第37話 先輩と後輩

「──すいません。松岡拓海先輩、ですよね。サッカー部の」

 前を行く背中に向かってそう声をかけると、拓海はすぐに振り返った。

 祐輝よりも少し高いところにあるその顔は、いかにもさわやかな好青年といった感じだ。性別を問わず人気があるタイプだろう。

「そうだけど」

 さすがに校内なのでそれほど警戒の色は浮かんでいない。だがいったい何の用だろう、とは思われている気がする。

「ええと、入部希望かな?」

 祐輝が一年であることを見て取り、気を回してくれたらしい。だがもちろん用件はそれではないし、サッカー部に入る気もない。

「いえ。ただ、聞きたいことが」

 祐輝の言葉に、拓海は少しだけ眉を寄せた。

「……何?」

 なんとなく、良い話ではないような予感があるのだろう、拓海の声がやや低くなる。祐輝は意識して、拓海の目を見つめた。

「……『今回』は、彼女を助ける気はありますか?」

 とんでもなく礼を欠いた物言いであることは自覚している。けれどこちらも慎重にならなければならないのだった。これでも一応秘密を預かっている身であり、そしてそれを漏らそうとしているのだから。

「な……」

 相手は面識もない一年の生徒なのだ。虚を突かれたに違いない。拓海は大きく目を見開いた。


「何を言ってるのかな」

 拓海はゆっくりと言った。こちらの出方を窺っているのが伝わってくる。普段の拓海を知っているわけではないが、決して頭が悪いタイプではないらしい。

「あの写真を信じるというなら、僕の話は聞かなかったことにしてもらって大丈夫です。佐々木玲奈が、彼氏であるあなた以外の奴とあんなことをする人間だと、本当に思っているなら」

 特に力を込めるでもなく淡々と言う。すると拓海の表情が少し険しくなった。

「俺は……」

 つい口を開いたものの、後が続かないらしい。だがいちいち待っていられないので話を進めることにする。

「以前にも、理不尽な攻撃にさらされた女子がいたんですよね──あなたと付き合っていたことが原因で」

 拓海は表情を変えない。だが少なくとも、知らないと言い張るつもりはないようだ。

「気付いてますよね。自分に信奉者がいること」

 信奉者という表現が適切かはわからない。けれどほかにピンとくる単語がなかった。拓海のことが好きなのは間違いないが、「ファン」というのとも違うと思う。自分が「彼女」の位置に収まることはせず、ただ「悪い虫」から拓海を守るばかりの、そんな人間が、拓海のまわりにはいる。


「……君、名前は?」

 拓海が唐突に話を変えた。そういえばこちらからは名乗っていなかった気がする。こんなふうに話の流れを切られるのは不本意だったが、これは自分の落ち度だった。祐輝は素直に名乗る。

「じゃあ、園田くん。君にとって玲──佐々木さんは、どういう存在?」

(──は?)

 全く想定外の質問が飛んできた。まだ、「君は玲奈の何?」だとか「君と玲奈の関係は?」などと聞かれるのならわかる。だがなぜ今、祐輝にとって玲奈がどういう存在なのかを尋ねられるのだろう。

「……友人、ですね」

 わざとワンテンポおいて、祐輝は答えた。もし「二人はどういう関係なのか」と尋ねられていたとしたら、その時は「先輩と後輩」と答えることしかできなかっただろう。

 おそらく、拓海はそれをわかって言葉を選んでいた。ということは、少なくともこの場面における「正解」は、それではないということだ。

 と、拓海がふっと息をついた。

「……なるほどね。じゃあ続き、話そうか」

 若干、主導権が奪われつつある気がしないでもない。だが別にそれで何か困ることがあるわけでもなかった。仮に二つ上の先輩を言いくるめたところで、何ら祐輝の得になることはないのだから。

 拓海はすぐ近くの空き教室──少人数授業でしか使わない、ホームルーム教室よりもっ小ぶりな部屋だ──の扉を開けた。

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