第9話 集まる視線

 最近、「明るくなった」とよく言われるようになった。どちらかと言えばおとなしい性格なのは否定しないけれど、決して暗いというわけではないと思う。

 それなのに明るくなったと言われるのだから、もとが相当暗く見えていたということなのだろう。一番にはおそらく、姿勢の悪さが原因で。

 背中が丸まり、視線が下を向きがちなだけで、「暗そう」だとか「自分に自信がなさそう」だとか、そういう風に見られる。

 逆に言えば、背筋を伸ばし前を向いて生きているだけで、他人からの評価が大きく変わる。

(中身はそんなに変わってないんだけどね……)

 祐輝の外見特化版マイ・フェア・レディ計画の効果は想像以上だったといえる。そしてついに今日、この計画は最終段階である第三部へと進むことになっていた。

(でも「最後の仕上げ」って、何なんだろう?)

 考えるともなしに考えながら生徒会室に向かっていると、途中で祐輝と出くわした。

「あ、生徒会長。いいところに」

 そう言って祐輝は玲奈の前にそれとなく立ちはだかる。

「……どうしたの? 生徒会室行くんじゃないの?」

 不思議に思って尋ねると、祐輝はあの不敵な笑みを見せた。

「今日はちょっと、ついてきてほしいとこがあるから」

 そう言ったかと思えばもうすでに歩き出している。生徒会室とは逆方向だ。

「どこに行くの?」

 玲奈が立ち止まったまま尋ねると、祐輝は首だけで振り返った。

「行ってみてのお楽しみ。それじゃ、この後校門で」

 それだけ言うと、さっさと行ってしまった。

(校門ってことは、校外?)

 一体どこに連れていかれるのだろう。


「それで、どこに行くの?」

 校門を抜けたところでもう一度同じことを聞いてみた。祐輝に答えるつもりがあるのかはわからないものの、気になるものは気になる。

「秘密の花園」

 聞き間違いだろうか。意味が分からずに呆然としていると、祐輝がぷっと吹き出した。

「いや、喩えだから」

 いや、喩えなのはわかっている。玲奈もさすがにプライベートガーデンに連れていかれるとは思っていなかった。質問の仕方を変えてみる。

「どこにあるの?」

 すると、祐輝は電車で十数分ほど離れたところの地名を口にした。

「え、じゃあ電車移動?」

 玲奈の言葉に祐輝はうなずく。

「まあ、でも駅からはすぐだから」

 そう言って機嫌よく歩いている。いったいどこへ連れていかれるのだろうか。電車に乗るということは祐輝の自宅に向かっているのではないのだろうけれど(祐輝は自転車通学で、今も玲奈の横で自転車を押している)。

(さすがに危ないことはないよね? 大丈夫だよね?)

 一抹の不安を覚えながらも、玲奈は祐輝について駅へと向かう。


「なんか……イケメンってすごいね」

 玲奈の口から思わずそんな言葉が漏れた。祐輝本人も「注目されるのには慣れている」と言っていたが、本当に異様なほどの視線を集めているということが、隣にいるとはっきり実感できるのだ。

 ちらちらと見るだけの人もいれば凝視する人もいるし、中にはついでにこっちまで見ていくような人もいて、なんだか居心地が悪い。

「……まあ。面倒だから基本誰とも目は合わせないようにしてる」

 感情のこもらない声で祐輝は言った。きっと、平凡な顔立ちの人間にはわからない苦労があるのだろう。

 今みたいに電車に乗ってしまえば逃げ場がないし、ほらまた、他校の女子高生集団がこちらを見ながらこそこそ会話している。

「え、やばくない? 超イケメン」

「でも女子いるじゃん彼女かな」

「どうだろ。けど付き合ってるって感じじゃなくない?」

「じゃあ友達? あ、後輩かな?」

 意識して耳を傾けてみればそんな会話が聞き取れてしまった。そうか、彼女に見えないのはわかっていたけれど先輩にすら見えないのか。比較的小柄なせいもあるのかもしれないけれど、入学後間もない一年生の後輩に見られてしまう三年生とは。

「なんか、大変そうだね」

 つい少し同情してしまった。注目を集めるということは、やっぱりその分敵視もされやすいだろうし、面倒ごとに巻き込まれる率も上がりそうだ。芸術作品でも芸能人でも、人気が出ればアンチも増えるとよく言うし。

 と、祐輝が軽く顔をのぞき込んできた。少しどきりとしてしまう。やっぱり整った顔立ちというのは、それだけで独特の破壊力があると思う。

「生徒会長も、その気になれば軽くこっち側に来れちゃうと思うけど。というか、半分くらい来かけてる」

 思わぬ言葉に玲奈は絶句した。

「……はい?」

 あちら側に行きかけている、なんて。祐輝のおかげで見違えるレベルになったのは認める。けどそれでも、祐輝との間には越えられない壁が分厚く立ちはだかっていることくらい、自分でよくわかっていた。

「あ、信じてない顔。まあ、すぐにわかることだから──次、降りるよ」

 祐輝がそう言った直後から電車は徐々に速度を緩め、完全に停車した。先立って電車を降りた祐輝は、慣れた様子で改札階へと向かっていく。

 玲奈にとっては初めて降りる駅だった。ビジネス街だからか特急も止まる大きな駅だけれど、だからこそこれまでほとんど縁がなかったのだ。

 駅を出てからも祐輝に迷う様子は見られない。と、間もなくとある雑居ビルらしい建物の前で立ち止まる。

「生徒会長、ちょっとここで待ってて。すぐ戻るから」

 くるりと振り向き早口で言ったかと思うと、祐輝は玲奈の返事も聞かず階段室へと消えてしまった。

「え!? ちょっと……」

 一人取り残されると急に不安になってしまう。自分は一体どこに連れていかれるのか。そこで何をされるのか。祐輝はどこに突然行ってしまったのか。すぐとは言っていたけれど、どれくらいで戻ってくるのか。そんな疑問が頭の中にぐるぐると渦巻く。


 が、祐輝は本当にすぐに戻ってきた。「こっち」とエレベーターの方へ手招きしている。

「……なんだったの?」

 玲奈はエレベーターに乗り込みながら尋ねた。

「確認。お客さんいると鉢合わせは気まずいかなって。でも今は大丈夫っぽいから安心して」

 お客さん、とは。今から行く場所はお店なのだろうか。問い返そうと口を開きかけた瞬間、ポーンと音がしてエレベーターの扉が開いた。祐輝は「開」ボタンを押して玲奈を先に降ろしてくれる。

 お礼を言ってフロアに降り立つと、目の前に現れたのはおしゃれなすりガラスの扉だった。

「サロン……デラ?」

 扉には“Salon d’Ella”と書かれたプレートがさがっている。

「生徒会長、フランス語読めるんだ?」

 感心した様子で祐輝が言った。玲奈は慌てて首を振る。

「ううん。ローマ字読みしただけ」

 読めるどころか、これがフランス語であることにも自信がなかったくらいだ。外国語は英語しかわからない。

「それじゃ、行きますか」

 どこか楽しげに言って、祐輝はガラス扉を押し開けた。

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