第29話 前夜

 眠れない。おれは家を静かに抜け出した。

 

 ユウちゃんはよく寝ている。なんでも、おれが警邏で村を離れている間にワインを飲んで酔い潰れたらしい。ユウちゃんを運んできたフィズが申し訳なさそうに説明してくれた。


「火の妖精、花弁、赤色の種子。我々は求め、我々は命じる」


 剣を抜く。外は真っ暗だ。夜中なのだから当たり前か。星明かりに照らされ、夜陰の中に建物の輪郭がぼんやりと滲んでいる。

 閑寂な夜の下、おれは魔法を唱えた。


「『燃える花』」


 掲げた剣の鋒に、炎の花が咲く。


『ヒートクラフト』の中でもっとも初級を示すLV1の魔法。おれが初めて習得した魔法でもある。実際に『アクティブスキル』の入門として好まれることが多いらしい。消費する魔力も軽微だし、術式シンプルだからだ。

 

 魔法の炎を蝋燭代わりに、おれは教会の裏手までやってきた。

 柵で囲まれた小さな花畑。フィズが村の子供たちへの授業でよく使っている場所だ。ユウちゃんが教わっている光景も見たことがある。


 そこには先客がいた。


「フィズ」


 振り返った少女は目を丸くし、そして微笑んだ。彼女もまた、おれと同じ『燃える花』を掌に浮かべていた。


「どうしたの? 眠れない?」


 おれは花を踏み潰さないよう気を配りつつ、彼女に近寄っていく。


「明日のこと考えるとわくわくしちゃって。ソラも一緒?」


「うん」


「ふふ、お互い子供みたいね」


 彼女は五指を閉じ、手の中の炎を消した。

 光源が減り、表情がすこし見え辛くなる。おれは剣を持ち上げて、鋒の灯りでお互いの顔を照らした。 


「ユウちゃんは大丈夫そう?」


 フィズの声音には心配の色が滲んでいた。


「ずっと寝てる。きっと明日には元気になってるよ」


「悪いことしちゃったな。……わたしの弟が生きていたら、たぶんあれくらいの歳だからかな。ついいじめたくなっちゃうのよね」


 フィズは戦災孤児だ。生まれはダルモア村ではない。

 小さい頃、戦争によって故郷を、そして両親と弟を失っている。露頭に迷い、野垂れ死ぬ寸前だった彼女は運よく旅の行商人に拾われ、紆余曲折を経てダルモア村まで辿り着いた。


 その戦争が北ハイランド領全域を巻き込むほどに膨れ上がったのは、フィズが村にやってきてから二年後の話だ。


「そっか」


 小さく、フィズが呟いた。続きはなんとなく予想ができた。


「ってことは、ソラの妹とも同じ歳くらいだね」


「そうだね」


 存外、平静を装った返答はできたと思う。


 フィズは返す言葉を紡がなかった。今日は風もない。月の光が降る音でさえ聞こえそうなほどの沈黙が続く。

 なにか取り繕うべきか、とおれが唇を震わせた時だった。

 

「もうっ、やきもち妬いちゃうなぁ!」


 ばちぃ、と背中を思いっ切り叩かれた。

 平手とはいえ、彼女はレッサーゴブリンを拳だけで撲殺できるくらいの攻撃力は備えている。油断もしていた。おれは花畑をごろごろと転がった。


「なっ、なん……!」


 おれは剣をフィズに向けた。鋒の炎で彼女の顔を照らすためだ。


「妹と一緒の歳だから、ソラはユウちゃんのことが気になるの?」


 フィズは後ろ手を組み、いつも通りの笑顔を浮かべていた。


「は、はぁ? フィズだってあの子のことは気にしてるだろ」


「そりゃ、ユウちゃんは見ててほんと危なっかしいし。心配はするわ。……でも気づいた? 最近、誰かさんの言うことだけは聞くようになってるの」


 意地の悪い笑みを向けられ、おれは言葉に詰まった。

 たしかに、ユウちゃんはこのところ妙に素直だ。あの日からだ。思い返すといまでも恥ずかしいが、おれがあの子のことを抱きしめた日。


 まだ胸中に焦りや不安は抱えているようには見える。

 例えば、ここ何日かはフィズの授業や自警団の訓練は開催されていない。誰もが『花まつり』の準備に忙殺されているからだ。当然、スキルの習得を急ぎたいユウちゃんは不満を漏らす。


 だからおれは言った。すこしだけ我慢しろと。

 あの子はわかったと答えた。それが意外だった。

 以降も、花飾りの製作や食材の仕込みなど、フィズからの依頼を大人しく手伝っていると聞いている。 


「よかったわね。懐いてもらえて」


「なんか含みのある言い方だな、それ」


「あら。嬉しくないの? ソラだってユウちゃんに甘くなってるし」


「今日はやけに突っかかるね」


 尻の土を払い、立ち上がる。

 するとフィズが近寄ってきた。おれの胸に額を預け、腰にそっと両手を回す。

 

 驚き、おれは剣を落とした。火が消える。


「言ったでしょ。やきもちだって」


 フィズが囁く。髪か、花飾りか、花の香りがした。



 ◆



 影が重なった。


 物陰から二人を伺う、カフェ・ガリアーノは深い息を吐く。

 瞳には複雑な色が滲んでいた。自分が持っていないものを自慢する友人を遠目から眺めるかのような、羨望と落胆、そして嫉妬が入り混じった感情。


 カフェは、小さく呟いた。


「まぁ、最初っから余所者のおれが入り込む余地がねぇってのはわかってたさ」


 その様子をおれはカフェの背後からじっと見つめていた。


「なにをしている」


「うおぉぉッ!」


 小声のまま絶叫するという器用な真似をカフェはしてみせた。


「おっ、おまっ……ユウか? な、なんで、というか、いつからここに?」


「さっきだ」


「気配なさすぎだろお前。心臓が止まるかと思った」


「そのまま止まればよかったのに」


「お前、意外と根に持つタイプな。ジェリースライムのことまだ怒ってんの?」


 左胸に手を押さえ、カフェは大きく息を吐いた。そのまま教会の壁に背を預けてずるずると座り込む。

 おれはソラとフィズに視線を移し、言った。


「ところであの二人はなにをしている?」


「ユウ、あれが見えんのか? 目ぇいいな」


 カフェは瞳を丸くした。


「まぁ、あれだ。いちゃついてんだよ。まったくいいご身分だぜ」


「いちゃつくとはなんだ」


「あー、男女の逢瀬」


「ということはお前は横恋慕か」


「……子供は余計なこと言わんでいい」


 大きく息を吐き、カフェは頭を掻きむしる。くしゃくしゃ頭がもっとくしゃくしゃになった。


「そんなんじゃねぇよ。お前も帰って大人しく寝ろ」


 ぽん、とカフェに頭を叩かれた。

 言い残し、彼は去っていく。何事もなかったかのような、いつも通りの飄々とした足取りで。


 おれは彼の背姿を見送り、次いで花畑の中で寄り添う人影を眺める。

 寝ろ、と言われてもさっき起きたばかりだ。目が冴えてしまっている。しかもなぜか頭が痛い。そもそも今日の昼以降の記憶がない。一体おれはなにをしていたのだろうか。


 とはいえ、ここでつっ立っていても時間の無駄だ。本当はソラを探しにきたのだが、あの調子ではしばらく帰ってはこないだろう。


 眠くなるまで『レファレンス』の練習でもするかと、おれは踵を返した。

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