第30話 まつりの日

 そうして『花まつり』が始まった。


 目を瞠る花の装飾が村中に施されている。

 なにか特別な歌や踊りが用意されているわけではないが、今日だけは村人の大半が仕事を放棄し、朝からみんなで集い、許される限りの贅を尽くした食事や酒に舌鼓を打つ。

 

 村長は慰霊のためと言っていたが、湿っぽい雰囲気はどこにもない。誰も彼もが楽しそうに騒いでいた。


「ユウ! 飲んでるか!」


 アルゴンキンがゴブレットを片手にのしのしと近づいてきた。いつもの三倍うるさい。おれは全力で顔をしかめた。


「飲んでいない。近づくな。息が臭い」


「わっはっはっは! 辛辣だな! 泣いていい?」


 酒臭い息を振り撒いて、アルゴンキンは立ち去っていく。

 高いテンションの原因はゴブレットの中身だろう。

 エールという飲料らしいが、察するに酒だ。アルコールはよくない。臭いし、不味いし、ふわふわするし、記憶を失うし。


「さて」


 せっかくだ。おれも村を見て回ろうと考える。


 ダルモア村に数十人もの人間を収容できる施設なんてない。だから必然的に『花まつり』の会場は屋外だ。適当に歩けば誰かに会い、なにかしらの食事と酒にありつくことができる。


 参加したことはないが、俗に言う立食パーティとはこんな感じだろうか。

 ただし、ご馳走の大半は地面に置かれていた。

 テーブルの数が足りないからだ。皿代わりの大きな葉っぱや平べったいパンの上に乗せられいるとはいえ、これではパーティというより辺境の部族の祭りと表した方が適切だろう。


《アイスホップイヤーの串焼き》


 おれが獲ったウサギもどきの肉を見つけた。

 村の子供が美味しそうに頬張っている。おれは思わず目を細めた。


「お、なんかエロい顔してんな」


 おれは背後からカフェに抱きつかれた。

 酒臭い。眉間にしわを寄せる。おれの眼前に回されたカフェの手にはエールがなみなみ注がれたゴブレットがあった。

 こいつも順調に酩酊しているようだ。


「そんな顔はしていない。離せ」


「祭りの時くらい楽しんだらどうよ。ちゃんと食ってるか?」


 カフェはすんなりおれを解放した。


「……そうだな。余り物があればいただこうかと考えている」


「おいおい、またかよ。遠慮はやめたんじゃなかったんか?」


「しかしだな……」


 歯切れの悪い調子のおれを見て、カフェは溜め息を吐いた。

 ダルモア村の食事状はおれも充分に理解している。主食は石みたいに固いパンと、豆やら野菜やらがごった煮になった塩味のスープ。たまにチーズや塩漬け肉などがローテーションで付属するだけ。

 

 フィズがおれのためにと食事を大量に用意していた時期はあったが、量が多いだけで品書きは平時に彼らが食べているものと同じだ。

 だからこそ、そこらに並ぶ品々はご馳走なのだと理解できる。

 ソーセージやドライフルーツ、魚(の見た目をした魔物)を使ったパイ、洋梨(に似ている果実)を甘く煮込んだものなど、普段の食事と比べれば贅沢すぎる品々が並んでいる。中には少量だが白いパンもあった。おれなんかが口にしていいはずがない。


「ユウちゃんよ。もっと気楽に考えようぜ」


 カフェが身を屈め、おれの肩に腕を回してきた。

 以前からそうだがこの男は馴れ馴れしい。すぐに体をさわってくる。おれが迷惑そうな顔をしてもちっとも気にしない。


「しょせんな、人生なんて楽しんだ者勝ちよ。くそ真面目に生きてなんになる? 流れ者同士、適当にいこうや」


「はいはい、セクハラしないの」


 ばしっ、と景気のいい音とともにカフェの頭が前に傾く。振り返ると、フィズが立っていた。


「そんなことだろうと思った。ほら、ユウちゃんの。持ってきたわよ」


 彼女はなにかの果実を持っていた。

 緑色の葉に覆われていて、すこし湾曲しつつも細長い形状をしている。根本からはトウモロコシのひげのような大量の白い繊維が伸びていた。

 

「いや、おれは……」


「またそうやって変に遠慮する。ソラに言うわよ」


「うっ」


 おれは呻き声を出した。その殺し文句は卑怯だ。


 フィズはにこにこと上機嫌な様子で果実の葉を剥いていく。べろんと四枚の葉が剥がれ、露わになった実はバナナを彷彿とさせた。

 まぁ、おれの知るバナナより野太く、可食部はうっすらとピンク色で、先端が一回りほど膨らんでおり、まるで、うん。これは……。


《アイアイの実》


《アイアイ:熱帯の地域で栽培される多年生植物。包葉と絹糸に覆われた果実は非常に弾性が高い。だが糖度と栄養価に優れ、主食として扱う地域も存在する。近年では輸送技術の発展により生産地以外にも稀に流通することがある。から、多産・豊穣などのモチーフとして扱われることも多い》


「はい、あーん」


 アイアイの実が眼前に突き出される。おれは思わず後退りしたが、壁に背があたった。追い詰められた。


「待て。わかった。わかったから、せめて別のものにしてくれ」


「甘くて美味しいのよ? これ、滅多に手に入らないんだから」


「ではお前が食えばいい。お前が多産を願っていろ」


「よく知ってるわね。そりゃいまは早いかもしれないけど、ゆくゆくはユウちゃんだって元気な子を……」


「産めるか!」


 抵抗も虚しく、アイアイの実を口の中にねじ込まれる。

 とても硬い実だった。弾力があり、ゴムを食べたみたいだ。噛み切れない。


「むっ、もが……」


「水にちょっと浸すと柔らかくなるの。でもたしかこうやって何度も出し入れすれば唾液でふやけて……」

 

「ふ、ぐっ……むうっ……!」


 呆れ顔でカフェがフィズに問いかけた。


「それ誰から聞いた?」


「トム。これが通の食べ方なんだって」


「ああそう。絶対にデマだから忘れた方がいいな。絵面がヤバいわ」


「ぐ、……うっ……! げほっ……!」


 どうにかアイアイの実を飲み込み、やっとフィズは解放してくれた。おれはぜいぜいと肩を上下させ、酸欠のせいで滲んだ涙を手の甲で拭う。

 口に含んで十秒くらいで実は柔らかくなった。

 たしかに美味い。味はマンゴーに近いか。なにより、久しく甘味を摂取していなかったせいか舌が甘さに小躍りしている。


 フィズは満足げにおれの顔を覗き込んだ。


「美味しかったでしょ。もっと欲しい?」


「要らん。太いせいで口が疲れる。あと喉を突くな。苦しい」


「お前ら言い回しに気をつけろ。これ以上おれを刺激すんな」

 

 中腰になったカフェが、なにやら苦しそうに悶えている。フィズは気にする素振りも見せず、おれの手を取った。


「じゃあ、他の料理も取りにいこっか。そろそろワインも配らなくちゃ。ユウちゃんも飲んでみてね。今度はちょっとだけでいいから」


「おい、おれは本当に残り物で……」


「ユウちゃんはそのままでいいのよ」


 振り返ったフィズが言った。

 相変わらず、花みたいな笑顔を浮かべていた。


「もう立派なダルモア村の一員なんだから、胸張ってお腹いっぱい食べなさい」


 おれは堪らず、目を伏せてしまった。



 ◆



「ソラ! 飲んでるか!」


 大声で呼ばれ、おれは苦笑した。


「アルゴンキン。今日ずっとそればっか言ってるでしょ」


「おれだけ酔っ払ってちゃ酒の神さまに申し訳が立たんわ。ほら、お前さんの分。さっきフィズが配ってたぞ」


 おれはアルゴンキンからワインの入ったゴブレットを受け取った。

 フィズが仕込んだものだろう。上質なワインが手に入らなかったから、スパイスなどで美味しく変身させると張り切っていたのを覚えている。


「しかし、残念だな。せっかくの『花まつり』の日だってのに」


「誰かがやらなくちゃいけないからね。仕方ないよ」


 おれは村の門前に立っていた。

 年に一度の催事が開かれるとはいえ、最低限の警戒は必要だ。おれ以外にも、やぐらの上から石壁の外を見張っている自警団の人間が数名いる。


 開かれた門に背を預け、アルゴンキンは笑った。


「そろそろ交代だろう。お前も飯を食ってこい。明日からまた忙しくなる」


「そうだね。警邏も増やさなくちゃ」


 パレット盗賊団は相変わらず沈黙を続けている。

 だが決して慎ましい連中ではない。報復は必ず実行される。いままでのように牽制に終始するだけでは、徒らに損害を増やすだけだ。じり貧へと追い込まれる前に攻勢に転じる必要がある。


 まだ敵の本拠地は発見できていない。だが、レッドライガーが現れた方角を中心に警邏のルートを狭めていけば特定は時間の問題だろう。


「気がかりなこともあるしな」


 アルゴンキンが声のトーンを落とした。

 先日、盗賊団の男が仄かした内通者の件だ。とはいえ、あれから警邏中の自警団が何者かに襲われるような被害は出ていない。調査しようにも手がかりが乏しく、あの言葉が事実かどうかも怪しい状態だった。


「きっと、おれたちを動揺させるための嘘だよ」


「そうだな。嘘じゃなけりゃ、真っ先に疑わんといかんのは余所者だからな」


 痛いところを突かれた。ぎくりとおれの肩が震える。


 内通者と聞いて、真っ先にあの子の顔が浮かんだのは事実だ。

 出身も所属も曖昧で、トラストン国の外から来たと主張する人物。ユウちゃんの人柄も性根も知っているはずなのに、たったそれだけの偏見が、おれに瞬きほどの時間だけ懐疑心を抱かせた。


 絶対にそんなはずはないのに。とても後悔したし、酷い自己嫌悪に陥った。


 だからこの件は自警団にも共有していない。アルゴンキンにも黙ってもらっている。言えば、ユウちゃんから距離の遠い者は、もっと強い疑義をあの子に向けるかもしれない。

 そう考えると、どうにも不快な気分を抱いたからだ。


「まぁ、おれもあのお嬢ちゃんが連中と通じとるとは思っとらんが……」


「大丈夫、わかってるよ」


 その時、思い出したようにアルゴンキンが顔を上げた。あたりを見渡し、なにかを探している。


「そういえば、そのユウは来ていないのか。フィズがおらんって騒いでたぞ。こっちに向かう姿を誰かが見たって言うてたが……」


「いや、おれは見てないよ」


「おかしいな。村のどこにもおらんって話だ」


 そんなはずはない。村の出入り口はこの場所だけだ。


 敷地を囲う石壁をよじ登り、そこから出ることはできるだろう。

 あくまでも危険度の低い魔物が迷い込まないよう作られた壁だから、小さいあの子でも手が届く高さだ。でも、そんな目立つ真似すれば、やぐらの見張りに目撃されるはずだった。


 嫌な予感がする。おれは振り返り、背後の花畑を見た。

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