第20話 立ち止まる

 ユウちゃんが走り去る姿を見送り、おれは歯噛みしていた。


「最悪だ……!」


 レッドライガーが吠える。


 遠吠え、なんて可愛らしい声量ではない。

 充分な間合いを挟んで対峙しているにも関わらず大気を揺らすほどの、地面で燻る炎を吹き飛ばすほどの、そんな凄まじい咆哮だった。


 レッドライガーの燃えるような赤い体毛が、本物の炎熱に包まれた。『ファイアエンチャント』だ。


 反射的におれは剣を抜いた。

 そして振るった。


 魔物の動きを目で追えたわけではない。ただ、レッドライガーが踏み出した前足への体重の移動が見えたから、無意識に刃を体の前に置いただけだ。

 そして次の瞬間、剣は耳障りな音を立てた。


 ただの体当たりだ。魔物の硬い頭蓋骨に、刀身が当たった。

 それだけでおれの体は弾け飛んだ。


 息を吐く間もなく、レッドライガーの周囲に火球が浮かぶ。

 一つ、二つ、三つ。ぼぼぼ、と断続的に発現した火の球は計九つ。『ヒートクラフト』の『炎の矢』だ。射ってくる。


 というか、剣に頭突きしたんだからすこしは痛がってくれ。


 おれは後方に滑る体を捻り、慣性を無視して横に飛んだ。

 レッドライガーが魔法を放つ。火球が九本の矢に形を変え、着弾する。直撃こそしなかったが、跳ねた小石に当たっただけでダメージを受けた。


「お前、盗賊団の拠点を守ってたんじゃないのか……!」


 悪態を吐いても誰も答えてくれない。


 右足が地面に触れる。

 勢いを殺し、次いで左足を地に置く。同時に、蹴る。三歩目でおれはレッドライガーに向かって駆け出した。


「騎士の刃が東を向く時、火が熾こる。鼓舞の声、戦塵、鋒。前を向け」


 詠唱。剣を突き出すと同時に、刀身が煌々とした熱を帯びる。


「『炎の槍』!」


 刃の軌跡に沿って形を変える炎が、文字通りの槍と化した。

 あと二歩の距離。レッドライガーの燃える肩に『炎の槍』が突き刺さった、ように見えた。


 炎が霧散した。雨に濡れた体から水滴を払うかのごとく、レッドライガーはぶるんと体を震わせた。それだけだった。まるで効いていない。


「やっぱ炎はダメか」


 皮肉っぽく呟いてみる。頬が引きつって上手く笑えない。


 たしか、レッドライガーの危険度はオルゴイホルホイと同列のBだ。

 ただし『アンチファイア』のおかげで『ヒートクラフト』が効かない。レベルもおれよりきっと上だ。


 パレット盗賊団が使役する個体で間違いない。連中がレッドライガーを手懐けているという噂は本当だったのだ。

 だが、拠点から滅多に離れることはないと聞いていた。なんでここにいるんだ? 先日の件が首魁の気に障ったのか? 本格的にダルモア村を潰そうとしているのか? 他の仲間は?


 心臓の鼓動がうるさい。早鐘のように肋骨を叩いている。


 盗賊団と敵対している以上、いつか戦う覚悟はあった。

 だが、それはいまじゃない。一対一でもない。

 一人だと死ぬ。絶対に殺される。


「時間を稼がないと……」


 レッドライガーが口を開いた。

 口内の奥から、紅蓮色の輝きが覗く。『竜の息吹』だ。


 放たれた爆炎が、おれの恐怖も、緊張も、すべてを吹き飛ばした。



 ◆



 村は大騒ぎだった。


 ソラを援護するために、アルゴンキンとカフェが飛び出していった。

 残りの自警団は村の防護にあたるとのことだった。盗賊団の奇襲を受けるかもしれないという理由らしい。


 おれはフィズの家にいた。


 彼女はおれを見ると、力いっぱい抱きしめた。

 死ななくてよかった。そう言われた。

 開放された時、顔や手の皮膚の痛みが引いていた。熱傷が治っている。これも魔法だろうか。詠唱されたことにも気づかなかった。


 フィズは村の子供たちを教会に集めると言い残し、家を出て行った。おれもすぐに向かうよう言われた。


 おれはベッドに腰かけ、呆然と壁を見つめていた。


 ソラは大丈夫だろうか。

 レッドライガーが来たと告げた時の村人の反応は尋常じゃなかった。

 きっと危険な魔物なのだ。ただの猛獣が町に迷い込んだくらいで、ああもパニックは起きない。この世界の住人にとってあのオオカミは戦車くらいの脅威なのかもしれない。


 助けに向かうべきだろうか。いや、どうせなにもできない。サルにも勝てないんだ。オオカミにはもっと勝てない。


 もちろん、他になにか力になれることはあるかもしれない。

 別に魔物と相対しなくたっていい。避難誘導くらいならおれにだってできる。こんな佳境だからこそ、村の役に立たなければ。


 でも、その後は?


 おれは死んだ。一度死んで、目が覚めたらあの森にいた。


 実は気を失っていただけで、誰か親切な人間による治療のおかげで一命を取りとめた、とは考えにくかった。体の傷がすべて消えていたのだから。

 なにより、あの時に感じた死の手招きは本物だった。


 この世界は、いわゆるあの世なのか?


 やってこれたのだから、帰る方法もある。

 具体性はさて置き、漠然とそう考えていた。

 スキルやら魔法やら、この世界に席巻する超常的なルールを知ってしまったからこそ余計に、おれなどには計り知れないファンタジーな手段で異なる世界を行き来することができるのかもしれない、と勝手に考えてた。


 だが、こっちの世界の理屈については知らなくても、あっちの世界の法則はよく知っている。


 死んだおれが、元の世界に戻るということは、生き返るということだ。

 そんなことはあり得ない。死者は絶対に蘇らない。


 帰ることができないのであれば、おれはなんのためにここにいる?


 すべてを諦めて、この世界での生き方を模索すべきだろうか。

 無理に決まっている。おれには腕力も、学歴もない。まともな仕事ができるわけがない。誤魔化せて半年、せいぜいが一年だと考えていた。それ以上は保たない。成人する前にどこかで野垂れ死ぬ未来しか見えない。


 おれがやっている努力は、すべて無駄なんじゃないのか?


 立ち止まってしまった時、人間は簡単に心が折れる。





「フィズ! お前も教会に隠れろ!」


「わかってるわ! すぐ行く!」


 わたしは自警団の一人に叫び返しつつも、足を止めなかった。


 ソラは心配だが、助けには行けない。

 この村でヒールカテゴリの魔法を使えるのはわたしだけだ。わたしが死ねばより多くの人を失ってしまう。

 自制心を総動員し、己にそう言い聞かせた。

 ソラの元へ駆け出さないよう堪えるために相当な努力が必要だった。拳を堅く握りすぎて、爪が食い込んだ掌から血が滴っていた。


 紛糾する村人を避け、わたしは自分の家へと急いだ。


 あの子を回収しなければ。先に教会へ避難するよう伝えておいたのに、わたしが子供たちを引き連れて向かった時にはまだいなかった。

 無茶をする子だ。まさか、という嫌な予感が胸を占める。


「ユウちゃん!」


 駆け込んだ部屋の中に、あの子の姿は見当たらなかった。壁にかけてあった私の外套もなくなっている。


 遠くから鈍い音が響いた。

 村の敷地の外。おそらくレッドライガーとソラが戦っている場所だ。


 この場所からでも立ち昇る黒煙が見えた。

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