第57話 電車に揺られ

 まさか祐輝が出て行くとは思わなかった。

 けれど階段の向こう側の会話に耳を傾けていると、祐輝が拓海と美咲の会話に割って入ったのは、玲奈のためだったのではないかという気がしてくる。

 祐輝が口にした、後遺症は身体的なものだけとは限らないという言葉──あれはきっと、あの日の帰りのことを言っているのだ。背後に人の気配を感じ出ただけで、足がすくんで動けなくなってしまったことを。あの日のことを、祐輝ははっきりと覚えているようだ。

 そしてだからこそ、祐輝は拓海に訴えたのだ。美咲自身のためであろうと拓海のためであろうと、玲奈をそんな目に遭わせたことだけは許してはいけないと。

 それは祐輝の役目ではないはずなのに。美咲のことも、美咲を許してしまう拓海のことも、本当なら玲奈自身が糾弾しなければいけないのに。

「……大丈夫ですか? 先輩」

 隣で洋介が囁いた。玲奈はちらりと目を合わせうなずく。

「大丈夫。情けないなあとは思ってるけど」

 言ってしまってから、こんな弱音を一年生に聞かせてどうするんだと反省した。が、もう遅い。一度口にしてしまった言葉を引っ込めることはできないのだ。

「……園田くんって、クールで何事にも肩入れしなさそうに見えますけど、正義感ありますよね」

 洋介の言葉に、玲奈は心からうなずく。玲奈自身、まさにそんなことを考えていたところだった。

「これから……いえ、松岡先輩とのお付き合いはどうされるんですか?」

 遠慮がちにだが核心を突いたことを聞かれ、玲奈は天を仰いだ。

「どうしようかなあ……これから」

 そう繰り返してはっと気づく。さっき歩きながら洋介に聞かれたのはこのことだったのではないか──「この後どうするか」ではなく「今後どうするのか」を聞かれていたのではないか。だからきっと、洋介はわざわざ誤解のないように言い直したのだ。

「僕ならこんな目に遭わせなくて済むのに……」

 洋介が何かつぶやいた。が、ホームに吹き込んでくる風の音でうまく聞き取れない。

「ごめん、何って?」

 玲奈はすぐに聞き返す。が、洋介は「いえ」と曖昧に笑うだけだった。

「松岡先輩が『人気者』であるがゆえに佐々木先輩がこんな目に遭うのって、なんだかなあと思っただけです」

「まあ、ねえ……」

 洋介の言うことはわかる。玲奈自身、似たようなことを考えたこともあった。でも違うのだ。

「……私にも、原因はあるんだと思うよ」

「え?」

 洋介はわかりやすくきょとんとしている。

 玲奈は「まあ男女差はあるかもしれないけど」と前置きしたうえで口を開いた。

「私が『完璧』じゃないから……たとえばみんなが『あの人なら』って──『お似合い』だとか『納得』だとかね。そういうふうに思えるようなレベルじゃないから攻撃の的になるんだと思う」

 そう、要は自分と大して変わらないレベルの人間が選ばれるのが気にくわないのだ。あまりにレベルが違いすぎたら、うらやましいとは思っても妬ましいとは思わないのが人間だから。

「佐々木先輩は……魅力的な人、ですよ。とても」

「え」

 驚いて見つめると、洋介は赤くなってうつむいてしまった。

 いや、せっかく気を遣ってフォローしてくれたのに、と玲奈は申し訳ない気持ちになる。

「あっ、ありがとうね! 奥野くん、気を遣ってくれ──」

「──ここにいたのか」

 玲奈と洋介は声の主をぱっと同時に振り返った。

「園田くん! 大丈夫だったの? 先輩二人にケンカ売りに行って……」

 玲奈が言うと、祐輝ははっきりを眉間にしわを寄せた。

「ケンカ売りにって……生徒会長、その耳ちゃんと機能してる?」

 呆れたように言って、祐輝は洋介に目を向ける。

「奥野、改めて今日はサンキュ。奥野はまっすぐ帰る? 俺は学校にチャリ取りに行くけど」

 洋介は一瞬考えこんだが、最終的にはうなずいた。

「そうするよ。とりあえずは一件落着だし、僕にできることはもうないだろうし」

 と、そこへタイミングよく電車が滑り込んできた。一応、拓海や美咲とは違う車両に乗り込む。

「……二人とも、いろいろありがとう。って、誰よりも私が言わないといけないと思う」

 なんだか、自分でわかるくらいに覇気のない声が出た。玲奈自身、洋介や拓海のことをどうこう言えないくらいにぐったりと疲れてしまっている。いろんなことが一気に明るみに出たせいか、あるいはいろんな人の思惑に振り回されたせいかもしれない。

 玲奈の言葉に、祐輝と洋介は二人で顔を見合わせた。

「一番大変だったのは生徒会長なわけだし、その辺はいいんじゃないの? まあ、少しは頼るってことを覚えなよ、とは思ったけど」

 動き出した電車のドアにもたれ、祐輝が言う。やっぱり、なんだかんだと気を遣ってくれる優しい後輩なのだ。相変わらず敬語は使ってくれないけど。

「それってつまり言い換えてみれば、僕たちが勝手にやったってことでもありますしね」

 洋介もそう言って微笑む。

 二人の穏やかな表情を見ていると、玲奈にもようやく「ああ、終わったんだな」という実感がわいてきた。

(あ……そういえば)

 ふと気づいてみれば、いつの間にか祐輝に対して苦手意識を抱くことがなくなっている気がする。

 それどころじゃなかったせいか、もしかしたらなんだかんだで結構な時間を一緒に過ごしたせいかもしれない。要は慣れの問題ということだ。

 もちろん、祐輝は執行部の中までもあるわけだし、いつまでも苦手に感じているよりはずっといいのだけれど。

 祐輝と洋介が何か話しているのを聞きながら、玲奈は窓の外を眺める。

(……?)

 なんだろう──違和感と呼ぶには希薄な、なんとなく引っかかるものがあるような気がしないでもない、というくらいのかすかな何かが、玲奈の脳裏をかすめた。

 その正体はわからない。でも強いて言うなら、何かを見落としているような、何かを忘れているような、そんな漠然とした不安に近い気がする。なんだろう──。

「──生徒会長、駅着いたら送ってくから」

 祐輝の声ではっと我に返る。

「あ、うん……ありがとう」

 なんだか、ことあるごとに家まで送ってもらっている気がする。それはありがたいと同時に申し訳なくもあった。たとえ祐輝本人が「ついでだから」という程度にしか考えていなかったとしても。

(……あれ? 私さっきまで何考えてたんだっけ……)

 少し考えてみるが思い出せない。ということは、そう重要なことだったわけでもないのだろう。大事なことを思い出せないとき特有の、あの焦燥感も感じないし。

 玲奈はそう深く考えず、一年男子二人の会話に加わった。

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手のひらのひだまり 蒼村 咲 @bluish_purple

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