぇ、可愛い名前!僕はエルヴェ・フォン・ヌーベル。あ、僕飴持ってるよ、食べる?」




よしよし。エルヴェイベントは全然バグってなさそう。


飴とかいらんけど、正解の選択肢は一字一句空で言える。




「私もチョコレート持ってるんです。良かったら一緒に食べませんか?」




「うんっ。僕チョコレートも大好き!」




尻尾を振る子犬みたいに嬉しそうなエルヴェを見てふふっとエミーリアは優しく微笑む。






ゴソゴソ。




ゴソゴソゴソゴソゴソゴソゴソゴソゴソゴソ








…あれっ。チョコレートがない。


チョコレート忘れてきた?




っていうかゲームでは勝手にカバンから出てきてたから、家でわざわざチョコレートいれたりしなかったけど、そりゃ入れてなかったらカバンにチョコレートなんて入ってるわけないのか。




「チョコレート、忘れてきちゃったみたい…」




「えっ、そうなの?残念。じゃあ明日持ってきて一緒に食べよう?」




ゲームではチョコレートを忘れたなんて選択肢はなかったけど、エルヴェはニコッと笑ってくれた。


しかも私に明日二度目のチャンスをくれるという。人懐っこくていい子だ。今ならゲーム友達がエルヴェ推しだったのも分かる気がする。




エミーリアが感動していると、


「私、チョコレートを持っていますわ」


という声が頭の上からいきなり降り注いできた。






「私の手作りです。良かったら…」




声の主は、悪役令嬢のエルフリーゼだった。


綺麗な箱に入っている丸いチョコレートをずいっと差し出している。




ゲームではこんな展開なかったよね?なんでチョコレートも持ってない主人公に当てつけのようにチョコレート手作りしてきてんの?


今日バレンタインデーじゃないんだけど。




エミーリアは出しゃばってるエルフリーゼをジト目で睨んでみる。








「わー。お菓子が作れるなんて、とっても女の子らしいね。ひとつもらってもいいー?」




ジト目のエミーリアとはうって変わって、エルヴェは何の不信感も持たず子犬のように喜んでチョコレートをつまみ上げようとする。


てっぺんにアーモンドが乗ったやつだ。




「あ、それはいけませんわ!これはこちらのお嬢さんに食べていただきたいのです。ゆ、友好のしるしに」




エルフリーゼが笑顔を取り繕いながらアーモンドが乗ったチョコレートをエルヴェから奪い取る。


それから何も載っていないチョコレートをつまんでエルヴェに渡す。






…あ。あれあれあれ。




もしかして、これは美しいエミーリアがたくさんのイケメン男性と仲がいいのを妬んで、エルフリーゼがチョコレートに痺れ薬をいれたイベントじゃないか?


ゲームの中盤にあったイベントだけど、何故かこんな序盤で発生している。


でも間違いない。あのアーモンドのチョコレートには見覚えがある。


ゲームでは、痺れたエミーリアがその時点で一番好感度の高い男性キャラに介抱してもらって、イチャイチャするイベントが発生するのだ。




私はまだ登場してない推しのあの人に介抱してもらいたいのだけど…


エルフリーゼさんさぁ、悪役令嬢のお仕事に熱心なのはいいけど、しっかり予定通りに行動してくれないかな?




「じゃあ、今それ食べてあげてもいいけど、また中盤でその手づくりチョコレート持ってきてくれる?」




「はい、どうぞ!良く分かりませんけど、食べてくださるのですね!」




エルフリーゼは問いかけにはおざなりに返事をして、痺れ薬入りアーモンド乗せチョコレートをエミーリアの口に押し込んでくる。




エルヴェは痺れ薬の入っていないチョコレートを貰って、凄いね、おいしいねと嬉しそうにしている。
















「…あ…体が痺れて…」




エミーリアは『今回介抱してくれるのはエルヴェになるのかぁ…ま、楽しむか』と思いながら、手を変な形に曲げて、苦し気にゲーム内にあった痺れ薬チョコレートのセリフを言ってみる。


この痺れ薬は即効性があるのだ。すぐに効いてくるはずだ。






…。




「あれ。痺れ、てない」




エミーリアは手をグーパーグーパーしてみた。


至って普通である。問題ない。全然痺れてない。なんで?




「え?痺れてないですって?そんなわけはないわ」




エルフリーゼが怪訝な顔をして小声で呟く。


そして、味見するようにアーモンドが乗ったチョコレートを舌の先で舐めた。




途端、エルフリーゼがかくんと床に座り込んだ。


口が緩く開いて、眉が困ったように下がって目がウルウルしている。


一舐めしただけなのに、即効痺れ薬が効いてるっぽい。






「ど、どうしたの?」




エルヴェが床にへたり込んだエルフリーゼに駆け寄って彼女を支えた。




「えっ。エルフリーゼ…大丈夫?僕水持ってるから、飲んで」




痺れて妙に色っぽくなったエルフリーゼの顔を見て、エルヴェは少し動揺したようだった。


だがすぐに持ち直して、ぐったりとしている悪役令嬢に自らの水を分け与える。




…ん?何これ。間接キスじゃない?


入学早々、悪役令嬢と攻略対象が間接キスしてる的な?


イケメンと間接キスしちゃってもいいのはヒロインだけって決まってるんだけど、この悪役令嬢何してるの?






辛うじて水は飲めるようだがエルフリーゼの体には力が入っていなさそうで、柔らかくダランとなってる。


目を潤ませながら水をコクコク飲む様は、庇護欲をそそられる。


本来はヒロインにかかるはずの、痺れ薬による守ってあげなきゃ補正がかかっているようだ。




…しかもなんかエロいんですけど。


間接キスなんてしてないでちゃんと悪役令嬢の仕事してよ。








「…まったく。いいや、自分でやるわ。えいっ」




という掛け声とともに、エミーリアはエルフリーゼが舐めて痺れたチョコレートを口に放り込んだ。








…チョコレートを食べてしばらく経ったが何も起きない。






どうして私は痺れないんだろう。


まさか私が重課金でエミーリアをカンストステータスにしたからだろうか。


この忌まわしき鬼耐久と鬼耐性のせいで痺れないんだろうか。






エミーリアは少し悲しい気持ちになって、エルヴェに抱きかかえられながらだらんとしているエルフリーゼを見る。




エルフリーゼなんて一舐めでヨロヨロになっちゃって、イケメンのエルヴェに間接キスで助けてもらって羨ましいんだけど。


イケメンに抱きかかえられて心配そうに顔覗き込まれてて、羨ましいんだけど。


推しじゃないとはいっても、不安げにしている子犬顔を独り占めしてるエルフリーゼ羨ましいんだけど。






「…とりあえず羨ましいんだけど!光魔法、状態異常回復!AA+BB+X+Y Y!」




「うわぁ!」




エルヴェが光魔法の風圧で吹き飛ばされた。


飛ばされた先の机で頭を打つエルヴェ。






一方のエルフリーゼの痺れは、一瞬で解けたようだ。上半身をゆっくり腕で支えて、胸に手を当ててハアハアと大きな息をついていた。




そして飛ばされたエルヴェは頭をさすりながら、ぴょこっと立ち直ってエルフリーゼに駆け寄る。




「大丈夫だった?エルフリーゼ…」




「あ、はい…心配してくださってありがとうございます。お陰様で、もう大丈夫ですよ」


エルフリーゼはふわっと笑った。




「よかったぁ。でも心配だからもう少し水飲んどく?」




そう言って笑うエルヴェから水を受け取ったエルフリーゼは、再度間接キスを堪能している。


エルヴェの手は、床に座ったまま水を飲むエルフリーゼの体を優しく支えるために、彼女の背中に回される。






…何これボランティア?


私というヒロインがここにいるのに、悪役令嬢と間接キス二回もしてもいいと思ってるイケメンなんてこの世に存在するの?


博愛主義者なの?


アガペーなの?




















「そういえばエミーリア。回復魔法まで使えるなんて、君って本当に凄いんだねぇ」




エルヴェに向かって手を合わせていたエミーリアが声をかけられて顔を上げると、目の前にエルヴェがいた。






「そ、そんなことないよ。エルヴェもすぐできるようになるよ」




…分からん。こんな会話はゲームではなかったから、なんて答えるのが正解か分からん。


光魔法が使えるのは選ばれし主人公エミーリアだけだが、とりあえず適当に偉そうなことを言っておいた。




「そうかなぁ?エミーリアはそう思う?」




エルヴェは、きらきらした目でエミーリアを見てくる。




「まぁ、うん」




エミーリアが無機質に頷いた。




この乙女ゲームは、好きなキャラを強くするために課金もできたのである。


無課金でできる鍛錬とか周回だけでラスボスを殺れるくらいに強くなれないので、エミーリアは自身に一番お金を使ってラスボスをワンパンできるくらいにあらゆるステータスをカンストさせていた。




主人公に課金するのは当然として、エミーリアは前世で最推しのあの人に貢ぎまくっていたので、実はエルヴェにはあまり課金をしていない。








「ありがとう!でもやっぱりエミーリアはたくさん修行を積んだんだよね?


あのね、エミーリア。僕もエミーリアくらい強くなれるように稽古をつけて欲しいな!」




「へ?」




「エミーリアのこと、師匠って呼んでもいい?」




「…へ?」




「約束ね!」




エルヴェは、エミーリアの小指に自分の小指を絡ませて微笑んだ。






…師匠だとう?何これ、何ルート?


これから一緒に滝に打たれに行って恋が芽生えるってか?


それは新しいジャンルの乙ゲーなの?需要あるの?




仕方ない。


まだまだ序盤だしエルヴェの好感度は後で挽回するとして、次は4番目の推しとのラブラブランチイベントだから、気合い入れて臨むぞー。








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