第34話 告発

 朝の、誰もいない教室は静かだ。教室の外には音があふれているのに、教室の中はしんとしている。自分が立てる音だけが響き、まるで透明な水槽の中にいるような感じだ。

 その後、一人また一人とクラスメイトが登校してくるにつれ、教室はいつものざわめきを取り戻していく。

 ただ、気のせいだろうか。なんだか今日は、いつもと教室の雰囲気が違う気がする。


「──ちょっと玲奈! 何のんきに本なんか読んでんの! 大変なんだから!」

 驚いて声の方を見ると、琴音がこちらに向かってくるところだった。登校してきたばかりにもかかわらず、自分の席に鞄を置くこともしない。

「な、なに……どうしたの……」

 若干気圧されながら尋ねる。けれど琴音は「いいから来て!」と言うばかりで答えない。琴音は怒っているような、それでいて泣きそうな、なんとも形容しがたい表情をしていた。

 前にもこうして朝一番で詰め寄られたことがあったけれど、今回はそれとは深刻さが違うらしい。いったい何があったのだろう。

「玲奈は……しない、よね? 浮気とか」

 半ば引きずられるように廊下を走っていた時だ。琴音がそんなことを聞いてきた。

「しないけど……何? 急に……」

 玲奈の返事に、琴音は少しだけ表情を和らげる。

「あたしは玲奈のこと信じてるから」

 それだけ言って、琴音はまた前を向いてしまった。いったいなんなのだろう。わけがわからないまま、玲奈は琴音の後を追った。


 琴音が玲奈を連れてきたのは掲示板の前だった。各団体からのお知らせだったり進路情報だったり、あるいは大会の結果などが張り出される場所だ。

 その前に、ちょっとした人だかりができている。ほとんどがA4やB4サイズの掲示物なのに、そこには不自然に目立つ、大きな紙が貼られているのだ。玲奈は琴音と一緒に人だかりに近づいてみた。

「……な…に……これ……っ」

 心臓がドクンと嫌な跳ね方をした。わけがわからない。すると、集まっていた生徒たちがこちらに気づき、互いに小突き合った。嫌な感じの沈黙が落ち、ひそひそ声が混じる。

「玲奈、大丈夫?」

 隣で琴音が囁くように尋ねる。それがなんだかものすごく遠くに聞こえた。

 大写しで張り出されていたのは玲奈の写真だった。正確には、かなりきわどいところまで肌を晒した玲奈と、その正面に立つ男性の腰から下が一緒に映っている。

 玲奈の口元には雑にモザイクがかけられていて、決定的なモノは写り込んでいないものの、どんな「シーン」なのかは一目瞭然だった。モザイクが逆にその行為の生々しさを醸し出しているところさえある。

 そして上部には、ご丁寧に真っ赤な目立つ字でこんなキャプションまでつけられていた。


《清楚系ビッチ生徒会長 浮気現場激写!!》


 こんなの知らない、自分じゃない。そう思って自分ではない証拠を探すのに、顔のラインも耳の形もほくろの位置も、自分と同じということばかり明らかになっていく。自分の顔は自分が一番よく知っているのだ。解像度は問題じゃなかった。

 それでも、玲奈がこれまでに一度も、こんな行為に及んだことがないのも事実だった。玲奈以外の誰かによる捏造としか考えられない。

(……もしかして、あの時?)

 思い当たるのはボックス街で首を絞められ気を失っていたあの時だ。医務室でいろいろと聞かされたが、最初から強姦ではなくこれが目的だったのだ。「未遂」ではない。あの時すでに、ちゃんと目的は達成されていた。

(これはもう……お手上げかな……)

 今どき、この程度の写真なら合成と加工でどうにでもなる。なのに、なぜわざわざあんなリスクを冒し、また手間をかけたのか。その理由にはたと思い当たってしまったのだ。

 こんな大写しの写真が出力できるということは、この一件を企てた誰かはデジタルデータを持っているとみて間違いない。万が一玲奈が「こんなの合成写真だ!」と無実を主張したときに、そのデータを出してきて黙らせるのだ。写真が合成か否かなんて、見る人が見ればすぐにわかるのだから。

「……玲奈、玲奈!」

 袖を引っ張る琴音の声で我に返る。その場にいる目という目がこちらに注目していた。が、今更どうしようもない。

 卑劣な悪意にさらされると、人はすべての感情を失ってしまうようだ。玲奈は無表情のまま、まっすぐに掲示板に向かう。そして写真を力づくで引きはがした。ビリビリと紙が破れる音が辺りに響く。

「そうじゃなくて……!」

 琴音のどこか悲痛な声に、玲奈は思わず背後を振り向いた。と、なんとそこには拓海が驚いた顔で棒立ちになっている。自然と目が合った。

「……」

 何か言わなきゃ、という気さえ起こらなかった。それよりもただ、心から申し訳ないと思う。きっとこれのせいで、拓海は「彼女を寝取られた男」というレッテルを張られてしまうことになるだろうから。

 先に目を逸らしたのは拓海の方だった。そのままこちらを振り返ることなく、教室棟の方へと歩いていく。

(終わり、だよね。私たち……)

 呆気ない終わり方だった。

 この場合、失恋したのはどっちということになるのだろう。少なくとも、玲奈の方が悪者になるのは間違いないけれど。

 考えていても仕方がないので、玲奈は掲示板に向き直り写真をはぎ取る作業に戻った。

「……玲奈、追いかけなくていいの? こんなの、嘘なんでしょ?」

 琴音が駆け寄り、玲奈の作業を手伝いながら遠慮がちに尋ねてきた。

「うん。嘘」

 言いながら、玲奈は手の中の紙をくしゃくしゃと丸める。

「……けど、嘘だって信じてもらえるほどの信頼関係は、まだ築けてなかったと思う」

 それが本当のところなのだ。無表情のままそう答えると、琴音は心配そうな顔をしただけで何も言わなかった。

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