第41話 ピンチ
「──?」
玲奈、琴音、彩佳の三人は、廊下の端で立ち止まった。なんだか教室周りの様子がおかしい。
「何? この人数……」
彩佳がつぶやく。そう、何十人という生徒がA組の教室の前に群がっているのだ。どうやら玲奈たちが中庭にいる間に何かあったらしい。
が、玲奈はふと違和感を覚える。
(いや、それにしてはなんか……)
なんと言えばいいのだろう。何か劇的なことが起こったにしては、人混みの意識の向かう先がバラバラなのだ。どちらかというなら、むしろこれは何かが始まる前兆のような──。
と、人混みの中の、こちらに近い側にいた男子生徒何人かが玲奈たちの存在に気づいた。
「うぇーい! ビッチなお姉さんのお帰りですよー!」
一瞬、自分のことだとわからなかった。が、すぐに悟る。男子生徒の声でこちらを振り返った全員が、明らかに玲奈を見ていたのだ。
下卑た笑いを浮かべている顔もあれば、好奇心で輝いている顔もある。よく見てみれば、人混みはほとんどが男子生徒だった。
どうやら冷やかしのつもりらしい奇声がそこかしこで上がる。さながら治安の悪い動物園状態だ。
突然のことに何もできずに立ちすくんでいると、人混みはヒートアップしてきたのか、どんどんと下品な物言いが増えてきた。
「なあ、あれいくらでやってくれんの?」
「セフレ探してるなら俺立候補するわー!」
「てかむしろ今からヤろう?」
もっとどぎつい内容のものもあった気がする。取り巻きの男子たちの笑い声でかき消されてしまったのは案外良かったかもしれないと思うほどだ。
(ああ、同い年の男子ってこんな感じだったよね……)
憤りも呆れすらも通り越し、玲奈はただただ自分の感情が冷めていくのを感じていた。改めて、拓海や祐輝はがいかに特殊なタイプの男子なのかを痛感する。
「玲奈、気にしなくていいよ」
「私たちが両側で壁になるから、突っ切る?」
彩佳と琴音の声がして、玲奈ははっと我に返った。二人とも、玲奈のわきを固めるようにして人混みを睨みつけている。
なんだか、それだけでもう十分だった。無条件に自分のことを信じてくれて、こうして味方になってくれる二人がいるだけで。
「大丈夫」
二人にだけ聞こえるように言って、玲奈は人込みの前へと歩み出た。
あまり背も高くないし、迫力もないと思う。でもここでなめられるわけにはいかないのだ。
「……」
人混みの意識が自分の方に向いたのを確認し、玲奈は立ち止まった。さりげなく腕を組み、挑発的な微笑み──とはこんな感じだろうか、と自分で思う表情──を浮かべる。
芸能人の誰かが言っていた。女はみな女優だと。
「生徒会長」や「優等生」を演じられるなら、「クソビッチ」を演じるのだってきっと余裕だ。
「──五百万、でどう? もちろん、一人あたりだけど」
しんとなった廊下に玲奈の声が響く。一瞬の間をおいてコソコソとしたざわめきが起こった。「何言ってんだこいつ?」とでも思っているかもしれない。
「私、本命以外はビジネスって割り切ってるから」
混乱に輪をかけるつもりで付け足してみる。と、人混みの一角から馬鹿にしたような笑い声が聞こえた。
「──何それ。自分にそんな価値あると思ってるわけ?」
そんな声を上げたのは女子だった。一瞬ひるみそうになるが、そんな心のうちはおくびにも出さず鷹揚に構える。
ゆっくりと顔を向けると、そこにいたのは見覚えのある女子だった。確か同じ学年の子だったと思う。同じクラスになったことはない。
「それは相手が決めることだから。そんな価値はないって思うならやめればいいし」
そもそも、玲奈だって自分にそんな価値があると思って言っているわけではない。こんなくだらない要求に付き合うつもりはないと表明するために言っているだけで。
「欲しいものがあったって、価値に見合わない値段だと思ったら買わないでしょ? それと同じ」
あえて「同じ」の部分をゆっくり発音した。相手の表情を見て、完全に敵に回したな、と思う。いや、そもそもこの場にいて、そのうえあんな発言をするくらいなのだ。玲奈の発言の如何にかかわらず最初から敵だったに違いない。
「じゃあさー。あいつは?」
今度は全然違う方向から声が飛んできた。男子の声だ。声の主探して振り返る。しかしどこか退屈そうに窓枠にもたれかかるその男子生徒に見覚えはなかった。
「……あいつ?」
玲奈が聞き返すと、その男子生徒は気だるげに視線を上げた。
「あの写真の男。あいつは払ったわけ? 五百万」
「……!」
そうだった。彼らの中では当然あの写真は「事実」なのだ。つまり、相手は五百万円を支払った「客」なのか、あるいは「本命」──すなわち、正真正銘の「浮気相手」なのか。二つに一つというわけだ。
(これは、もしかして自分で自分の首しめちゃったかな?)
もう少し考えて発言するべきだったかもしれない。さて、どう切り抜けようか。ポーカーフェイスの裏で頭をフル回転させていた時だった。
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