第19話 レッドライガー

 おれはいま、ソラと一緒に森の中にいた。


 といっても周囲の木々は疎らで茂みも少ない。

 場所としては森にちょっと踏み入ったくらいの位置だ。ここからでもダルモア村の花畑や石壁がよく見える。

 そんな森の端っこで、おれは懸命に穴を掘っていた。


「それで、なにしてるの?」


 ソラが興味深そうにこちらを観察している。


「罠を作っている」


「それが? つまずくくらいが関の山だと思うんだけど」


 ソラは胡散臭そうな顔をしていたが、おれは気にしなかった。


 罠とは、落とし穴だ。

 がんばってナイフで掘った、長方形の穴。人間の足ほどの寸法で、深さも五フィート程度。底に木の板を敷いてある。


 対レッサーゴブリン用に仕掛けてみた。不意を衝けば刺さるのであれば、きっと罠も有効だろうと考えたのだ。

 もちろん、たった一つの穴を都合よく踏み抜いてくれる確率なんてあまり期待はできない。本音を言えば複数箇所に用意したかったのだが、残念ながら拝借できた釘の数に限りがあった。


 とはいえ、相手は草食動物ではなく魔物だ。

 おれを目視すれば逃げるのではなく追ってくるだろうから、目の前で足の置き場を誘導してやればなんとかなるだろう。


「これでいいんだ。いまは関係のない生き物や人間が負傷しないようにしている。その時が来れば、この木の板をひっくり返して使用する」


《アドオンスキル発動:トラップメーカー》


 淡白な声で『レファレンス』が告げた。

 いったい誰に似たのか、相変わらず無愛想なやつだ。それに『アドオンスキル』なんかなくなって、この程度の罠であれば小学生でも作ることができるのではないか、と思う。


「そろそろ休憩して、お昼にしない?」


 ソラが提案した。今日は二人とも自警団の仕事は休みだ。

 おれは単独で村の敷地外に出ることをアルゴンキンから禁止されている。だから暇そうなソラを引っ張って森までやってきた、というわけだ。


 ただし、同伴者がいたとしてもランスの携行だけは命じられていた。万が一の自衛のため、とのことだ。


 剣は持たせてもらえない。間合いが近いと危険だからだそうだ。

 ちなみに、レッサーゴブリンを相手にナイフを使ったことに関しては、目が覚めてからアルゴンキンにこっぴどく怒られてしまった。げんこつを落とされた頭がいまだにちょっと痛む。


「パン、食べない? 今日は奮発して小麦粉を使ったんだ」


「小麦?」


「そうだよ。カフェに焼いてもらったばっかりだからまだ柔らかいよ」


 にこにこと笑いながら、ソラが丸く大きなパンを鞄から取り出した。適度に焼き色がついていて、いい香りもする。美味そうだ、とは思った。


「いや、いい。そのあたりで食えそうなものを探してくる」


 おれが断ると、ソラの笑みに苦いものが浮かんだ。


「やっぱり頑固。ねぇ、なんでそんなに食べ物を受け取るのを嫌がるの?」


「対等な関係を築けていないからだ。色々と世話になっている。まだろくに貢献できていないのに、これ以上、お前たちの資産に損失を与えることはできない」


「資産に損失って……。その考え方、ちょっと変だよ」


「そうなのかもな」


 おれは他人事のように答えた。

 己の出自について積極的に語りたくはなかったが、日を増すごとにソラやフィズから『なんで?』と追及される機会が多くなっていた。うやむやにしておくのも限界かもしれない。


 額の汗を拭い、おれは会話を続ける。


「孤児だったんだ」


「……え?」


「貧しい環境だった。見ず知らずの子供に食わせる余裕を持った大人なんて周りにいなかった。だから、生きるためには誰かに自分の価値を示さなければいけなかった。それが当たり前だといまでも思っている」


 おれはソラを見上げた。 


「正直、お前たちからの好意は落ち着かないと感じているくらいだ」


 当然の理屈だと思っている。

 価値のない子供の、労働力のない穀潰しの面倒を誰が見るものか。


 幼心ながら世の仕組みを理解したおれは、捨てられないよう、殺されないよう、大人の仕事を手伝って報酬を得て生きてきた。


 才能なんてろくになかった。だから努力と勉学に励んだ。道楽と怠惰の一切を人生において諦めた。

 それでも苦労はした。ソラはおれの『アドオンスキル』を褒めるが、どれもこれも貧窮した日常を生き抜く上で自然と身につけたもので、言い換えれば『自己を生存させるためのスキル』だ。他人にとって役に立つものではない。


「お前は、よくおれに気にするなと言うよな」


 おれは泥だらけの手を見つめる。

 汚い手だ。思えば、ずっと泥と汗にまみれた惨めな半生だった。力もなく、学もない子供ができることなんて知れている。


「最初は疑った。……いまは、お前たちが善人だとは思っている。だが、この先どこかでおれのことを負担だと思うに違いない。おれはそれが怖い。他に行く宛てがないからな。だから、早く村に貢献できるようになりたいんだ」


「ユウちゃん……」


 ソラがしんみりした様子で呟いた。


「すごく偉そうな態度のくせにそんな謙虚なこと考えてたなんてごふぅ」


 おれが振るった槍の石突が腹にめり込み、ソラは呻き声を上げた。


「ウチはね、大丈夫だよ」


 腹をさすりながら、痛そうに顔を歪めるソラ。そして、明日の天気を語るかのような気楽さで口を開いた。


「ダルモア村はね、移民の集まりなんだ。色んなところから逃げてきた人をずっと受け入れ続けてる。十二年前の戦争で人は減っちゃったけどね。村のみんなにとって、誰かを助けようとするのは当たり前のことなんだよ」


 おれはソラの顔をじっと見つめていた。

 表情こそ陽気なものだったが、声だけがすこし寂しげだった。


「だからおれは、きみを、」


 ソラに押し倒された。


 頭を腕で包まれ、胸板がおれの顔に押し付けられる。ランスを落とした。

 文句を告げる間もない。

 次の瞬間、轟音と衝撃が全身を叩いた。


 ソラに抱えられたまま森の外まで吹き飛んだと理解できたのは、数秒後だ。その間、意識が飛んだ。


 全身を激痛が襲う。肌が痛い。熱い。


 熱い?


 顔を上げる。森の入り口に、見たこともない生物が立っていた。

 そいつはオオカミに似ていた。

 焔のように波打つ真っ赤な体毛を持ったオオカミだ。


 魔物の名を『レファレンス』が告げる。


《レッドライガー》

《LV:23》

《HP:2009/2018 MP:487/567》

《攻撃力:516 防御力:265》

《魔法力:243 敏捷力:490》

 

 赤いオオカミからおれたちを繋ぐ直線上の地面が、真っ黒に炭化して抉れている。こいつの仕業だろう。攻撃されたのだ。

 なおも激しく燃え盛る地面を踏みしめながら、黄色い瞳でこちらを睥睨する魔物の姿は、どこか神秘的にさえ感じた。


「ユウちゃん! 怪我は!」


 ソラに肩を掴まれ、揺り動かされる。

 痛かった。巨大ミミズと対峙した時のような余裕は一欠片もない。

 おれの全身をべたべたと触り、普段の柔和な雰囲気はどこへやら、ソラはほとんど怒鳴るようにして叫んだ。


「村へ戻れ! アルゴンキンにレッドライガーが出たと伝えてくれ! 盗賊団の魔物だ!」


 おれは言われるがまま村へと走った。


 言葉が出ない。頭が真っ白だ。思考がぐちゃぐちゃに混ざっている。

 恐怖や、混乱が理由ではない。

 思い出した。思い出してしまったんだ。

 なんでこんな時に。いまでなくてもいいだろう。


 じりじりと肌を焼く炎の熱が、おれの欠けていた記憶を刺激した。


 そう、この熱だ。熱かった。

 あの時もこんな感じで熱かったんだ。


 思い出した。


 おれはあの時、死んだ。

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