第3章 花まつり
第25話 レッドライガーとノラマメのスープ
「さ、たーんとお食べ」
にこにこと心から上機嫌な様子のフィズが用意した食事の量を見て、おれは思わず顔をしかめてしまった。
《ロゲン麦のパン》
《ジーモンパラスの塩漬け》
《オインクの塩漬け》
《エンゲルシュゴートのチーズ》
《レッドライガーとノラマメのスープ》
レッドライガーの来襲から数日。
おれとソラはフィズの家に招かれていた。
提供された料理はどう考えても成人男性五食分ほどのボリュームだった。今日が誰かのバースデーならまだしも、連日がこの量だとさすがに辟易する。『レファレンス』も大忙しだ。
おれは隣に座るソラを見た。この女をなんとかしろ、と目で訴える。
「まぁまぁ」
ソラは苦笑していた。
「フィズは喜んでるんだよ。ユウちゃんが素直に食事を取ってくれるようになったから。ずっと心配かけてたんだし、許してあげて」
お前が悪いんだから我慢しろ、と言われた気分だ。すこし釈然としないが、ソラの要望なのであればしかたがない。それに満面の笑みを携えたフィズを見ていると文句を垂れる気構えも失せてくる。
おれは溜め息を吐き、黙ってスープの入った深皿を引き寄せた。
《レッドライガーとノラマメのスープ:レッドライガーの肉とノラマメを煮込んだもの。HPを回復させる効果がある》
レッドライガーはおれが解体した。
炎の海に囲まれた環境で、レッドライガーの死体が燃えずに残っていたのは運がよかった。絶命した生き物からは魔力が霧消するため、『アンチファイア』を持つ魔物であっても普通に燃えてしまうそうだ。
ちなみにスープに入っている肉は脂身だ。乾燥しやすい赤身は保存食に回した。皮も剥いでなめして干してある。
「それで、盗賊団に動きはないの?」
フィズがソラに尋ねた。
「そうだね。レッドライガーをおれたちが倒したってことは把握してると思うんだけど。警邏でも盗賊団の目撃情報はないね」
おれも食事をしながら話に耳を傾ける。
北ハイランド領で横行する悪辣を止めようと、ダルモア村の自警団がパレット盗賊団の妨害を繰り返してことは聞いていた。
連中にとって、ソラたちは目障りな存在でしかなかっただろう。
だから、レッドライガーは村を陥落させるつもりで放たれたはずだ。それにしては伏兵が一人もいなかったことに違和感を覚えていた。自警団の面々は別方向からの襲撃に備え、村に残っていたというのに。
随分とぞんざいな作戦だ。一度、首魁の顔を拝んでみたい。
よほどレッドライガーの強さを過信していたのか、ダルモア村の戦力を過小評価していたのか。
「これで諦めてくれたらいいのにね。戦いなんてうんざりだわ」
「うーん、そんな殊勝な連中じゃないと思うんだけどなぁ」
ソラがスープにパンをしゃばしゃばと浸しながらぼやく。
行儀が悪いわけではない。ダルモア村のパンは石のように固く、汁物や温めたチーズなどでふやかさないと噛みちぎることに難儀するからだ。
「うん、美味しい」
パンと肉を一緒に頬張り、ソラが満足そうに頷いた。対面に座るフィズはスープを睨みつけたまま警戒心を示している。
「わたしは変な感じ。ライガーを食べるなんて聞いたことないもの」
「おれもそうだけど、なんか慣れてきたよ」
はは、とソラが乾いた笑みをこぼす。おれは眉根を寄せた。
「なぜ食わない。味は悪くないぞ」
「ライガー種って飼育が難しいし、野生の個体を仕留めようにも基本的に強いからね。そもそも機会がないよ」
「イヌに似てるのも理由よね。可哀想って思っちゃうわ」
ソラが答え、フィズが続く。
おれは驚いた。つい『レファレンス』を起動させる。
《イヌ:危険度C。イヌ種。開けた草原などに生息する食肉類の魔物。知能が高く、社会性を理解するため多くの個体が数頭〜十数頭単位の群れを形成して生活する。一方で見張りや狩猟、牧畜の補佐を目的として古くから家畜化されてきた魔物であり、人間社会への関わりが強い》
イヌとは、あのイヌか。
どうやらこの世界にもイヌは存在するらしい。
見知った動植物に出会えないことが当たり前になっていたため、むしろなぜイヌは例外なんだと首を傾げてしまう。胡椒や小麦もそうだ。
とはいえ、この世界にも食慣習へのタブーが存在することは察した。
宗教観によるものか心理的な背徳感によるものか、特定の生き物を食用とすることをよしとしない考え方があるのだろう。
肉は肉だろ、と個人的には思ってしまうのだが。実際におれはイヌでもブタでもクジラでもなんでも食べてきた。
「でも、そう。たしかにレッドライガーの肉なんてそもそも手に入らないわ。普通は先にこっちが食べられちゃうもの」
おずおずとスープの味を確かめながら、フィズがおれに視線を向けた。
「運がよかっただけだと言っただろう」
過剰な評価は居心地が悪い。謙遜でもなんでもなく、先日の戦績はただ幸運が重なっただけだ。実際はレッサーゴブリンにさえ敵わないのだから。
しかし、フィズは納得していない様子だった。
「運じゃレッドライガーをランスで串刺しにはできないと思うわ」
「防御力は不変ではないと、お前が言ってなかったか」
ちょうど昨日、フィズから教わった内容でもあった。
魔力を知覚し、その掌握に至った人間、ないし生物は(理屈はまだ難しいからと割愛されたが)ステータスの各数値が著しく向上する。
この身体能力の強化はあくまでも術者の意思を伴った上での話だ。平時から全力展開していれば魔力なんてものはすぐに枯渇してしまう。だからステータスとは出力可能な最大値を示している。
つまり、身構えていない状態で殴られると痛いということだ。
おれが経験から会得した仮説が、フィズの授業によって証明された。できればもうすこし早く聞きたかったが。
彼女は難しい顔で腕を組み、
「間違ってはないんだけどなぁ……。よほど意識の外からというか、あり得ないくらい完璧な不意打ちでもない限り、痛いって感じた時点で障壁が働くからそんなに深くは刺さらないと思うのよね」
「ユウちゃんは『アバトワール』を持ってるんだっけ。それのおかげじゃない?」
ソラが呑気に言った。魚の塩漬けを美味そうに食っている。
《アバトワール:肉を解体するための技術が向上する。また、生物の体構造に関する知識に補正が発生する》
おれの持つ『アドオンスキル』だ。
しかし『向上』や『補正』と言われても実感がない。実際に肉を捌く手際はいつも通りだし、骨格や内臓など獲物の構造について急激に賢くなったわけでもない、つもりだ。
「そっか。『アバトワール』があるんだったら、ユウちゃんって村のエンゲルシュゴートの飼育とか手伝えないのかな」
名案だ、と言わんばかりにソラが手を叩いた。
エンゲルシュゴートとは、ブタにヒツジの毛皮とヘラジカの角を与えたような外見の魔物だ。大人しい性格で、用途もおれの知るヒツジに近い。
おれは首を振ってソラのアイデアを断った。
「おれができるのは屠殺だけだ。生き物の飼い方なんてわからん」
「ダメかぁ。他に得意なことないの? 『アドオン』いっぱい持ってるんだし」
「ない」
溜め息を吐くソラに対し、おれはすっぱりと言い切った。
「どれも学べば会得できる程度のものだろう。特別なにかが秀でているとは考えたことがない。……いや、あるにはあるか」
「え?」
「お前の言う、得意なことだ。一つだけだが……」
「はい、そこまで!」
割って入ったフィズが談義を止めた。
ぱんぱん、と掌を叩いておれとソラに告げる。
「お話もいいけど、手が止まってるわよ。特にユウちゃん。今日は忙しいから早く片付けたいの。ぱぱっと食べちゃってね」
「……この量をどうぱぱっと食えというんだ」
もちろん、余った分は次の食事に回されるのだろうが。
胡乱げなおれの視線に気づくことなく、フィズはせかせかと食べ物を口に運び始めた。けっきょくレッドライガーの肉が入ったスープも美味そうに飲み干している。
「そうそう。今日は二人とも自警団のお仕事はお休みよね。食べ終わったら手伝ってくれない? 花飾りを作って欲しいの」
おれは彼女の頭に咲く、紫色の花で作られた髪飾りを見た。
花飾りとはこれのことだろうか。しかし、おれなんかに服飾品の製作を依頼する理由がわからない。
ソラだけは得心した様子で、
「そうか。もうそんな時期か」
「今年は例年以上に派手にやろうって、村長が張り切ってたわ」
二人の口振りに、なにかしらの恒例行事なのかとは推察できた。
ただ、固有名詞がわからなければ自慢の『レファレンス』も答えてくれない。考えても無駄だ。おれはソラの服の袖を引っ張った。
「催し物でも開催されるのか?」
「そうだね」
ソラは嬉しそうに笑っていた。
「『花の都』ダルモア村における一大行事、『花まつり』だよ」
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