第18話 夕闇の中で

(あ、ほんとにいる……)

 校門の陰から様子を伺うと、拓海は宣言通り門の外、少し離れたところで玲奈を待っていた。一人のようだ。

 他の部員はまだ校内に残っているのか、あるいは先に帰ってしまったのか。いずれにしても、玲奈にとってはありがたかった。たくさんの部員に囲まれている拓海に、自分から声をかける自信はない。

「あっ、おつかれ」

 拓海はこちらに気づくと、軽く右手を上げて合図した。

「ごめんね。お待たせ」

 時間はぴったりのはずだけれど、待ってもらっていたことは事実なのでそう口にする。拓海は「そんなに待ってないよ」と首を振った。

「じゃあ、行こうか」

 拓海の言葉を皮切りに二人は歩き出す。そういえばどこに行くのだろう。一度ゆっくり話したいと提案したのは玲奈の方なのに、具体的なことはなにも考えていなかった。さすがに申し訳なくなってくる。

「あ、こっちね」

 そう言って拓海は道を曲がった。駅からは少し遠ざかる方向になる。玲奈もあまりなじみのない地区だった。拓海の隣を歩きながら、頭の中で位置関係を整理する。

 しばらくして拓海が立ち止まった。横からのぞき込むと車止めが見える。

「あ……」

 車止めの向こうに広がる空間には、カラフルなすべり台やブランコがのぞいていた。小ぶりな公園らしい。拓海がこちらを振り返る。

「この時間はいつも誰もいないから、ゆっくり話せるかなと思って。穴場でしょ」


 玲奈は拓海と二人、公園の中の木のベンチに腰を下ろした。

 もう日が沈んで空は真っ暗だけれど、公園の中は街灯にぼんやりと照らされて薄明るい。こんなところにこんな公園があったんだ、と遊具を眺めていると、隣から名前を呼ばれた。

「オレンジとグレープ、どっちがいい?」

 拓海の手には缶ジュースがあった。驚いて目で問うと、拓海は優しく微笑んだ。

「さっき早く着いたから買っといたんだ。ただのジュースだけどよかったら奢られて」

 待たせた挙句ジュースまでごちそうになるのはさすがに申し訳ない。けれどなんとなく遠慮するべき場面じゃないのが察せられて、玲奈はありがたく頂戴することにする。

「グレープ、もらおうかな……ありがとう」

 ジュースを受け取り、二人で乾杯した。


「……ゆっくり話したいっていうのは、何か聞きたいことがあったってことかな?」

 拓海がさりげなく水を向ける。玲奈はためらいながらもうなずいた。拓海が気を利かせてくれたが、本当なら自分から切り出すべきだったと反省する。

「……今でも、気持ちは変わらないの?」

 外階段での告白からはまだ一週間程度しかたっていない。

 もちろん、「あ、やっぱり気が変わった。忘れて」なんて言われるとは思わないのだけれど、他に切り出し方がわからなかった。

 一呼吸おいて、拓海がうなずく。

「変わらないよ。……好きだし、付き合いたいと思ってる」

 その言葉に、玲奈の心臓が大きくどきんと鳴った。わからない。嬉しいのか、それとも苦しいのか。玲奈は大きく息を吸った。

「私、松岡くんが思ってるような人じゃないかもしれないよ?」

 言いながら、拓海はいったい自分の何を見て好きになってくれたのだろうと改めて思う。もしかしたらよく知らないからこそ、好きだなんて思えるのかもしれない。

「そう……かもね。でもそれってお互い様じゃない?」

 拓海の言葉に玲奈は目を瞬く。お互い様、というのはどういう意味だろう。答えられずにいると、拓海が再び口を開いた。

「佐々木さんだって、俺がどんな人間か百パーセント知ってるわけじゃないでしょ?」

 百パーセントどころか、拓海についてはサッカー部のキャプテンを務めるB組の男子生徒という程度のことしか知らない。気が利いて、空気が読めて、良い人らしいということはわかってきたけれど。

「……松岡くんに好きって言ってもらえてすごく嬉しかった。けど、付き合うっていうのは正直あんまりピンと来なくて」

 慎重に言葉を選んでいく。拓海は声を出さずにうなずいた。

「すごく失礼かもしれないけど、私は、松岡くんのこと好きってわけじゃないと思う」

 玲奈の言葉に拓海の表情が曇る。

「だから松岡くんと付き合う資格は、私にはないと思う。ごめんなさい」

 玲奈は拓海に向かって頭を下げた。どうしてなのかはわからない。けれど胸がちくりと痛んだ。


(……え?)

 気のせいだろうか。今、笑い声が聞こえたような……。

 そう思って恐る恐る顔を上げてみる。と、案の定拓海が笑いをかみ殺していた。

「え、私何か変なこと言った?」

 半ば呆然としながら尋ねると、拓海は慌てたように首を振った。

「いや、変じゃないんだけど。真面目っていうか……いや、なんでもない。真剣に考えててくれたんだなって思って」

 そこまで言って真顔に戻る。

「あのさ。資格とかそういうの全部一回抜きにしたら、佐々木さんは俺と付き合ってもいいかなって思う?」

 真剣な表情で聞かれ、思わず答えに詰まってしまった。

「今の時点で、俺のこと好きじゃなくてもいいよ。好きになってもらえるように俺が頑張ればいい話なんだから」

 そう言って拓海は微笑んだ。その優しい笑顔に胸が痛む。

「でも、松岡くんだけがそんな風に頑張るのってなんか不公平っていうか──」

 玲奈が言いかけたのを拓海が遮った。

「──だからそういう理屈全部抜きにしてってば」

 笑いながらそう言って立ち上がる。玲奈は反射的にその姿を目で追った。

「……佐々木さんは、俺のこと嫌い?」

 少し離れたところに立った拓海が静かに尋ねる。玲奈は慌ててて首を振った。嫌いなわけじゃないのだ──決して。

「今は好きじゃなくてもいい。この先も好きになってもらえない可能性だってあるけど……その時はきっぱり諦める。だから、チャンスもらえないかな」

 拓海のまっすぐな目が玲奈の心に突き刺さる。

「……俺と付き合ってください」

 その言葉とともに、右手が差し出された。

(私は……)

 どうするのが正しいのか、どんなに考えてもわからなかった。きっと答えはひとつじゃないし、そのどれもが正しいかもしれず、あるいは間違っているかもしれない。けれど。

(私たちは私たちなりの答えを出せれば、きっとそれでいいんだと思う)

 その答えが正しいかどうかを決めるのだって、本人たちなのだから。だからこそ、こうして二人で話をしたのだ。


 玲奈は静かに立ち上がり、所在なくたたずむ拓海の手を取った。

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