第34話 最後の花

 十二年前、トラストン国で戦争が起きた。


 たくさんの仲間が戦死した。


 おれの親友だった、グレイ・シーブリーズ。

 その妻である、クラン・シーブリーズ。


 ソラの両親だ。


 二人とも腕の立つ剣士だった。

 特にグレイのやつは北ハイランド最強とまで謳われていた。

 だが、二人は死んだ。


 グレイは立派に戦った。

 深傷を負った妻を守るために、単騎で敵の軍勢に挑んだんだ。


 おれは知っていた。

 どれほどLVの高い剣士であっても、数に圧倒されりゃ勝ち目はない。

 グレイは間違いなく死ぬ。そう理解した上で、親友から血塗れのクランを預かったおれは振り返ることなく戦場を後にした。


 クランを必ずダルモア村に返すという約束を果たすために。


 旅路は困難を極めたが、どうにか村まで帰ってくることはできた。

 だが、けっきょくクランは息を引き取った。

 魔法による治癒では回復が見込めないほど彼女は消耗していた。

 むしろ道中で力尽きず、ダルモア村まで辿り着けたことだけで奇跡だと思っていた。最後に我が子を一目でも見たいという母親の執念に似た決意によるものか。


 そりゃ悲しかったさ。

 しこたま泣いた。


 しかし、ソラの沈みっぷりといったら半端なかった。


 なんせクランが息を引き取った半年後、後を追うようにソラの妹も死んだ。

 理由は病死だ。元から体の強い子ではなかった。両親を失った哀惜によって衰弱した心身は、瞬く間に病魔に犯された。


 あの頃のソラは見ていられなかった。


 おれには励ましてやる資格もなかった。

 責任を感じていたせいだ。おれにもっと実力があれば、グレイとクランが揃って戦場から撤退する時間くらいは稼げたかもしれない。


 だからおれは、おれたちは、せめて故人の願いを守ろうと誓った。


 ダルモア村をあふれんばかりの花でいっぱいに。


 クランが最後に遺した言葉だった。



 ◆



「くそが……!」


 おれは歯を食い縛り、剣を握り直した。


 ワインを飲んだ村人が昏睡して間もなく、村に野蛮な風態の男たちが乗り込んできた。所属を問うまでもない。パレット盗賊団だ。

 彼らは衝動のままに剣を振り下ろし、魔法を射ち、村に火を放った。


 火の粉が舞い、花が燃える。

 抵抗することすら叶わず、体を貫かれた村人の死体がそこらに転がっている。


 おれはいま、十名強の盗賊団に囲まれていた。


「さすがはダルモア村自警団の隊長、アルゴンキンの旦那でやんす」


 その中の一人が嘲るように言う。


 小柄な猫背の男。トムだ。

 傍らにはオルゴイホルホイが控えている。

 人を見るなり牙を剥くはずの凶暴な魔物が、盗賊団の連中には一切の興味を示していない。

 

 ライガー種は人に懐かない。

 だから盗賊団は『ストレイシープ』の効果によりレッドライガーを使役してたのだろうと予測はしていた。

 魔物をコントロールするための『アクティブスキル』だ。 


 同じく、決して飼い慣らすことなんてできるはずのないオルゴイホルホイが、おれにだけ明確な敵意を向けている。


 理由は明快だった。


「てめぇが『ストレイシープ』持ちか……!」


「ローレンスパイス入りのワインを飲んで、そこまで動けるとは。二人もやられちまった。たいしたHPでさぁ」


 げらげらと、トムが下品に笑っている。


 たしかに胡散臭い男ではあったが、無害な行商人だと思っていた。

 危険を顧みず、村に物資を届け続けてくれた。

 無茶だって何度も聞いてくれた。

 これほど冷ややかに人を軽侮した笑い方をする人間だとは考えたこともなかった。

 

 こいつが内通者だ。

 裏切り者は、自警団の中にはいなかった。


 たしかにトムは守衛の人間と接する機会が多かった。

 ちょっと会話を誘導してやれば、次の警邏のルートなどを自然に聞き出すことは容易かったに違いない。

 そして、引き出した情報をパレットに報告していたわけだ。


 最初から盗賊団の一味だったのか、それとも途中からか。


 そんな些末なことはどうだっていい。

 一方的な信頼を裏切られたことによる悔しさと、見抜けなかった自分への腹立たしさで頭が沸騰しそうだった。


「そろそろ限界じゃないですか? 楽になりましょうよ、旦那」


 トムが手をかざす。


 オルゴイホルホイが動いた。

 巨体に似合わない速度で地を這い、おれに肉薄する。


 剣で迎え撃とうとし、間に合わなかった。

 ワインの毒はまだおれの体を蝕んでいる。四肢に力が入らない。

 鋭い牙がおれの右腕を貫いた。


「ぐっ、ああっ……!」


 全身を、それこそ脳天から足の指まで衝撃が駆け巡る。

 オルゴイホルホイの『サンダーエンチャント』だ。

 一拍遅れ、痺れる右腕に焼けるような激痛が襲った。これは『ポイズンエンチャント』か。牙から毒を注ぎ込まれた。


 渾身の力を振り絞り、オルゴイホルホイの頭を蹴り飛ばす。


 魔物は引き剥がせたが、もう一歩も動くことができない。

 右腕も死んだ。

 視界が揺れ、咳き込む。喀血がおれの服を汚した。


《HP:35/753 MP:72/220》


 ステータス画面に表示される己の生命の残量が、冷酷なカウントダウンを始めた。


「楽になるには、ちと早いな……」


 おれは言った。


 グレートソードを左手に持ち替え、トムに向ける。

 本当は杖としていまにも崩れ落ちそうな体の支えにしたかったが、根性と気合いで弱音を封じ込めた。膝が踊り、剣を持つ手すら震えている。


 まだ、倒れるわけにはいかない。


「去れ、お前ら。これ以上『花の都』を、村の花を枯らすな。ダルモア村の花はな、平和の象徴だ。この花がある限り、平和は崩れねぇんだ」


「はぁ?」


 トムが大袈裟に驚いてみせた。


「げすげすげす! 毒で目が見えてないでやんすか? よく見ろよ、もう手遅れだ! この村のどこに花が残ってるってんだ!」


 不快な笑い声を上げ、他の盗賊団も倣って肩を振るわせる。


 連中は、執拗に花を狙っていた。

 おれたちが花を植える理由を知った上での嫌がらせか、教会裏の花畑も、あれだけ苦労してみんなで用意した花飾りも、軒先に生える一輪の花でさえも、頑として例外を認めることなく破壊し、掘り起こし、炎をばら撒いた。


 焦げたリースがおれの足元に転がっている。


 ユウのやつは物作りが上手だった。苦もなく次々と花飾りを完成させていた。

 それに比べておれは不器用なものだから、下手くそだとフィズに何度も怒られた。


 あいつらは無事なんだろうか。


 ソラはまだ生きているのか。


「バカたれが。まだ枯れてねぇよ」


 おれは、守れなかった。


 親友も、その妻も。

 だから決めた。

 クランの遺した言葉を叶えようと、村人たちで約束を交わしたあの日。

 死者の意思を、惚れた女の願いを途絶えさせないために、おれは頭に花を植えた。


 贖罪なんて大層なものではないが、意地でも守り通すと魂に刻んだ。


「目ぇ見開いてよぉく見ろや。ここに最後の花が残ってるぞ」


 残った力を振り絞り、おれは足を踏み出した。


 トムの顔面が引き攣る。

 気迫に押されたのか、瀕死の体を引きずる姿に得体の知れない恐怖を感じたのか、盗賊団の連中が怯む姿が見えた。


「そうか。じゃあいま枯れたな」


 背後から声が聞こえた。



 ◆



 ほんの少しだが、気を失っていたらしい。


 間一髪、ユウちゃんの警告のおかげで反応が間に合った。

 カフェの首を貫いた『雷の槍』が額に直撃する直前、反射的に掲げた剣の原で運よく攻撃を防ぐことができた。


 だが、四散した雷の衝撃で吹き飛ばされてしまった。


 障壁の展開も不充分だった。

 おれは昏倒し、意識を取り戻した時は瓦礫に全身が埋れていた。

 といっても建材の大半は土や木だ。苦労せずに屋根だった残骸を退け、あたりを見渡す。


 ここがフィズの家でないことはわかった。


 正確な位置は判然としない。

 目印になるものがなにも残ってはいない。家という家は崩れ、花という花は燃え、木材を燃料になおも火の手は勢いを増していた。

 焼け焦げた死体が転がっている。呻き声すら聞こえない。


 ユウちゃんはどうなった?

 フィズは? カフェは?


 即座に探しに行くべきだった。


 だが、馴染みのある男の咆哮が耳朶を打った。

 傷だらけの顔に髭を蓄えた、険しい面立ちのくせに根っこは優しい、村で誰よりも花を大切に育てていた男の声だ。


 深く考えず、おれは声が響いた方へと走った。


 そこに盗賊団の連中が集合していた。

 トムもいた。なぜかオルゴイホルホイもいた。

 輪の中央には派手な黄色い髪の男が佇んでいた。


 その足元で、大柄な男が血溜まりに沈んでいる。


 ぴくりとも動かない。

 男も、頭に咲いた花も。


 黄色い髪の男と目が合った。

 にやにやと、頬が嘲笑の形に歪む。

 その手には血に染まった剣が握られていた。


 おれの視界が怒りで真っ赤に染まった。

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