第23話 おて

 くそ、足がもつれる。


 カフェの魔法が威力を軽減してくれたとはいえ、レッドライガーが吐き出した炎は冗談みたいな威力だった。


 耕された爆心地の惨状を思い返す。

 一個の生物が出力することのできるエネルギーとしては考えられないことであるし、その爆炎の直撃を、全身打撲と軽度の熱傷で済ますことのできるカフェの魔法も異常だった。


 つくづく嫌になる。ふざけた世界だ。こんな環境に順応しようともがいていた自分がばかみたいだ。


 全身が軋む。

 空気に触れる肌が痛い。

 本音を言えばベッドに飛び込んで今すぐに休みたかった。


 がんばって、その先は?

 おれに未来はあるのか? 


 迷いが脳裏にちらつく。葛藤がないと言えば嘘になる。でも、習慣か習性か、不思議とおれの足は文句も垂れずに動き続けてくれた。

 振り返ると、レッドライガーはもうすぐそこに迫っていた。


「嘘だろ……!」


 想像の倍は速い。

 オオカミの最高速度は自動車レベル、と聞いたことがある。

 だからおれは、住宅街を走行するファミリーカーくらいのスピードを想像していた。こんな、ハイウェイをかっ飛ばすスポーツカーみたいな速度で肉薄してくるとは思ってもいなかった。


 レッドライガーは枝や木を的確に避けて走る。一方のおれは腰の高さの倒木を苦労して跨ぎ、よろけ、そして無様にも転んでしまった。


「……ぐっ」


 追いつかれてしまう。レッドライガーは減速せず、火の粉の軌跡を残して最適のルートを疾走する。


 そう、脚力だけは想定外だったが、それでもレッドライガーの背丈はおれの知るオオカミとよく似ている。その体高で、その高さの倒木が目先にあれば、跳躍して跨ごうとに足を置くよな。


 レッドライガーの体が勢いよく沈んだ。


《アドオンスキル発動:トラップメーカー》


《トラップメーカー:捕獲、拘束を目的とした罠全般の作成に必要な技術の精度が向上する。また、


 きゃん、と悲鳴が上がる。存外、痛がる時はイヌみたいな声を出すらしい。


 レッサーゴブリン用に仕掛けた罠だ。

 ダルモア村を飛び出したおれは、戦場に直行せず、この場所を一直線に目指して罠を起動させておいた。万が一の時、すこしでも時間稼ぎができるよう小細工を施しておいたのだ。


「不意を突けば、刺さるんだよな?」


 レッドライガーが引っかかった罠は、古典的な落とし穴だ。ただし穴の構造が特殊で、縦横の長方形をT時に組み合わせた形をしている。


 ただし、横穴の底に敷かれた木の板のせいで、上から覗き込んでも縦穴は目視できず、直方体の穴にしか見えない。

 もちろん落ち葉などで罠の存在を隠蔽し、太い枝を周囲に組むことで獲物の足の置き場を誘導する工夫はしておいた。


 木の板の裏側にはびっしりと釘を打ちつけてある。

 先ほどこの板を裏返しておいた。

 正方形状の板を二枚、並べて置いている。だから罠を踏み抜くと中央から真っ二つに割れ、挟み込むようにして足の側面に釘が刺さる。自重により、足は釘付きの木板に挟まれたまま狭い縦穴に落ちる。


 引き抜こうにも、足が釘と板でサンドイッチされている状態だ。地獄の激痛を与えることだろう。


「かかった。……次は……!」


 これで小細工のネタが尽きたわけではない。

 息を整える間もなく、おれはよたよたと起き上がった。疲労と緊張で足が震えている。


 レッドライガーが涎を撒き散らして吠える。赤い体毛に付与された『ファイアエンチャント』の勢いが増した気がした。


 だが、すぐに飛びかかってはこない。

 痛みと怒りでレッドライガーの視野は狭まっている。鬱憤を払うかのように短絡的な手段を取るに違いない。そう、おれだったらまとめて吹き飛ばす。


 大丈夫。カフェの魔法で全身がまだ濡れている。一発だけならどうにかなる。


 それよりも、必要なものがまだ回収できていない。

 ここはレッドライガーに遭遇し、ソラに押し倒された場所だ。今もなお地面の一部では炎が燻り、火の粉が宙を待っている。

 あの時、自警団から支給されていたランスを落としている。寄り道した際も、全力疾走の邪魔になると思ってわざと置いてきた。


「あった」

 

 見つけた。同時にオオカミが咆哮を上げた。

 おれは落ち葉の上に転がるランスに飛びかかり、身を伏せた。


《アクティブスキル発動:ヒートクラフトLV6『竜の息吹』》


 武器だけは絶対に手放すまいと思った。


 熱と音。そして体を内臓ごとめちゃくちゃに引っ張られる感覚。体を何度か打った。たぶん、木に突撃して勢いが止まった。

 視界が真っ赤だ。レッドアウトの症状が出ている。


「げほ……っ! ……う、く……」


《HP:9/51 MP:43/43》


 自分のHPを確認する。

 まだ生きている。レッドライガーが前方をなぎ払うように炎を吐いてくれたおかげで、直撃は防げた。


 口の中が血の味で染まる。フィズの家から拝借した外套がボロボロだ。全身が痛い。これ以上は動けそうにない。

 

 それでいい。


 事前に施しておいた小細工はもう一つ。

 レッドライガーが行使する炎は非常に強力だ。罠に調整を施すためにこの場に立ち寄った際も、周りでは小規模の火災が発生し、炙られた地面はまだ熱を保っていた。紙を置けば自然発火する温度だ。

 だから、おれは片っ端から背の届く高さに伸びている細い枝を切って、水分を含んだ大量の生木と葉っぱでそこらの地面を覆った。

 つまり、火種に蓋をしておいた。


「お前……迂闊に火を使いすぎだ。……知らないだろう。森はこう燃えるんだ」


《アドオンスキル発動:ファイアスターター》


《ファイアスターター:着火に必要な技術の精度が向上する。また、


 地面に撒かれた枝葉の隙間から白煙が吹き出た。


 さらなる熱量を追加され、あるいは『竜の息吹』によって酸素が供給され、地表の火種が勢いを取り戻して枝葉の絨毯を燃やしたのだ。


 元々、部分的な森の火災による放射熱で切り落とした枝葉が乾き始めていた状態だ。炎と風を追加してやれば延焼は驚くほど早い。

 もちろん枝の内部はまだ乾燥していない。まず表面が燃え、内部の樹液を沸騰させる。だから大量の真っ白な煙が出る。


 時間にして数秒。レッドライガーが煙を嫌がり、なにが起きたと困惑する間に、煙がお互いの姿を遮るほど空間に充満した。


 お前に火や熱が効かないのは知っている。だが煙は嫌うはずだ。


「さぁ、いいこだ」


 もう一度、強力な魔法を使って煙を消し飛ばすか?


 いや、そこまでの知能はないと信じたい。

 植物が燃焼する理屈なんて知らないはずだ。こいつが認識している事象は『炎を吐いたら嫌な煙が出た』ということだけだろう。一時的にでも、魔法の使用を躊躇うに違いない。


 だが、おれの息の根を止めたいだろう?


 きっと走ってはこない。他の罠を警戒している。

 実際に用意していたのは一つだけなのだが、別のポイントにも潜んでいるのではと不用意に地面を踏むことを避けたがるはずだ。


 ではどうする?


 煙が邪魔とはいえ、辛うじて視認はできるはずだ。木の幹に寄りかかり、力なく首を垂れるおれの姿が。


「ほら、なにをしている」


 お前の獲物は無様にも両腕を垂らし、その頭が前に傾いでいるぞ。狙う場所は一点しかないだろう。


 唸り声が耳朶を打つ。相手は獣であるはずなのに、その声には煮えたぎった感情が滲んでいた。お前を殺してやると、そう言われた気がする。

 レッドライガーが罠から足を抜いた。

 釘が側面から刺さった状態で上方向に強引に引っ張ったものだから、表皮と筋肉がぶちぶちと断裂し、大量の鮮血が待った。

 そんな些事には頓着もせず、殺意をおれに向けた。


 飛びかかってきた。


 残った三本の足で、他の罠を回避しつつ最速でおれに肉薄するためには、その手段しかないだろう。軌道はまっすぐ。無防備にさらけ出された獲物の首に歯牙を突き立て、頸動脈をずたずたに裂こうとしている。


 おれはランスを持ち上げた。

 こんな重い鉄の棒、いまさら振り回す体力は残っていない。

 だが腹の脇に柄を抱え、石突を背後の木で固定し、跳躍するレッドライガーを迎え討つような角度でどうにか支えることはできる。


 穂先が向く先は、首。腹には届かない。肋骨の隙間を狙うことも不可能だ。頭はそもそも動く可能性がある。


 だから、正面から見た首の付け根。犬とはまるで異なる、オオカミ特有の分厚い肉と皮に覆われた一点を狙う。

 水平よりわずかに下が向くように槍の先端を調整して。


 レッドライガーの心臓に届くように。


《アドオンスキル発動:アバトワール》


《アバトワール:肉の解体に必要な技術の精度が向上する。また、


 白煙で視界が不明瞭だったためか、そもそも獲物に反撃する余力などないと慢心していたせいか、レッドライガーはランスに反応を示さなかった。

 ただ自らの突進の勢いで、穂先に身を貫かれた。


 獣が上げた断末魔は、まるで子犬のように哀れな声だった。


 速度と質量に押され、槍の柄の三分の一がレッドライガーの体に沈んだ。もう三分の一は支点である背後の木の幹にめり込んでいた。


 牙がおれの皮膚に届くことはなかった。あと拳一つ分だけ足りない。

 足元を温かい鮮血が濡らす。体毛を覆う炎が霧散していく。

 それでもケダモノは戦う意志を見せた。


 牙が届かないならと、左の前足をおれの顔へと伸ばした。だがあいにくと、爪を突き立てる力は残っていなかったらしい。


 レッドライガーの動きが止まる。力尽きる。

 赤い瞳から光が消えた。

 垂れ下がった前足を、おれは掌で受け止めた。

 ぽて、という音とともに肉球の柔らかい感触が伝わってくる。


「おて」


 おれはそう呟いて、意識を手放した。

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