第10話 秘密の花園
「……!」
扉の向こうに広がっていたのは、なんともおしゃれな空間だった。スタイリッシュながらも、あちこちに嫌味のない装飾が施されている。さながら高級ホテルのロビーのようだった。高級ホテルのロビーなんて、映像や写真でしか見たことないけれど。
「来たわね」
どこか挑戦的な声がした。内装にばかり気をとられていた玲奈はばっと声の方を振り向く。そこにいたのは迫力のあるタイプの美人だった。いくつぐらいなのだろう。年齢に全く見当がつかない。
「ユッコさん、この人の髪、なんかいいアイデアない?」
祐輝の遠慮のなさから、ある程度は親しい間柄なのだろうと察せられる。類は友を呼ぶとは言うけれど、イケメンの周りには美女が集まるのだろうか。
「あんたねえ……うちだって慈善でやってんじゃないんだから」
祐輝にユッコさんと呼ばれた彼女は呆れたように言った。
(なんだろう、私、来てはいけないところに来てしまった?)
高校生が制服で足を踏み入れる場所ではないことは間違いなさそうだ。大丈夫なのだろうか。にわかに不安がぶり返してくる。
「──ねえあなた」
急に声をかけられ、玲奈は文字通り飛び上がってしまった。どうしよう、怒られるだろうか。
「私は江良百合子。このサロンのオーナーよ。お名前を教えてくれるかしら」
見た目の迫力とは裏腹に、威圧感を感じさせない優しい声だった。
「は、はじめまして。佐々木玲奈です」
慌てて言ってぺこりと頭を下げる。
「佐々木さんね。提案なんだけど、もしよかったらカットモデルやってみない?」
思わぬ言葉に玲奈は目を瞬いた。
「カットモデル、ですか……」
今までカットモデルに誘われたことなんてないし、今一つ何を求められているのかよくわからない。カタログに載るようなモデルなんてさすがに無理だと玲奈は思う。
「あっ、もちろん伸ばしたいのなら無理に切らなくてもいいわよ」
玲奈が考え込んでしまったのを見て百合子があわてて言った。
「いえ、切るのは全然大丈夫です」
進級前に心機一転、髪でも切ろうかななんて思っていたのにバタバタしていて結局行き損ねていたし、むしろちょうどいいくらいかもしれない。もともと髪型にだってそんなにこだわりはないのだ。よろしくお願いします、と頭を下げる。
「よかった。ちょっとここで待っててくれるかしら」
そう言って百合子は店の奥へと姿を消した。
玲奈は祐輝を振り返る。
「ねえ、今どういう状況? ここって一体どういうお店?」
あれやこれやに圧倒されているうちに話が進んでしまったけれど、いまだによくわからないことが多すぎる。
「まず、ここはトータルビューティーサロン。そして、生徒会長は大改造計画の最後の仕上げのためにここに来ている。で、今カットモデルをやることで話がついたところ」
祐輝がすらすらと言った。トータルビューティーサロンということは、単なる美容室と言うわけではないらしい。それでも祐輝にとってはなじみの店なのだろうか。
「カットモデルってどうすればいいの」
切るのはいいと言ったものの、さすがに急にベリーショートになる勇気はない。
「ああ、そんなの……」
祐輝が口を開きかけた時、さっき百合子が姿を消したドアから別の女性が現れた。
「ほんとに祐輝じゃん! 珍しい!」
これまたはっとするような美人だった。トータルビューティーサロン──これはとんでもなく恐ろしい店かもしれない。玲奈は思わず祐輝を振り返る。
「……二番目の姉」
ため息交じりに祐輝が言った。
「え」
確かに、言われてみれば似ているかもしれない。やっぱりイケメンのきょうだいは美男美女ぞろいなんだと変に納得する。
「あなたが佐々木さんね? カットモデルになってくれるっていう」
玲奈はぎこちなくうなずく。ということは、この人が切ってくれるのだろうか。
「私は葵。よろしくね。さっそくだけど、希望とかこだわりはある?」
キラキラと細かいラメが輝く目でのぞき込まれどぎまぎしてしまう。
「ベリーショートみたいな短さじゃなかったらなんでも大丈夫です」
玲奈が言うと、葵はにっこりと微笑んだ。
「とにかく似合わせてやって。あお姉」
後ろから祐輝のそんな声が聞こえる。葵は「もちろんよ」と親指を立てた。
「めちゃくちゃかわいくしてあげる。もちろん今でも十分かわいいけどね」
そう言って葵は、どこかで見たような不敵な笑みを浮かべた。
葵に案内されたのは、小ぶりな美容室のような部屋だった。玲奈は葵に言われて回転式の黒い椅子に腰かける。
「あの、カットモデルってどうしたら……。私やったことなくて」
葵を振り返りながら言う。すると葵は笑って首を振った。
「いいのいいの、そんなに固くならなくて。平たく言えば練習だから」
葵の説明によると、お店のホームページやカタログの「施術例」になるのは「サロンモデル」らしい。一方「カットモデル」は新米美容師の練習台を指すとのことだ。
「ま、私はもうカットできるんだけどね」
葵が独り言のようにつぶやく。ということは、よくわからないけれど「カットモデル」なんて必要ないのではないだろうか。
「……ところで。正直に答えてほしいんだけど、切りたいなって思ってた?」
葵が鏡越しに見つめてくる。どうだろう。絶対に切りたかったかと言われたら、それほどでもないような気がする。
「切ってもいいかな、とは思ってました」
玲奈がそう答えると、葵は心を決めたようにうなずいた。
「よし! 今日はカットはやめましょう──カットモデルって言ったけど。それよりももっと大事なことを身につけちゃうの!」
ロビーに戻ってくると、ベルベット調のソファで祐輝が居眠りをしていた。ゆうに一時間以上はかかってしまったのに、ずっとここで待っていてくれたようだ。待ちくたびれさせてしまったようでなんだか申し訳ない。
にしても、おしゃれなソファには不釣り合いな制服姿で居眠りをしているというのに、顔が良いので妙に絵になっている。と、気配に気づいたのか祐輝が目を覚ました。
「あ、お疲れ」
そう言って軽く伸びをする。それから玲奈の顔をじっと見て微笑んだ。
「いいじゃん。似合ってる」
相変わらずストレートだ。でも祐輝がこういう時にわざわざお世辞を言うようなタイプじゃないことはわかってきていたし、素直に喜ぶことにする。たぶん、祐輝のそんな言動に慣れてきたのもあると思う。
「ありがとう。葵さんが、『顔のラインがきれいだからアップにする方が絶対似合うよ』って」
玲奈の後頭部、耳より少しだけ上でポニーテールが揺れる。これは葵の指南を受けながら、玲奈が自分で結ったポニーテールだった。というのも、葵が「今だけじゃ意味ない」と言ったからだ。
曰く、「私が今この場でめちゃくちゃかわいいセットをしてあげることはできるし、その方がはるかに簡単なの。でも今だけかわいくても意味ないでしょ。いつでもなりたいときにかわいくなれるようにならなきゃ!」とのことだ。
葵の手際には到底かなわないものの、玲奈自身としてはなかなかの出来だと思っている。
「学校用にこのポニーテールと、他にもいくつかやり方教えてもらったの。お出かけ用とか、デート用とか」
まあ彼氏なんていないけど、と小声で付け足す。その手の話をしたことはないけれど、祐輝には多分ばれているだろう。
「──あお姉、ありがと」
祐輝の声につられて振り向くと、ちょうど葵が出てきたところだった。玲奈はお礼を込めて頭を下げる。
「スタイリングで困ったことがあったらいつでも聞きに来てね」
そう言って葵は微笑んだ。その顔が素敵すぎて、玲奈は思わず見とれてしまう。が、祐輝の声で玲奈の意識は引き戻された。
「じゃあ、生徒会長。送ってくから」
すでに荷物を手にしている。確かに、結構な時間になっていた。厳しく門限が決められているわけではないけれど、そろそろ帰った方がいいだろう。
葵に丁重にお礼を述べ、玲奈は祐輝とともに店を出た。
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