第24話 ごはんを食べよう

 目が覚めた。顔を上げる。

 頭のてっぺんから爪先までを激痛が走り、呻き声が出た。


「う……」


「おはよう」

 声の主に意識を向ける。

 文字通りの鼻先にソラの横顔があった。とても近い。いつも通りの柔和な笑顔だ。泥と煤で汚れ、血と汗の匂いがする。

 おれはソラに背負われていることに気がついた。


「ここは……」


「もうすぐダルモア村だよ」


 前方に、ダルモア村を囲う石壁と門が見えた。

 変わらぬ様子の色彩豊かな花畑。頬を風が優しく撫でる。息が漏れそうなほどの長閑な光景だ。


 なぜこんな場所にいる?

 そうだ、レッドライガーに襲われていたんだ。


 記憶の糸の取っかかりを見つけ、ゆるゆると思考が回り始める。遠目から眺める限り村に火の手などの戦禍は見受けられない。無事だ。


 レッドライガーはどうなった?

 いや、それよりもソラは大丈夫なのか。

 たしか首の肉を牙で抉られていた。重度の裂挫傷だ。人を背負って呑気に歩いている場合ではない。


「お前、怪我は……!」


「痛いけどね。とりあえずは大丈夫だよ」


 けろりと答えられた。見れば、首からの出血がほぼ止まっている。

 

《HP:123/1080 MP:340/639》


 カーソルを合わせる。たしかにHPの下降も止まっている。

 どんな生命力をしているんだこいつは。心配して損した。慌てた自分がバカみたいだ。


「……下ろせ。自分で歩ける」


 ソラの肩を叩き、身を捩る。素直に解放してくれた。

 地面を両の足で踏む。すこし目眩を感じたが、弱音は呑み込んだ。


「他の二人は……」


「無事だよ」


 おれの問いに対し、ソラは背後を振り返った。


「アルゴンキンはさすがに安静にしてる。フィズを呼んでこなくちゃ。カフェも怪我は酷かったけど、どうにか動けそうだったから森の火を消してから帰るって言ってた。たぶん大丈夫だろうって」


 視線を向けた先、戦闘の舞台の一部となった森からはまだ煙が上っていた。

 だが、少なくとも炎が激しく燃え盛っている様子はない。

 カフェは水の魔法が得意と聞いた。レッドライガーの戦闘でもおれを庇ってくれた。どれほどの水量を創出できるのかは知らないが、ソラの口振りだと重大な森林火災に繋がることはなさそうだ。


 ちり、と頬や手の甲が痛む。火傷をしているようだ。


 レッドライガーを槍で迎え討ったところまでは覚えていた。

 殺せたのだろうか。その後の記憶がない。


 いずれにせよあの時、炎と煙がおれを取り囲んでいた。

 昏倒したままであればおれも数分後には死んでいただろう。

 でも生きている。つまり意識を手放した直後、誰かが駆けつけて回収してくれたのだ。たぶんソラだろう。それくらいは推察できた。


「お前が助けてくれたのか」


 だから礼を告げようと、ソラに尋ねた。

 彼はなにかを言おうと口を開き、躊躇い、一拍遅れてから言った。


「すごかったよ、ユウちゃん。まさかレッドライガーを倒しちゃうなんて。大人にだってあんなことできないよ」


「……運がよかっただけだ」


 討伐するつもりで立ち向かったわけではない。

 事前に施しておいた仕掛けだって、どれかが上手く作用すればすこしだけ時間が稼げるかも、というくらいの期待値で戦いに挑んだ。


 コースを誘導し、組み木で足の置き場を限定していたとはいえ、一つしか用意していない罠を踏んでくれたのはまさに奇跡だった。

 二の手、三の手もそうだ。

 炎の魔法を誘発させて煙を起こしたことも、突撃の勢いを利用して槍を突き刺せたことも、結果的にレッドライガーが予想外の動きを見せなかったから成功したに過ぎない。失敗する可能性の方が高かった。


 すべてが偶然による産物だ。


 あれだけ必死で足掻いたというのに、終わってみれば虚無感に襲われた。

 なんのために抗ったのか。

 大人しく食われておくべきだったのではないかとさえ思う。


「びっくりしたよ。なんとか動けるようになったから、音を頼りに森に向かったんだけど……炎の海の中でユウちゃんが倒れてるんだもの。レッドライガーの首にはランスが刺さってるし。一体どうやって……」


 言葉が途切れた。見上げる。


 ソラは変わらず微笑んでいた。

 震える唇を弧に曲げ、歪みそうになる頬を緩め、笑顔を取り繕っていた。


 どうしたと、戸惑いを口にすることはできなかった。

 おれがなにかを発するよりも早く、ソラに引き寄せられ、そして抱き締められた。フィズよりもずっと強く、長く。


 痛かった。なのに、おれは抗議するでもなくされるがままの姿勢でいた。


「助けられたのはこっちだ……無事で、本当によかった……!」


 絞り出すような声で告げられた。


 おれは驚いていた。

 ソラの声が震えている。こいつのこんな声、初めて聞いた。


 厚い胸板が顔に押しつけられている。

 改めてソラの匂いを感じた。

 離れようにも、頭をしっかりと掴まれていて身動きができない。息苦しいはずなのに、不思議と嫌な気分にはならなかった。


「なんで戻ってきたんだ……」


 ソラが悲しんでいる理由がわからなかった。

 お前は助かった。おれも助かった。村も無事。それでいいじゃないか。


「お願いだ。心配なんだよ。役に立たなくたっていいから、危ないことはしないでくれ」


 おかしな道理だと思った。


 いままでの人生で学んだ知識も、培った技術も、この世界では通用しない。魔法やスキルに順応するために、多少のリスクを許容する必要があった。

 そうでなくては価値を示すことができない。

 だから、他人の思想なんて知ったことではない。

 

 とはいえ、おれは目的を見失っていた。

 艱難を乗り越えた先にはなにも用意されてはいない。なんのために生きようとしていたのかがわからなくなってきた。

 言葉に迷う。なんと答えるべきか。 


「……わかった」


 自分でも不思議だった。


 なにかが、おれの胸裡に沈んでいる葛藤が解けたわけではない。いまだ惑い、心は揺れている。


 けれど、ソラが悲痛な声を出した。

 出させてしまった。おれの振る舞いによって。

 なぜか落ち着かない。嫌だった。悪いことをした、という気分になる。


 だからすこしだけ、ソラの要望を聞いてやろうと思った。


 ふと思い出した。


 おれがレッドライガーの元へ駆けつけた理由。立ち止まったおれの背を押した衝動の正体。村に貢献せねばと打算を働かせたわけではない。


 ただ、ソラを助けたいと思ったんだ。


 くしゃと髪を撫でられ、ソラが身を引いた。

 泣いているのかと思ったが、彼の碧眼に涙の痕跡はなかった。おれの顔を覗き込み、満足そうに微笑んでいる。


「ほら、村に帰って一緒にごはんを食べよう」


 しかたなく、おれは言った。


「わかった」

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