第42話 颯爽と

「──払ってるわけないでしょ」

 人混みの、さらに向こうから声が聞こえてきた。みんな一斉に声のした方を振り向く。

(え? この声は……)

 一瞬、聞き間違いだろうと思った。けれど後ずさるように道を空けた人混みの中から現れたのは、紛れもなく「彼」本人だったのだ。ざわめきが一気に大きくなる。

「な……」

 あまりの驚きに声も出なかった。玲奈の考えつく限り、一番この場にいそうにない人間──拓海は玲奈の隣まで来ると、くるりと向きを変え人混みに向き直った。その瞬間、人混みがしんと静まる。

「一応、俺は『本命』なので」

 そう言って拓海は玲奈を肩から抱き寄せた。

「誰がどうやって撮ったのか知らないけど、あんなのスキャンダルでも何でもないから。っていうか、あんなふうに俺らのプライベートな『お楽しみ』を晒すのやめてほしいんだけど」

 想像だにしなかった展開に、玲奈は隣の拓海を見上げる。口調は穏やかだが、横顔を見るだけでわかる──目が笑っていない。

「え、じゃああれお前なの!?」

 近くにいた男子が声を上げる。他の生徒たちも状況がつかめてきたようで、また一斉にざわめき出した。

「なんだよそれ」

「壮大なノロケじゃん」

「つまんね」

 また好き勝手なことを言い合っている。まるでガセネタに踊らされた自分たちの方が被害者だとでも言いたげだ。呆れるのを通り越して感心してしまう。

「もしやった奴がここにいるなら言っときたいんだけどさ──あ、関係ない奴は聞き流して」

 拓海が付け足すように口を開いた。明らかにもうこちらに興味をなくしている者もいれば、拓海の言葉でまたこちらに注意を向けたものもいる。けれど、それだけでは、犯人を見つける手掛かりにはなりそうにない。

 拓海もそれはわかっているだろう。拓海がそんなことを言いだした目的が玲奈にはわからなかった。

「俺を『彼女寝取られた情けないダサ男』って叩きたかったのはわかるけど、そんなくだらないことに俺以外の人間巻き込まないでくれる?」

(──!?)

 一瞬、何を言っているのだろうと混乱した。どう考えても、悪意が向けられていたのは明らかに玲奈の方だ。付随的に拓海の名誉も傷つけられたのは間違いないものの、そちらが目的だったとは思えない。

 それとも、拓海にとっては自分を貶めることが目的だったと思い込むくらいにショックな出来事だったということなのだろうか。

「はい、解散解散!」

 玲奈が悶々と考えている間に、拓海は人混みを散らしている。生徒たちがだらだらとA組の廊下を後にすると、拓海は玲奈の正面に戻ってきた。

「ごめん……ほんとに」

 拓海が苦しそうに言う。何に対する謝罪なのかはよくわからない。けれどその顔を見ていると突然胸がずきんと痛んだ。

(そういうことだったのね……)

 拓海があんなことを口にした目的がわかってしまった──焦点のすりかえだ。

 拓海は「自分を叩くのに周りの人間を巻き込むな」と言った。あれはあの写真が拓海を貶めるためのものだったと錯覚させるためだ。そうすれば玲奈は、拓海を叩くために利用された「道具」だということになる。「被害者」になるのだ。

 拓海はそうやって自分を犠牲にして玲奈を守ろうとしたのだった。拓海だってきっと、何を信じていいかわからずに苦しんだはずなのに。

 だから玲奈も、これだけは伝えないといけない。

「……ううん。助けてくれてありがとう……拓海くん」

 この、感謝の気持ちだけは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る