第35話 一つだけ

「くそ……!」


 おれは苦労して瓦礫の中から這い出た。


 どうやら壁が崩れ、屋根が落ちてきたらしい。

 石や煉瓦造りの家であれば死んでいた。とはいえ、おれの膂力では固めた泥の壁や茅葺の屋根を押し退けることでさえ大変な重労働だ。

 ソラだったらきっと発泡スチロールを退かすかのごとく易い作業なのだろうが。


 村は赫然と輝く炎に覆われていた。


「……嘘だろ」


 目を回していた時間は五分にも満たないはずだ。

 いくら木や植物を多く含む建造物ばかりだとはいえ、一つや二つの火種がこうも一瞬で村の隅々まで燃え拡がるはずがなかった。

 炎は悪意を以って、村全体にばら撒かれている。

 例えば、火の魔法を扱う者が数人いて、誰かの統率のもと計画的に立ち回れば実現は可能かもしれない。


 誰が、なんて問うまでもない。


 パレット盗賊団だ。

 強襲のタイミングが偶然には思えない。

 ワインに毒が混入していた件も、連中の手引きと考えた方が自然か。


 あれほど色彩豊かに咲き誇っていた花々が、一輪も見当たらない。

 花弁ではなく火の粉が空を舞う。

 どこにも『花の都』は残っていなかった。


 この場所も危ない。早く脱出しなければ。


 ソラはどうなった?

 家の外まで吹き飛ばされてしまったのか。姿が見当たらない。


「う……」


 か細い声が聞こえた。近くだ。


 渾身の力で壁の残骸を押し退ける。

 生まれた瓦礫の空間に、フィズが力なく横たわっていた。


「お前、まだ生きて……」


 おれはほんのわずかに愁眉を開いた。

 適切な応急処置を施せば、まだ一命を取り留めるかも知れない。

 希望の欠片を抱き、脈を測ろうとおれはフィズの首に手を添えた。その瞬間、思い知ることになった。


 肌を通して伝わる彼女の体温はもう死んでいた。


 おれは『レファレンス』でなにを見ていた?


《フィズ・クーラー》

《LV:7》

《HP:3/346 MP:359/440》


 部屋に飛び込んだ直後のHPは10だった。

 

 たしかにまだ生きている。

 だが、どうやって延命させる?

 カフェの剣はまだフィズの銅を貫いたままだ。

 鳩尾から肩甲骨の隙間に向かって抜けた刀身が、心臓かあるいは大動脈を傷つけているはずだ。引き抜けば血が噴き出してしまう。しかし手を加えずとも徐々に生命力を失っていく。

 

 もうおれにはなにもできやしない。


「ソラ……?」


 フィズが唇を震わせた。

 おれを見てはいない。生気のない双眸で虚空を見据えている。瞬きすらしてくれない。


「ソラ、そこにいるの……?」


 おれは迷い、言葉に詰まる。

 長い逡巡の末、おれは彼女の手を握った。


《HP:2/346 MP:359/440》


 他になにも、してやることができない。


「ごめん……ごめんね、わたし……カフェを、疑っちゃった……」


 うわ言のようにフィズは囁く。

 

 おれの掌の感触は、彼女に伝わっているだろうか。

 握る手に力を込めた。

 彼女の瞳から一筋の涙が流れた。


《HP:1/346 MP:359/440》


 人は死ねば、土塊に還る。

 なにも残らず、なにも残らない。

 血の巡らない蛋白質に感情が宿ることはない。


 だから、届けた言葉の意味は数秒後に失われる。


 死者を送るための言葉は生者の自己満足に過ぎない。


「ソラ、一緒に……わたしが眠るまで、そばに……」


 憂う気持ちも、哀惜の念も、まったく無意味なことだ。

 頭で理解はしている。できることはなにもない。


 ではなぜ、おれは彼女の手を取ったのか。


「ああ」


 おれは一言だけ、自分に許した。


 聞こえると思ってはいなかった。

 だが、彼女は微笑んだ。


「ありがとう。きみは優しいね」


 誰に向けた言葉か、フィズははっきりとそう言った。

 おれは彼女の手を離した。


《HP:0/346 MP:359/440》


 思えばカフェにせよフィズにせよ、この世界に迷い込んで初めて人の死に触れた。


 かちりと、なにかが組み変わる音がする。


 おれはなにもできなかった。

 世話になった恩も返せていない。役にも立っていない。

 魔法は使えない。有用なスキルも使えない。ゴブリンにすら勝てない。この世界において、おれはとことん足手まといだ。

 

 でも、一つだけできることがある。


 まだ花は残っている。



 ◆



 ふつふつと、腹の底でなにかが煮えている。

 

「赤銅色の抱擁、熱された砂、乾いた曇天。混濁する彼女に、手が届く」


 オルゴイホルホイが牙を振るう。


 身を捩ってかわす。服を掠める。

 おれは左掌でオルゴイホルホイの頭を掴んだ。

 

「『緋色の腕』」


 左肘から先が、炎に晒した鉄のように赤く輝いた。

 袖の布が消し飛ぶ。掌握したオルゴイホルホイの頭の肉が焼ける音がする。


 耳障りな声がした。どうやら絶叫しているらしい。


「火の支配者よ。集え、面前の敵手、鯨波を裂く風音、引き絞る十九の矢」


 おれは五指に力を込める。

 逃さない。手早く詠唱を済ませる。


「『炎の矢』」


 周囲に発現した十と九の火球が、同数の矢を形成し、一斉にオルゴイホルホイの上半身に叩き込まれた。

 巨体が怯み、動きが止まる。

 まだ手を緩めるつもりはない。


「うっ……嘘でやんす! あんな小僧一人に、オルゴイホルホイが……!」


 声が聞こえた。トムだ。

 腹に沈んだ激情が熱を増す。怒鳴るようにして呪文を紡ぐ。


「屹立し、正対し、相反せよ! 獲物を呑下す竜王の牙! 顕現し! 屠れ! 荒べ! 炎燃しろ!」


 おれの怒りが、炎と化して具現化する。


「『竜の息吹』!」


 掌から放射状に拡がった爆炎は、オルゴイホルホイだけでなく盗賊団の半数をもまとめて呑み込んだ。


「あっ、あ、ぎあああああああああああああああああああああああッ!」


 皮膚が炭化し、あるいは焼け爛れた男たちの悲鳴が響き渡る。


 オルゴイホルホイは断末魔の声すら残さず、おれの眼前でぐにゃりと崩れ落ちた。いくら生命力の強い魔物でも、半身が消し飛べば即死する。


「知ってるぞ、お前。ソラ・シーブリーズだな」


 黒い戦塵の中から声がした。

 おれは剣を握り直す。こいつが本命だ。


「知ってるぞ、お前。『赤い衣』グレイ・シーブリーズの息子だな」


 黒煙が縦に裂ける。


 視界が晴れた先、焦げた地面に屹立する男は嘘みたいに派手な黄色い髪で、場違いなほどに真っ白な外套に身を包んでいた。

 振り上げた片手剣が、紫電を帯びている。

 渾身の力で放ったにも関わらず傷一つない。


「お前がパレットか」


 尋ねてはみたものの、確信は得ていた。

 風聞で耳にした通りの見目をしてる。こんな頓狂な格好の盗賊団は他にいない。


「そう、おれがパレットだ。イエロー・パレット」


 芝居がかった仕草で、パレットは大仰に両腕を広げた。


 その背後に、地に蹲ってひいひいと喘ぐトムの姿が見えた。

 大半のHPを失ったようだがまだ息はある。偶然にもパレットの背後に立っていたおかげで『竜の息吹』の直撃を免れたらしい


 彼に対してなんの哀憫も沸かなかった。


 あの男が用意した食材の中に毒物が混入していた。

 なにかの間違いだと。この村に内通者なんて存在しないと否定したかった。


 だが、おれがこの場に駆けつけた時。

 地に伏せるアルゴンキンを眺め、トムは腹を抱えて笑っていた。おれを噛み殺すよう、オルゴイホルホイに指示を出した。

 敵だと認定する理由は充分だった。


 この半年間、何度も会話を交し、時に笑い合った思い出を溶岩のように煮え滾った感情の渦が上書きした。


「おい、ラム」


「は、はい!」


 パレットが別の男に声をかける。

 なぜか男の右手は赤黒く染まった布で覆われていた。


「こっちは、何人死んだ?」


「ええと……さっきの大男に二人。こいつで五人。計七人ですね。あとオルゴイホルホイも」


「そうか、七人もか。……なんだってこんなことするんだ」


 パレットは俯き、肩を震わせ始めた。

 おれは歯を食い縛り、目を伏せる。


 カフェは、なぜフィズを殺めたのだろう。


 裏切り者はトムだけではなかったのか。

 しかし毒の正体は、ワインを調味する際に使われたスパイスだ。トムが用意し、おそらくフィズが自分で入れた。カフェの介入は見えない。


 なにより、彼はなぜおれに謝った。

 悪意による衝動で人の命を奪った者が浮かべる表情ではなかった。

 理由が知りたい。けれど、おそらくもう手遅れた。


 カフェを貫いた『雷の槍』は誰が放った。

 

「お前たちが悪いんだ。おれたちはただ、略奪したいだけなのに」


 フィズは、どんな顔で逝ったのだろう。


 悪夢を見ている気分だ。

 現実味がなく、動揺が思考を奪う。だからおれは平静であろうと振る舞い、結果的に彼女に駆け寄って手を取ることもできなかった。

 フィズが死んだという実感さえ得ることができなかった。

 あんまりでないのか。


 彼女がなにを思い、なにを感じたのか。

 想像するだけで頭に血が上る。なにもしてやれなかった自分に腹が立つ。


 フィズが死んだ原因は誰が作った。

 

「お前たちが大人しく死ねばよかった。なぜ抵抗するんだ。おれたちは被害者だ。七人も死んだ」


 アルゴンキンは、きっと最後まで勇敢に戦ったのだろう。


 ダルモア村をあふれんばかりの花でいっぱいに。

 おれの母親が残した願いを体現しようと生きた人だった。

 花の世話は彼の日課だった。なにを血迷ったか頭にまで花を植えた。自分が死ななければ村の花は絶対に枯れないと、あの男は笑っていた。


 だからこそ炎に包まれた村を、倒れていく村人を、失われていく花々を見て、誰よりも強い怒りと悔しさを抱いたに違いない。 


 アルゴンキンは誰によって斬り捨てられた。

 

「お前たちが、お前が死ぬべきだ。お前が間違っている。おれが殺してやる」


 もういい。うんざりだ。


 よくわかった。おれはまた誰も守ことができなかった。


 おれとパレットは相対し、互いに剣を突きつけた。

 息を吸い、叫ぶ。

 腹の奥底から湧き出す憤激すべてを乗せて、二人の声が重なった。


「叩き斬ってやる!」

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