第22話 明日でいい

《アドオンスキル発動:ハンディングナイフ》


《ハンディングナイフ:ナイフを用いた工作、加工、作業に必要な技術の精度が向上する。また、


 おれの頭の中で『レファレンス』の声が響く。


 肺が痛かった。

 全速力で走ってきたせいでもある。それに、煙と熱で呼吸が辛い。

 ソラたちはよくこんな火の海のど真ん中で戦っていたなと思う。この世界の人間は硬いだけでなくて熱にも強いのだろうか。


 とはいえ、間に合ってよかった。注意を引くことができればと思って咄嗟にナイフを投擲したのだが、刀身が魔物の肉に刺さってくれたようだ。


「なんで戻ってきた!」


 ソラが叫んだ。怒っているし、焦っている。

 彼にカーソルを合わせた。


《HP:221/1080 MP:350/639》


 いまもなお、HPが減り続けている。

 首からの出血がおびただしい。早く止血しなければ。


《HP:58/753 MP:112/220》


 ソラの傍らで地に伏せるアルゴンキンはぴくりとも動かない。

 だが、まだHPは残っている。生きているのだ。


 あと一人、誰かいた気がするのだが思い出せないからどうでもいい。


「おれが遊んでやる。お手をしてみろ、犬」


 まずは、瀕死の二人から魔物を引き離さなければ。

 おれはレッドライガーに向かって手招きをした。


 敵にカーソルを合わせる。名前、強さ、スキル……もう『レファレンス』の扱いにも慣れてきた。必要な情報をウィンドウに表示させる。


《レッドライガー》

《LV:23》

《HP:754/2018 MP:242/567》

《攻撃力:516 防御力:265》

《魔法力:243 敏捷力:490》


【アクティブスキル】


『ファイアエンチャント』

『ヒートクラフトLV10』

『フレイムクラフトLV6』


【パッシブスキル】


『アンチファイア』

『センスオブノイズ』

『センスオブセント』


 オルゴイホルホイよりも強い。なるほど、村人のパニックが理解できた。


 たしかライガーとは、ライオンとトラの雑種ではなかったか。だが、見た目もサイズもおれの知るオオカミに近い。

 赤い体毛は炎を帯びていた。ソラの魔法で燃えているのかと思ったが、どうやら違うらしい。熱に怯むことなく平然と屹立している。いよいよ空想上の生き物みたいだと思った。


 レッドライガーのスキルを『レファレンス』が読み上げる。


《ファイアエンチャント:自身の体にファイアカテゴリの属性をエンチャントする》


《アンチファイア:ファイアカテゴリの魔法、及び炎熱への耐性が向上する》


 なるほど、この魔物の特性のようだ。


 口の周りや四肢の先端など、元々の体毛が薄い場所は燃えていない。だからといって触る気にはなれなかったが。

 火傷をしたくなければ、剣や槍で攻撃しろということか。ナイフなどのリーチの短い武器は不向きなようだ。いずれにせよ、ソラから借りているナイフはレッドライガーの首に刺さったままだった。


 さて、どうするか。


 ソラたちの奮闘により、レッドライガーのHPは減っている。だからといって真正面から挑むつもりはない。どうせ二秒で殺される。

 ソラが立ち直るまでの時間を稼げればそうでいい。


「お前、なにしてんだ!」


 背後から肩を乱暴に掴まれた。カフェだ。そういえばいたな。

 ここに走ってくる途中、レッドライガーが放った攻撃を食らって倒れる様子が見えていた。昏倒していると思っていたのだが。


「なんだ、生きていたのか」


「うるせぇ! いいから早く逃げろ!」


「おれが来なければ死人が出ていたぞ」


「それはどうもありがとう! マジで助かった!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、カフェは乱暴におれを担ぎ上げた。説得する時間も惜しいと感じたらしい。


 おれはレッドライガーを視線を外さなかった。

 興味がソラからこちらに向いている。それはいい。口を大きく開き、その腔内で炎が激しく渦巻いている。嫌な予感しかしない。

 おれは慌ててカフェの背中を叩いた。


「おい、オオカミがなにかしているぞ!」


「あん? オーカミってなによ」


「カフェ!」


 切羽詰まったソラの声を聞き、カフェが振り向く。顔色が変わる。

 次の瞬間、どす黒い炎が視界を埋め尽くした。


《アクティブスキル発動:フレイムクラフトLV6『竜王の息吹』》


 たぶん、ソラに名前を呼ばれた。

 カフェもなにかを唱えた。

 それらすべての音を掻き消す轟音と衝撃が、おれの体を叩いた。


 最初に食らった『竜の息吹』と似ているが、炎の規模がまるで違う。

 まるで化学薬品に引火したかのような、禍々しい色をした爆炎だった。火傷で済むはずがない。全身の肉が溶けたと本気で思った。


「……!」


 肺を強打し、息が詰まる。涙で視界が滲む。


 レッドライガーが吐いた炎は、大きく大地を抉り取っていた。

 まるで大砲の着弾だ。むしろ、戦車くらいであれば真正面から破壊できるんじゃないのか。本当にむちゃくちゃだ。


 おれは、レッドライガーからも爆心地からも遠く離れた位置にいた。

 炎の爆轟に押され、ここまで吹き飛んだのだ。

 体のあちこちが痛むが、目立った外傷はない。ただ、なぜか全身がびしょ濡れだった。きっとカフェが魔法でおれを守ったのだ。


 カフェの姿を探す。

 見つけた。掘り返された土の山からくしゃくしゃ頭が覗いている。

 カーソルを合わせて生死を確かめたいが、距離が開きすぎている。『レファレンス』の射程外だ。


「くそ」


 レッドライガーがこちらを向いた。


 おれは迷わず背を向けて走り出した。

 平地のかけっこではすぐに追いつかれる。だからおれは森に逃げ込んだ。

 幸い、落下した場所はレッドライガーが最初に姿を見せた場所の近くだ。焦げた倒木を飛び越え、舞い散る火の粉を潜り、おれは全力で足を動かした。


 心臓がうるさい。汗が止まらない。


「ソラ! 早く立て!」


 無意識のうちにそう叫んでいた。


 すこしだけ後悔した。

 自分でも、加勢に来た理由はわからない。

 こんな化け物に自分一人だけで勝てるはずがない。

 大人しく自警団の連中やフィズを手伝えばよかった。その方が村に貢献することはできただろう。


 いや、いまさら評価を得られたからなんだというのだ。


 だというのに、習慣とは恐ろしい。


 立ち止まったおれを、フィズの家で膝を抱えて塞ぎ込んでいたおれの背をわずかな衝動が押した。その正体は自分でもわからない。気がつけばソラの元へ向かっていた。


 足が動いている以上は前へ進もうする自分がいる。

 ずっと続けてきた作業だ。


 悩むのは明日でいい。

 

 いまは生きることだけを考えろ。

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