第40話 中庭で
「たまには外でお昼もいいよね。なんかピクニックっぽい」
琴音がお弁当箱のふたを閉めながら言った。琴音をはさんで玲奈の反対側でも、彩佳が「ごちそうさまでした」と手を合わせている。
普段なら、教室で机を合わせて食べることがほとんどだ。もちろん、毎日必ずというわけではないけれど──彩佳はたまに部活のメンバーと一緒にミーティングルームで食べることもある──三人そろっている時のお昼はいつも教室だった。
それが今日、わざわざ中庭に下りてきたのにはわけがある。
「それで、話したいって言ってたことだけど……」
頃合いを見計らい、玲奈は口を開いた。二人の意識がぱっとこちらに集中したのがわかる。
いったん言葉を切りあたりを見まわしてみたが、声が聞こえそうな範囲には誰もいない。玲奈はあの日のボックス街での一件について、二人に話して聞かせた。
「え……なにそれ……」
彩佳はそう言ったきり、黙り込んでしまった。無理もないと思う。こんなに身近でそんな事件が起こっていたのだ。
一方琴音は彩佳と同様にショックを受けていたものの、立ち直りは早い。
「……じゃあ、突然後ろから首絞められて気絶してる間に撮られたってこと?」
琴音の言葉に、玲奈はためらいながらもうなずく。
「そう、だと思う。証拠はないけど」
そう、限りなく可能性は高いと思うけれど証拠はないのだ。言い換えれば、あの写真が捏造であるという証明もできないということになる。
だからたぶん、みんなが飽きて忘れるまで、玲奈にできることは何もないのだ。
反論しないということは事実だと認めたも同然だと思われてしまうかもしれない。けれど否定したらしたで、今度は本当のことだからムキになっていると言われるのが目に見えている。
だからどんなに後ろ指を指されても、どんなにひどいことを言われても、気にしないふりをしてしのぐしかない。
「……ねえ、思ったんだけど」
琴音の向こうから、彩佳の声が聞こえてきた。慎重に慎重を重ねたような響きがある。
「松岡拓海のせいじゃないかな……」
「え?」
話が思わぬ方向に飛んだせいで変な声が出てしまった。
「松岡くんがやったってこと? あ、やらせたってこと?」
琴音も首を傾げている。彩佳は首を振った。
「そうじゃなくて、玲奈と松岡を別れさせるために、誰かが仕組んだってこと」
そう言う彩佳の表情は険しい。
「あー、なるほどね。そりゃ面白くないって思う女子はいそう。……いや、女子とは限らないのか。松岡くんが玲奈をフッてしまえば玲奈に手、出せちゃうし。失恋直後の女子は落としやすいって言うし」
琴音が一人で納得している。が、なぜそうなるのだろう。玲奈に言わせれば、自分と付き合いたいだなんていう物好きな男子がそう何人もいるはずがない。
「いや、琴音の言うことはわかるんだけど……」
彩佳はどこか迷うように玲奈に視線を向けた。ためらっているのだろうか。玲奈は「遠慮なく言って」というメッセージを込めてうなずいた。
「部活の友だち──松岡と同じ中学だった子ね。その子が言ってた話なんだけど、中学の時の彼女が、松岡と付き合いだしたことでいじめられて不登校になったんだって」
琴音が「うわ、そっちかあ」と顔をしかめる。
「……それ、やっぱ女子?」
玲奈が尋ねると、彩佳はためらいながらもうなずいた。愚問だったかもしれない。嫉妬に起因する悪意なら、単純に考えて出所は女子ということになるだろう。拓海に片想いしていた女子の仕業だったのだろうか。
「……玲奈、黙っててごめん!」
突然、彩佳がこらえきれなくなったように叫んだ。
「え? 何が?」
わけがわからずに聞き返す。琴音も心当たりがないようで、その顔にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
「実はこの話、玲奈が松岡と付き合いだしてすぐくらいの時にもう聞いてて……」
拓海と付き合いだしたのが彩佳の友だちだと知って、「昔こんなことがあったから、もしかしたら注意しておいた方がいいかも」と教えてくれたのだという。けれどせっかく新しく交際がスタートしたところに水を差すような気がして、つい言いそびれてしまったらしい。
「話しとくべきだったよね。ほんとごめん」
玲奈は首を振る。仮にこの話をあらかじめ聞いていたとして、今回の件が避けられたとは思えない。いずれにしても、彩佳が謝ることではないのは確かだ。
「……でもそれ、もし同じ人間が仕組んでるとしたらやばくない?」
手を口に当てて琴音が言う。
「別れさせるためだったのか嫉妬から来る腹いせだったのかわかんないけど、それで人をいじめるってどうかしてると思う」
琴音の言うことはもっともだった。あまりにも強引で、身勝手すぎると思う。結果的に「彼女」だけじゃなく、拓海本人をも苦しめているはずだ。……ということは。
「……じゃあもし、あの写真の件がそれと同じ人間の仕業だったとしたら、多分これじゃすまないよね……?」
聞こえる範囲には誰もいないことをわかっているにもかかわらず、自然と声が低くなる。琴音も彩佳も、すぐには答えなかった。
否定したいけれどできない──玲奈の懸念が正しいことは肌で感じているのだった。口にするのをためらっているだけで。それがわかっているので、玲奈も追及はしない。
「とりあえず、教室戻ろっか」
この話は終わり、とばかりに立ち上がる。昼休みが終わるまでにはまだまだ余裕があったけれど、このままここにいてもどんどん暗い話になるだけのような気がしたのだ。
「……二人とも、心配してくれてありがと」
そう言って振り返ると、二人は複雑な表情ながらも笑顔を返してくれた。
こうなってしまった以上仕方がない。
あと一年の高校生活、本当なら地味に真面目に、常に誰かの背景に紛れて、平穏無事に切り抜けようと思っていた。
でもきっと、その道はとっくに閉ざされていたのだ。こんな自分でも、努力次第でかわいくなれると知ってしまった瞬間から。──いや、祐輝の誘いに乗ってしまったあの瞬間から。
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