剣劇文庫

飯沼孝行 ペンネーム 篁石碁

プロローグから始めよう そして第一幕が上がる……


 言葉の怖さ。生まれる言葉の群れに恐れを抱きつつ、人類は言葉で接触をする。

 問題はその方向量だ。綺麗な言葉、悪口、その方向量は様々だ。

 この小説の言語ロゴス方向量ベクトルは剣呪劇。「剣皇文庫」の所持者は、僕、明王あきお乃白瑠ノベルだ。

 想像力は創造力。僕が持っている「剣皇文庫」は時代劇を扱う。

 時代小説を書くには、色々な修行を何年も積まなければならない。

 僕は心の中で師匠について勉強し、漸くこの小説を書くお許しを得た。

 小説の方向量を分類するとすれば、純文学、時代小説、ファンタジー小説とあるが、元は一枚の紙から始まる。その一枚の紙を重ね、その平面空間に文字を連ねる事により、文庫本という一点に集積させ、積層構造を形成させる。それが構想(高層)マンション型の文庫本だ。それを言葉の神殿と言う。

 小説は怖い。もしフィクションが現実とリンクしてしまったらどうだろう。その恐ろしさは現実の例で明らかだろう。皆フィクションが現実になる恐怖をわかってはいない。

 ある悲劇の小説が現実になったらどうだろう。現実に存在する人間の名前が小説に登場して、その人の運命を操ってしまったらどうだろう。答えは言わずもがなだ。

 紙は純白だ。純粋無垢と言っていい。その紙が、神と呼ぶ存在の音と同じ読み方をするのは単なる偶然の一致では済まされないだろう。

 言葉が心を支配する。心は言葉で表現出来るか?! 心が言葉を支配する。感情が言葉を支配するから。これが陰陽の理。心と言葉は不可分だ。

 小説家は、自分の心を理解して貰う為に記号とも言うべき言葉を羅列する。

 文字と音の結婚。文字を読んでそれを心の声として認識して、心に再構成するのだ。

その訓練の為に、人は、音を聞き、文字を読んで勉強する。

 出来ますれば、この小説が青少年の心の発達に一役買えますよう祈りつつ、プロローグと代えさて頂きます。以上、主人公、明王乃白瑠の心の声、決意表明でした。



 一章


想像イマジン世界ワールド」を揺るがし、多くの「想像イマジン国家ネーション」を巻き込んだ《象魔大戦》から一年。僕明王乃白瑠は現実世界に生還し、大江戸モード学院ノベルズ科を無事卒業した。

卒業式の時、学院講師の「卒業したからといって小説家としてデヴュー出来る訳ではないよ。君達の前に広がっているのは茨の荒野なんだ!」という言葉の通り、今も小説新人賞に落ち続け、田舎の親からはすぐに就職しろ! と、せっつかれる毎日……。

 そんな僕を救ってくれたのは、「想像世界」で一緒に戦った、ベルサトリ=ウィズダム編集長と編集者の萩尾小桜さんだ。二人は上層部との確執から出版社を退社し、小さな編集専門会社を始めた。

 編集長は有望な新人を発掘し、大手の出版社では出版出来ない作品を世に出す為だと言っていたが、出世欲の塊のような小桜さんが一緒に辞めたのは意外だった。あの戦いで小桜さんも変わったのだ。

 僕は小説家としてデヴューする為に二人の特訓を受ける傍ら、その編集専門会社、《ベベルゥ=モード》のアルバイトとして籍を置く事になった。

 僕の仕事? それを語る前にこれから話さねばならないだろう。

 僕らは日々考え想像する生き物だ。それは人間だけに限らない。

 ある草食動物は高い樹木の葉を食べられたらなぁ……と想像する。そして自然に環境適応し、遺伝的変異の結果、進化を遂げてキリンとなったと言われている。

 つまりコンプレックスだ。気にすると肉体も変化する。そこに電子が集中し、ベータプラス崩壊で映像化するからかもしれない。想像上の自分になる為に、その方向性へと自分が適応してゆく。その方向性が遺伝子に埋め込まれて、変化が始まるという理論。進化では無く変化なのかもしれない。

 あらゆる生物にとって想像力とは生き残る為に必要不可欠な能力なのだ。

 想像力……。それは学問的には、「再生的想像力」と「創造的創造力」に区別される。前者は、過去に経験した事柄を後で思い浮かべるという「想像力」であり、後者は、過去の経験事象と同一ではない全く新しい心象を思い浮かべるという「想像力」の事である。

 仏蘭西の哲学者ガストン=バシュラールによれば、想像力とは知覚によって後天的に獲得されたイマージュを変形し、古い既成のイマージュへの固着から我々を解放する創造的能力の事であるという。その想像力によって産み出された想像物とは、その生物の頭の中に於ける心的作用によって作られ、閉鎖的に与えられた心的空間を範疇とする諸事象の事である。それはその個人だけの頭の中でしか生きられない。

 それを他者に伝える為、まだ形のないその想像物に人間は言葉や絵によって形を与え、その存在を他者に認識させるのだ。

 そうやって人は自分の頭の中で作り上げた言葉の群れ、文章を組み上げ、物語として紡いでいった。

 そうやって全くの想像で完成された想像物を「ファンタジー小説」と云い、それを生業とする職業を「ファンタジー小説家」と云う。

 つまり同じ文章を読む事で、その人の世界に同化する。同じ世界を共有する共有者となるのだ。それが出版だ。世界の、理想的世界の共有。

 少し視点を変えてみよう。「臨死体験(nearーdeath experience)」という不可解な現象がある。事故や病気で死にかけ、その特殊な肉体的・精神的状況の際、幽体離脱状態となり、自分の躰を上から見下ろしていたり、故人に出会ったり、死後の世界を垣間見るという、アレである。

 その「臨死体験」者は、東洋では三途の川や仏様のおられる極楽浄土を。西洋ではイエス=キリストの治める天国を見てきたという。

 その「臨死体験」の際に見る光景は、その個人の持つ宗教的なイメージによる主観的ビジョンとされる。言わば死後の世界とはこういうものだという、あくまでも自分がイメージした自分が思っている世界。そう「想像世界」に他ならないのだ。

 「想像世界」は存在する! 見てきた当の本人が言っているのだから間違いない。

 当然だ。我々は、夜中、夢を見る。それが「想像世界」なのだ。   

人間を含め、この世の全ての生き物が頭の中で考え出した「想像世界」は、異次元に於いて、それぞれ「想像国家」として存在しているのだ。西洋では、「聖書」が説く「天国」として存在し、東洋では様々な仏典が説く「極楽浄土」として存在する。

 大抵の人は死後己が信じる「想像国家」で生きる事になる。

 小説家。彼らは自分が生前創り出した小説の世界、「想像国家」で暮らす。その「想像国家」には、その小説を読んだ読者をも取り込み、小説の舞台となる場所で、その登場人物が存在し、起承転結という一連の文章の流れを永遠に、輪廻として繰り返している。

 それからの脱出こそ仏教の解脱に他ならない。

 しかしその「想像国家」が必ずしも善なる存在であるとは限らない。過去、何百万という小説家、及び小説家志望者が作り出した「想像国家」の中には、悪意に満ちた小説から形作られた国家も少なくない。

 そうした悪の「想像国家」を「悪化想像国家」と言い、善なる「想像国家」を「善化想像国家」と言う。その両者が戦ったのが《象魔大戦》だった。

 「剣劇文庫」の所持者である僕、明王 乃白瑠とその編集長ベルサトリ=ウィズダムさん、それにその編集者萩尾小桜さんの三人は、僕が書いた小説が産み出した「想像国家」が《象魔大戦》を左右する程の言語力を持っていた事から、その《象魔大戦》に巻き込まれた。

 僕達三人は、他の「文庫」の所持者と共に、人工的に臨死体験をさせる装置、小型のピラミッド型の帽子「オシリス・キャップ」を被り、変成意識状態となった後、心理学者のユングが説く「集合的無意識」、「絶対知」とも呼ばれる《神》と接触した。

 所謂ユダヤ教に於ける「神秘的合一」である。その《神》という名の「集合的無意識」は、様々な意識の集合体なのか、根本の統合意識を失い、エゴを失っている。つまり無我。私欲が無い。無私。我を捨てている存在が他なのか、それとも二人称としてのYOUなのか。相対的な誰かに対しての誰かとしての鏡の立場で、相手を是認するのか否定するのかは、自分側の態度によるのだろう。

 《神》が全ての存在を無条件で愛する、許しを与える存在だと認識されている。 つまり神は犯罪者の抱える想像国家と接触する事になっている。

 イザヤ書52章には、メシアであるインマヌエルは神と共に歩み、インマヌエルは全ての犯罪者に会うと預言されている。

 二十世紀末、人類が産み出す性欲等の欲望、即ち「リビドー」に起因する想像物、「悪化想像国家」が膿となって、集合的無意識を侵食する速度がその自浄能力速度を凌駕してしまった。欲望の増大。特に金とセックス。

 此処に至って《神》の意志の下、人間の欲望が産み出した「想像国家」を排除すべく、「善化想像国家」と「悪化想像国家」との間に大戦が勃発した。

 これが《象魔大戦》であり、世に言う異次元、即ち天界に於ける天使と悪魔との大戦争の事である。僕達三人は、その戦いに「善化想像国家」連合側として参加した。それは僕の家、即ち明王家が『ひと明皇あみ』一族と呼ばれる家で、その中で代々不動明王を祀る家柄だったからだ。

 全ては心の中の平安を求める為。その心の中の戦争こそ創造力戦争だった。新たなる世界を、未来を創造する。その義の小説を放送する側として、僕は居た。

 仏教では魔を祓う存在がいる。その最も代表的なのは不動明王である。

 キリスト教の天国、仏教の極楽浄土等の、強大な「善化想像国家」に於いて、問題ある想像力の侵略を阻止するのが、大天使ミカエルを長とする天使軍であり、不動明王達と聖典ではされてきた。宗教違う時、登場する存在の名前も違う。

 僕はその不動明王の幻力をその身に宿す『仁明皇』の継承者だった。 

 僕の武器は不動明王の持つ《降魔の剣》などではない。

 「ペンは剣よりも強し」。リットンの戯曲「リシュリュー」の中にある言葉。僕は『仁明皇』一族に伝わる剣型のペンで「剣皇文庫」という文庫本の白紙のページに、文章を綴る。

 それを校閲するのが編集者の萩尾小桜さんだ。彼女の校閲を受け、編集長のベルサトリさんがGOサインを出す。それを経て初めて、僕の想像力から産まれたその言葉は忽ち現象化し、言葉の通りに現実となるのだ。

 その神の本が悪魔に利用されないように護る。

 え?! 小説が現実になるのを恐れているのに、文章が現実化するのはどうかって?!

 いい未来は実現する。皆が丸く、大団円。それがファンタジーの鉄則なんだ。


 その「剣劇文庫」で召還出来る聖霊は、時代小説が産み出した一流の剣術者の電波教育を受けた「剣皇」だ。一番修行した剣術家。女性を抱かなかった偉大な巨大霊こそ宮本武蔵。彼の力を得て、僕らは《第三次象魔大戦》で「悪化想像国家」を打ち破り、「善化想像国家」連合側に勝利をもたらした。

 笑っちゃうだろ? 眼鏡を掛け、付いたあだ名は「ノベ太」。貧弱そのものの僕が想像力で書いたキャラクターが多くの「想像国家」を救ったんだ!

 しかし、現実の小説の新人賞には落ち続ける毎日……。

 僕達が戻り、《象魔大戦》終了後の日米の動きは迅速だった。世界は二度と《象魔大戦》を起こすまいとした。出版物に対しての倫理規制。

 出版物の影響を受けた存在が二通りに分極し、過激に行動するベクトルと、無意味に生きるベクトルと、世界を変えようとする社会を創造する為の想像を言葉で具現化する出版物と、生きる為には無意味ではない欲望を昇華する為のデイリーな情報は、流され、読み流され、再生への流れへと帰してゆく。

 特異な想像力による想像物、即ち青少年に悪影響を与える恐れのある小説から産み出される「想像国家」を排除する。

 それは思考体としての情報が与えた言葉によるインプットを阻止する為のウイルスの排除方法を求めていたのだ。

 生まれつつある想像物、つまり小説を、想像段階で規制しあらゆる手段をもってその完成とその出版を阻止する。戦前のような検閲の復活。発禁処分。思想統制……。

 その為に日本では「想像思想物規制法案」が施行され、科学文部省に文学史研究室が設置された。其処に属する国家公務員は、俗に「始末屋イレイザー」と呼ばれる。

 彼らは各出版社の新人賞に応募された、何万、何十万という小説から産み出された「想像国家」にトリップし、それが「悪化想像国家」と認定された場合は、それを始末、消去する仕事を請け負っていた。

 だが問題なのはその最終判断が一人の手に、そう科学文部大臣一人に委ねられているという点だ。

 東京平成大学文学部出身の、現在の科学文部大臣、冴元さえもと香梨亜かりあは、純文学一辺倒でファンタジー小説をクズ小説としか見ていない。何せ《象魔大戦》を引き起こした直接の原因は、日本人のファンタジー小説家が書いた小説が産み出した「想像国家」にあったからだ。

 当然彼女の手により、多くのファンタジー小説が、日の目を見る事なく闇から闇へ葬られ、始末屋イレイザーにより、青少年に夢と笑いと少しのHを提供し、死後生は此処で暮らしたいと思わせる、健全な「想像国家」、理想郷が消去されていったのだ。

 大手の出版社のファンタジー小説系の文庫は、軒並み廃刊に追い込まれた。ベルサトリ=ウィズダム編集長と、編集者の萩尾小桜さんが勤めていた出版社も例外ではなかった。

 多くの編集者とファンタジー小説家は地下に潜り、同人誌を発行し続けた。

 そして現実世界では小説家は警察により摘発され、「想像世界」でその小説から産み出された「想像国家」は科学文部省文学史研究室の始末屋により消去される。反逆としての新しい理想社会を描く小説の摘発。その鼬ごっこが繰り返された。

 編集長と小桜さんが立ち上げた編集専門会社ベベルゥ=モードは、その同人誌G・I誌ファンタ人伝でファンタジー小説を発表したい小説家に対する窓口のような仕事及び、何とか規制に引っ掛からないように、堂々と出版出来るように小説のストーリーやキャラ設定を変える等のアドバイスをする仕事していた。

 そしてその《ベベルゥ=モード》にアルバイトとして籍を置く僕の仕事は、「想像国家」が消去される時に放出する怨念、即ちその「想像国家」に居住していた登場人物の魂を成仏させ、その「想像国家」に言わばエキストラとして参加していたその小説の読者の魂を別の「想像国家」へと導く事。それが、道と道を繋ぐ、僕達を救う救世の道なのだ。

 しかし、仕事はそれだけにとどまらない。

 純文学や時代小説等の大衆文学の大御所が、無名の若い頃に執筆したダメ作品を残しておきたくないから成仏させて欲しいとか、漫画家からも依頼は来る。最終回で悲劇的な結末を迎えさせてしまった主人公や敵役のキャラを、せめて「想像国家」では幸せに暮らさせて欲しいとか、という仕事。

 はたまた、女子校の生徒が授業の課題で書いた恋愛小説が、現実に彼女と担任教師との不倫をモチーフにしたものだからと、その作文から産まれた「想像国家」を消去して欲しいと、その学校の校長が駆け込んで来た事もあった。

 最近多いのが、ゲーム製作会社からの依頼である。ゲーマーに倒されたモンスターの魂を成仏させて欲しいそうだ。

 あっ?! モンスターのお葬式を挙げる美少女。これ、今度の小説に使えるかも。

 そして、今日も仕事が舞い込む……。

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