第32話 カフェとフィズ

「くそっ、たれ……!」


 全身に激痛が走る。胸が焼けるようだ。

 自警団の隊長ともあろう者が、これしきの毒で情けない。おれは痙攣する四肢に鞭を打ち、倒れ込もうとする体をどうにか支えた。


 そう、毒だ。確証はないがわかる。


 森の中でソラとともに追い詰めた盗賊団の一員を思い出す。おそらく、あの男と同じ毒をおれは摂取してしまった。症状が一緒だ。


 今になって思えば、おれとソラに追い詰められた盗賊団の男は、隠し持っていた毒を飲み込んで自害したのだろう。理由は知らない。

 だがもう一つの仮説が浮かび上がる。

 盗賊団が持っていた毒を、おれも飲んだ。


 つまり……。


「パレットの、仕業か……!」


 いつ、なにに毒を盛られた?


 昨日や今日の朝、という話ではないだろう。村のそこかしこで人が倒れ、苦悶の声を上げている。すでに動かなくなっている者もいた。

 全員、ほぼ同じタイミングで症状が現れたのだ。


 直前に摂取したもの。考えなくてもすぐにわかる。

 フィズが配っていたワインだ。


「パレットオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッ!」


 あらん限りの憤怒を込め、おれは姿の見えない敵に向かって咆哮を上げた。



 ◆



 視界が回る。

 走っているのか、転んでいるのかもわからない。


 なんで? なんでこうなったの?


 みんなが、わたしのワインを飲んで苦しんだ。

 あまりの混乱と衝撃で、思考が散らかって収束しない。

 ぐわんぐわんと、それこそ大量のワインを飲み干して酩酊したかのように全身が揺れ、酷い吐き気さえ催した。


 あの症状は、たぶん毒だ。

 でも、なんで?

 昨日に味見をした時はなんともなかった。わたしに症状は出ていない。ユウちゃんに飲ませた時だって酔い潰れただけだった。


 どうしよう。わたしはどうすればいい?


 わたしのヒールカテゴリの魔法はある程度の外傷には有効であるが、病や毒といった体の内部を蝕む害悪には役に立たない。


 なにもわからないままわたしは走っている。

 ワインを漬けた樽が置いてある、わたしの家へ。

 

「ソラ、どこにいるの……?」 


 ソラは無事だろうか。

 アルゴンキンから毒入りのワインを受け取っているはずだった。あの優しい男のことだ。わたしが気合いを入れて仕込んだワインと聞けば、きっと迷わず口をつける。もうきっと手遅れだ。


 嫌だ。吐きたい。

 視界が滲み、足がもつれる。

 義務感ではない、ただの惰性がわたしを衝き動かす。


 ただ一言、想い人に弱音を吐くことを自分に許した。


「助けて、ソラ……!」



 ◆



 カフェ・ガリアーノは元傭兵だ。

 しかし、この村では珍しくもなんともない経歴だった。


 ダルモア村の起源は何十年も前だと聞く。

 どこぞの地方のとある兵士が戦を倦み嫌い、領主を裏切ってこの地に訪れ、一つのボロ小屋をおっ建てた。それが始まりだったそうだ。


 やがて、同じく戦争に辟易した戦士たちが噂を耳にし、集い、子を成し、少しずつ人口を増やして、小さな集落は村と呼べるまでに発展した。


 いまじゃ戦士だけでなく、戦で故郷を失ったフィズのような難民までも無条件で受け入れている始末だ。

 誰かを助けることに村の人々は矜恃を抱いている。結構なことだと思う。


 ちょうど二年前、おれも傭兵が嫌になっていた。

 連綿と続く血の怨嗟に厭気がさしたとか、大切な人を失って絶望したとか、そんな大層な理由ではない。疲れるし、痛いし、報酬も割に合わない。なんとなく面倒臭くなって、傭兵をやめようと思ったのだ。


 その時、ダルモア村の噂を聞いた。

 都合のいい新天地だと思った。

 案の定、村の連中は無条件でおれを受け入れた。もちろん彼らには感謝もしているし、今後も仲良くやっていきたいと思っている。


 だが、しょせんはその程度の繋がりだ。おれにとって彼らは文字通りの。家族でも恋人でもない。ただの隣人相手に、くそ真面目に恩だの義理だのを掲げる連中の方がどうにかしている。


 だから、パレットに声をかけられた時も迷いはなかった。


 おかげでいい小遣い稼ぎになった。

 といっても、接触したのは二回か三回だけ。リークした情報も、自警団の構成数であったりそれぞれが得意とするスキルの詳細であったり、漏洩したところでたいした問題にはならないデータばかりだ。


 おれの所業は裏切りですらない。誰の迷惑にもなっていないのだから。


「まぁ、今回ばかりはそうもいかねぇよな……」


 おれはフィズの家にいた。

 もちろん勝手に忍び込んだ。パレットから渡された、毒入りの瓶を持っているからだ。こんな姿を目撃されるわけにはいかない。


 そしておれの眼前には、蓋の空いたワイン樽があった。


 瓶の蓋を開け、中身を注ぐ。

 それでおれの仕事は完了だ。


 さすがに罪悪感が芽生えた。

 村の連中に罪はない。しかも戦えない女子供や老人まで巻き込む卑劣なやり口は、どうにも好きになれなかった。


 だが、パレットの指示を無視することはできない。歯向かったところで殺される。逃亡生活もごめんだ。あの盗賊団は執念深いと有名だから、任務を放り出せばきっと北ハイランド領の端まで追ってくるだろう。


 けっきょく、村の人々には運がなかったと諦めてもらうしかない。


 この仕事を終えたら、また傭兵に戻ろう。

 今度は南の方へ旅をするのもいい。どうせおれは流れ者だ。一つの場所に張る根なんて最初から持ち合わせていなかった。


 この花の村に、根なし草の場所はなかった。


 雑草は、花の群れに馴染むことはできない。

 花は、花としか混じり合わない。

 おれのような雑草が介入できるはずがなかった。


 あの二人の関係に。


 だから、この村にもう未練なんてない。


「……くそ」


 おれは瓶の蓋を外した。そして、液状の毒物を床にぶち撒けた。


 頭をかき毟り、盛大に溜め息を吐く。なにやってんだ、おれは。

 もう毒は残っていない。後戻りはできなくなってしまった。

 この村の連中の、雑草を無償で受け入れてくれたバカどものせいで、おれは明日からパレット盗賊団から逃げ回る哀れな人生の始まりだ。


「ま、おれが撒いた種だしな。自業自得か」


 力を抜き、おれは自嘲した。


 すぐに村を出よう。

 いや、まずは誰かに忠告すべきだ。

 パレット盗賊団は近くの森に潜み、おれからの合図を待っている。

 本来であれば、毒入りワインを飲んで阿鼻叫喚の図に陥った村を連中が急襲し、生き残りを狩り尽くすという筋書きなのだから。


 だが、ソラやアルゴンキンたちが万全の状態であれば、倒せはせずとも追い払うことくらいはできるかもしれない。

 最後だ。

 面倒だが、おれも手伝ってやろう。


 その時だった。


 足音がした。振り返る。

 戸口にフィズが立っていた。


 混乱と、驚き、絶望、悲しみ、そして怒り。

 ぐちゃぐちゃになった思考が、涙と表情に現れ出ていた。

 その視線が、おれの手元に移る。

 ワインの樽の前で立ち尽くす男。空の瓶。

 フィズの中で、限界までに堰き止めていた激情の渦が、瓦解する音がした。


「待っ……!」


 おれの背から冷や汗が噴き出た。


 ばふっ、とフィズの体から炎が広がる。

 魔法ではない。

 感情の奔流によってあふれ出た彼女の魔力が、得意とするカテゴリの魔法に似た効果を引き起こしただけだ。


「騎士の刃が東を向く時、火が熾こる。鼓舞の声、戦塵、鋒」


 フィズが呪文を詠唱する。


 不味い。誤解だと、弁明しなければ。

 だが、彼女の様子が尋常ではない。

 なにがあった?


 まるで、おれが持っている瓶に毒が入っていたと確信しているかのようだ。


「待て、フィズ! おれの話を……!」


「前を向け!」


 フィズが鋭く叫ぶ。

 涙を流すその瞳に、ありったけの敵意を乗せて。


「カフェ・ガリアーノ!」

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