第43話 救世主の想い

「ほんとにごめん!」

 放課後、いつものように校門を少し出たところで待ち合わせをしていた時だ。

 拓海は玲奈を見つけるなり謝罪の言葉を口にした。

「え、全然待ってないよ」

 確かに、今までは拓海の方が早く着いていて、いつも玲奈を待ってくれていた。けれど今日は偶然、玲奈の方が先に到着していただけなのだ。それに、まだ数分しか経っていない。

「いや、そうじゃなくて……」

 隣に並びながら、拓海は少し気まずそうに目を逸らした。

「昼休みのこと。……俺の考えが足りなかったから」

「えっ」

 思わず耳を疑う。どうして謝ることがあるのだろう。拓海は玲奈を助けてくれただけなのに。

 それに、もとはといえば玲奈が考えなしに余計なことを言ったせいでもあるのだ。少なくとも、拓海が謝るべきことなんて一つもない。

 そう言うと、拓海はまた複雑な顔をした。

「その……なんていうか、玲奈のイメージを悪くしたんじゃ、って……」

 その言葉でようやくピンときた。

(あ、そういうことか……)

 どうやらこの一件で、玲奈は「ああ見えてヤることはヤッてる」という評判を得てしまったようなのだ。まったく気にしていないと言えば嘘になる──けれど。

「いや、何にしたって『見境のないクソビッチ』よりはましだと思うよ」

 玲奈は苦笑しながら言う。

 そう、「不特定多数に身を売っている」だとか、「常に何又もかけて遊びまわっている」よりはましなのだ。必要な犠牲だったということにする。

「それに……」

 玲奈は拓海の目をまっすぐに見つめた。

「……信じてくれたんでしょう? 私があんなことしてないって。あんな写真があっても」

「──!」

 拓海は大きく目を見開いた。けれどすぐに力強くうなずく。

 普通、そう簡単には信じられないと思う。あの時、掲示板の前でも思ったけれど、「証拠写真」をものともせずに信じあえるだけの関係ではなかったはずなのだ。

「本当は、完全に私に対する嫌がらせだったこともわかってて、わかったうえで、周りには自分がターゲットだったって思わせようとしたんでしょ」

 拓海は答えなかった。けれどその表情は驚きを隠しきれていない。

「そうしたら私が、それに利用されただけの被害者になるから」

 玲奈が言い終えると、拓海は大きく息を吐き出した。

 そして一人「あー」と声を上げながら、額に手を当てている。

「ばれてたのか……カッコ悪いな……」

 何を言っているのだろう、と玲奈は思う。ピンチに颯爽と現れた救世主が、カッコ悪いわけがない。

「そんなことないよ。それに、私は気付けて良かったって思ってる。ほんとにありがとう」

 それは玲奈の心からの言葉だった。けれど拓海の表情は晴れない。

 気のせいかもしれない──でも何か逡巡するような雰囲気を、玲奈は拓海から感じ取った。


「あの……さ。俺、実は他にも謝らないといけないことがあって」

 しばらくして拓海が口を開いた。何だろう。玲奈は黙って続きを待つ。

「……俺のせい、だと思うんだよね」

 玲奈は目を瞬く。一瞬、また「実は自分の方がターゲットだった」という話に戻るのかと思った。けれど違った。

「……あんなふうに狙われたの」

 拓海の表情は苦かった。あの写真の件を言っているのだ。

「それは……どうして?」

 控えめに尋ねる。が、その瞬間、玲奈は昼休みに聞いた彩佳の話を思い出した。拓海と玲奈を別れさせるために仕組まれた、という説だ。

 拓海が言っているのはおそらくそのことだろう。

「実は、前にも似たことがあって。その時付き合ってた子が、俺と付き合ってたせいで嫌がらせ受けてたんだ……」

 そのうえ不登校になった、という話だった。けれど口には出さない。この話を、自分が話す前から玲奈が知っているというのは、拓海にとっては嬉しくないような気がしたのだ。

「私が……拓海くんと付き合ってるせいで目をつけられた、ってこと?」

 たぶんそうなんだろうな、と思いながら玲奈は拓海を見上げる。拓海は苦しそうにうなずいた。

「ごめん……」

 謝りたくなる気持ちはわかる──とても。でも同時に、黙っていることもできたのでは、とも思う。むしろ黙って知らないふりをしていた方が、拓海は玲奈の隣に立って、同じ立場から犯人を責め立てることができたはずだ。

 でも拓海は正直に話す方を選んだのだ──きっと、その誠実さゆえに。「こんな目に遭わされるならもう付き合えない!」と突き放されるリスクをとってまで。もちろん、玲奈はそんなことはしないけれど。そうやって他人を別れの理由にするのは「誠実」じゃないと思うから。

「……怖かった?」

 拓海が恐る恐る尋ねた。瞳が心配そうに揺れている。

「ううん……気絶させられてて何も覚えてないから」

 正直に、あの当時のことだけを答える。その帰り道で覚えた恐怖は、上手く説明できる気がしない。だから玲奈は話の方向をずらすことにした。

「誰がやったか、見当はついてるの……?」

 もし本当に中学の時と同じ人物の仕業なら少しは絞り込めるだろう。きっと現在も拓海と関係が続いている人間のはずだ。けれど拓海は首を振った。

「正確に誰かまでは……ただ、俺を気に入ってる女子だとは言われた」

 拓海の答えに玲奈は目を瞬いた。「言われた」? いったい誰に?

 気のせいかもしれないけれど、さっきからちょくちょく何か引っかかる。でも何が引っかかっているのかまではわからない。

 なんだろう……もやもやする。でも、今はうまく追及できない。

「……そっか。よかった」

 玲奈は拓海に笑いかけた。が、拓海は怪訝な顔をしている。

「よかった、って……何が?」

 本気でわからない、という表情だった。玲奈は早足で数歩進んでから、笑顔のままくるりと振り返る。

「理由。誰かに嫌われて嫌がらせされてるんじゃないってことでしょ? 拓海くんが好きな子の仕業なんだったら」

 いずれにしても嫌がらせを受けるなら変わらない、拓海もそう思うかもしれない。けれどそこにはれっきとした差があると玲奈は思う。

「大丈夫。人気者と付き合うってこういうことだし。覚悟はでき──」

 続きは思わず飲み込んでしまった。駆け寄ってきた拓海に抱きすくめられたのだ──ほんの一瞬の出来事だった。ワンテンポ遅れて心臓がバクバク暴れ出す。

「これからは俺が守るから──絶対」

 拓海が絞り出すように言った。

「……っ」

 俺が守る──まさかそんなことを言われるなんて。

 間接的には拓海に原因があったとしても、狙われ、手を下されるのは玲奈だ。だからそれとどう戦っていくかは、単純に玲奈自身の問題だと思っていたのに。

(「付き合う」って……こういうことなの?)

 きっと、「彼氏」だ「彼女」だ「恋人」だと、関係や間柄に名前を付けることなんかじゃない。ただ好きと認め合うことでもない。お互いを思いやり、関係に責任を持つことなのだ。「特別な関係」とは、そういうことなのだ。

「……うん。……ありがとう」

 玲奈はかろうじてそれだけ答えた──拓海の腕の中で。

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