第28話 お酒は成人してから
ダルモア村から離れた廃村。
歩いて半日はかかる距離だ。この場所をパレット盗賊団は拠点にしている。もちろん村の連中は誰も知らない。
部屋の中、おれの他に男が二人いた。
一人はこの盗賊団の首魁、パレットだ。派手な黄色い髪と、真っ白な外套。本当に盗賊かと思ってしまう。
もう一人はおれを部屋に通した男で、たしかラムと名乗っていた。
こちらは雛型通りの盗賊らしい格好だ。ただし、なぜか異様なほど怯えている。右手は布でぐるぐる巻きにしてあった。血も滲んでいる。
まぁ、盗賊団の事情なんて知ったことではない。
「これを」
おれは赤い獣の皮を机の上に広げた。ユウ・ヒミナがレッドライガーから剥ぎ取ったものだ。
「レッドライガーは殺されたってのは、本当らしいな」
パレットが口を開いた。椅子に座ったまま、むっつりと皮を睨んでいる。
「ただ、なぜ死体が皮だけなんだ」
「肉を食ったからだ」
おれは淡々と答えた。
「……は?」
「皮は……敷き物か服かに使うつもりだったんだろうな。丁寧になめされてたよ。村の外に置いてあったのを盗ってきた」
ぴく、とパレットの眉が動く。次の瞬間、部屋に怒号が響き渡った。
「ラアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァムッ!」
「ひっ!」
驚き、ラムがひっくり返る。
パレットは素早く腰の剣を引き抜くと、ラムの手首を乱暴に掴み、机に叩きつけた。その拍子に布が外れ、右手が露わになる。
ラムの人差し指がなかった。刃物かなにかで根本から切り落とされており、切断面から赤黒い肉が覗いていた。まぁ、この光景を見れば指を失った理由は推察できる。
「なっ、なんで、おれが……! 悪いのはダルモア村の……!」
レッドライガーの皮の上で、ラムの手が押さえつけられる。パレットは剣を逆手に持ち、容赦なく振り下ろした。
悲鳴が上がる。ラムが倒れる。中指と薬指、そして小指が飛んだ。
「お前は魔物を飼ったことがあるか?」
何事もなかったかのようにパレットが言った。こちらを見てはいない。だが、きっとおれへ問いかけたのだろう。
「ないな」
「そうか。難しいぞ、言葉が通じない生物の飼育は。いくら言ってもわかってくれない。だからウチでは、躾に力を入れることにしている」
すこし気になってはいた。
パレット盗賊団の男どもは、どいつもこいつも指が欠けている。五本揃っている人間が珍しいのだ。
部下がなにか失態を犯すたび、パレットが躾を施しているのだろう。床に転がって呻き声を上げるラムは魔物ではなく言葉の通じる生物であるし、そもそもいまの教育は完全にパレットの八つ当たりに見えた。
清々しいほど理屈が破綻している。そんな理不尽なルールを押しつけて、よく部下が逃げ出さないなとさえ思った。
きっと入団を後悔している連中だらけだろう。
「レッドライガーはスキルで手懐けていただけじゃなかったか?」
おれは肩を竦め、ラムの血で汚れた赤い毛皮を見た。
「そんなことはどうでもいい」
部下の指を切り落として気が晴れたのか、パレットは落ち着いた様子で、懐から妙な植物の種子を取り出した。
口の中に放り込み、噛み砕き、恍惚の吐息を吐く。とろんとした、焦点の合っていない瞳がおれを見据えた。
「いいか、明後日の『花まつり』で毒を盛れ」
パレットが剣の切っ先をおれに向けた。
「ワインがいい。連中は血を吐いてのたうち回り、おれたちはその機に村へ乗り込む。男は殺して女子供は犯す。例外はなしだ」
指示は命令だった。
拒否権はない。断ればきっとおれが殺される。
いよいよダルモア村もお終いだ。
あの村の連中は強い。だが、パレットはもっと強い。相対して感じる魔力の総量は自警団の誰よりも上だった。
「頼んだぞ、ダルモア村の裏切り者よ」
パレットが笑う。おれは頷き、毒の入った瓶を受け取った。
◆
翌日。おれは汗だくになって鍋をかき回していた。
「……暑い」
こういう時は長い髪が鬱陶しくてしかたがない。
火起こしのために用意されていた木の枝を一本だけ拝借し、捻った髪に刺して頭の後ろで固定する。昔、知人に教わったやり方だ。
汗を拭い、おれは改めて鍋に向き直った。
明日の『花まつり』の準備だ。
なにせ六十人分のご馳走を用意しなければならない。
おかげで村は大忙しだった。自警団の連中も訓練を放って(警邏や見張りなど最低限の仕事はしているようだが)、食材の仕込みに村の飾りつけにと全員が奮闘していた。
「ユウちゃん、どう?」
家の戸口からフィズが入ってきた。
隣には村長もいる。相変わらず背中から手作りの羽が生えていた。
ここは村長の家だ。ダルモア村には食堂や飲食店のような施設がないため、数十人分の食材を調理できるほどの大きな鍋や炉は彼の家でしか借りることができないそうだ。
「火は通ったぞ。美味いかどうかは知らん」
おれがぞんざいに答えると、フィズは鍋の中身を覗き込んだ。
豆や根菜、塩漬け肉などが入ったシチューだ。固くなったパンを一緒に煮込み、その澱粉質でとろみをつけてある。
「もうちょっと煮た方がいいかも。まだお肉が固そう」
フィズの指示を聞き、おれは嘆息を吐く。
「……構わんが、服を脱いでもいいか。先におれが煮えそうだ」
「ダメ」
「上半身だけだ。どうせ誰も見てはない」
「ダメ。村長がいるわ」
「わしは気にせんよ。遠慮せずに脱ぐといい」
ばしっ、と老いた妖精の頭がフィズによって思い切りしばかれた。
おれは鍋から離れ、壁を正方形にくり抜いただけの窓に近寄った。汗に濡れた頬を風が撫でる。心地よかった。
村長の家は敷地の最奥、それも高台に位置するため、ここからだと村の様子を一望することができる。
ダルモア村を初めて見た時、これ以上は花が増えることはないだろうと思った。それほどまでに、土という土が花で覆われていた。だが、いまや屋根の上や壁、柵に看板、そのあたりに転がる樽や台車までもが色彩豊かなリースやガーランドで装飾されている。
まさに圧巻だ。『花まつり』の準備は着々と進んでいるらしい。
「すごいな」
「でしょ?」
振り返ると、自慢げな様子でフィズが微笑んでいる。
「毎年ね、外の花畑から花を摘んできて、こうやって村をお洒落するの」
「十一年前からか」
「そう、年々豪華になってるわ」
「変わった習慣だ」
おれは素直な感想を述べた。
花に栄養はない。慈しんでも腹は膨れない。土壌と労力が余っているのであれば、野菜や穀物を育てた方が人々は喜ぶだろう。
「故人の願いじゃからの」
村長が目を細めて呟く。たしかそんなことをアルゴンキンも言っていた。十二年前の戦争を契機に、村では花を植え始めたのだと。
「きみはどう感じる。この光景を見て」
「……平和だと。度が過ぎてすこし間抜けにも思う」
「そうじゃろ?」
にやりと村長が笑った。どこか嬉しそうだ。
「村を花でいっぱいにしてくれ。それが故人の願いじゃよ。『花まつり』は彼らに対する慰霊の目的で始めたものじゃな」
「願いが叶って結構なことだ」
おれは鍋の元に戻り、炉に薪をくべた。炉、といっても石を組み上げただけの簡単なかまどだ。暖炉ですらない。
だから火が剥き出しで、近くに立つと熱い。煤もよく舞った。
底が焦げつかないよう、長いレードルを使ってシチューをかき混ぜる。
「そうだ。ユウちゃん、喉乾いてない?」
フィズが薄い赤色の飲み物を差し出してきた。つんとした臭いがする。
「なんだこれは」
「ワイン。やっと届いたから、味見してもらおうと思って持ってきたの」
「……お前、おれを何歳だと思っているんだ」
「十歳くらい?」
「十四だ!」
まぁ、年齢の誤解はいい。この村の人々はおれの世界で言うところの欧州系の面立ちをしており、一方のおれはアジア人だ。実年齢より幼く見えるというセンシビリティは理解できる。
この世界でこの感覚が通用するのか、という驚きはあるが。
ただ、十歳に見えるのであればより納得できないことがある。
「未成年にアルコールを飲ませるつもりか?」
「あるこーるじゃなくてワイン。それに、十四だったら立派な大人よ」
まったく頓着する様子がない。フィズは木製のゴブレットをぐいぐいとおれの鼻先まで近づける。
「待て。言っておくがおれは例え成人してもアルコールはがぼぼぼぼ」
顔を背ける努力も虚しく、口の中にワインを強引に流し込まれた。もちろん抵抗はしたのだが、ゴブレットを押し返すほどの膂力がおれにあれば、そもそもダルモア村を訪れた初日に服をひん剥かれてはいない。
不思議な味だった。おれの知っているワインとは、ブドウの醸造酒だ。だがブドウの味なんて欠片もしなかった。原料が違うのだろうか。
果物ではなく、もっとこう、酢を彷彿とさせる酸味の強い液体を、蜂蜜に似た甘ったるいなにかで上書きしたかのような味だった。しかも舌がピリピリする。あと頭がぐわんぐわんとする。
正直に言って不味い。
ただ、飲酒する習慣のない人間にとっては酒なんてどれも不味いものだときく。このあじを好む人間もいるのかもしれない。
フィズがおれの顔をのぞきこむ。
「お味はどうかしら」
「よくわからん」
すなおに答えておいた。
「一応ね、トムに頼んでた最後のスパイスが今日の遅い時間に届くはずなの。まだもうちょっと美味しくなると思うんだけど……ユウちゃん?」
フィズが目をまるくしている。なにをそんなにおどろいているのか。
「ちょっと、顔真っ赤じゃない」
べたべたとほっぺたをさわられた。
「もんだいない。しんぱいするな」
「会話の知能指数がいきなり下がってるんだけど」
「おまえすこしふけたな」
「ユウちゃんそれ村長」
フィズの声がとおくからきこえる。
なんだ、これは。わいんのせいか?
ふわふわというか、くらくらというか。顔があつい。まぶたがおもい。
きゅうに目のまえがまっくらになった。
いいにおいがする。はなのかおりだ。
◆
ばふっと、ユウちゃんはわたしの胸に顔を突っ込んで動かなくなった。
酔い潰れて寝たらしい。もちろん十歳そこそこの人間にワインを飲ませすぎるのはよくないと知ってはいたが、ここまで弱い子は初めてだ。
どうしようという顔で、わたしは村長を見た。
「いかん、わしも酔っ払ったかも。さっき味見したから」
「横になった方がいいんじゃないかしら。床で」
しくしくと肩を落とす村長を無視して、わたしはユウちゃんを担いでソラの家に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます