第17話 『レファレンス』

 ソラが警邏から帰ってきた。


 彼が村を留守にしていたのは都合三日だった。

 アルゴンキンが一緒だったおかげで今回は迷うようなことはなく、予定していたスケジュール通りに帰還した。

 ただ、ソラの様子がどこか不自然だった。いつもより口数が少なく、笑い方もぎこちない。ふと気づくと思案に耽るような表情をしている。

 なにかあったのだろうか。


「ユウちゃん、寝ないの?」


「ああ、もうすこし」


 ここはソラの家だ。


 とても貧相な空間だった。

 木の支柱と、泥やワラに似た植物で固めた壁。床だって土の上に乾燥した草を敷いただけだ。家財と言えるものはベッドに炉、あとは椅子代わりのチェストに大きな鉢くらいか。馬小屋の方がまだ上等だと思う。

 といっても、この村では珍しくない水準だった。石造りの建物の方が少ないくらいだ。


 おれはいま、床に座って蝋燭の火を睨みつけていた。


 日々の習慣だ。『レファレンス』の訓練も兼ね、フィズに習った内容を頭の中でおさらいする。


 まずはカーソルを蝋燭に合わせた。


《エンゲルシュゴートの蝋燭》


 相変わらず愛嬌の欠片もない声で『レファレンス』が喋る。

 カーソルを合わせるだけでは、この無愛想なヘルプ機能は名前しか教えてくれない。より明確に知りたければ、おれ自身が求めなければならない。


《エンゲルシュゴートの蝋燭:エンゲルシュゴートの獣脂とユカクサの茎で作られた蝋燭》


 物に限った話ではない。思い返してみれば、おれの意思に呼応するように『レファレンス』の情報量は変動していた。

 初めて見た動植物に対して『なんだこれは?』と首を傾げれば概要が追加され、魔物と対面し『こいつは強いのか?』と疑念を抱けばウィンドウにステータスが表示される。


 もちろん『レファレンス』がおれの要望を汲み取って調整しているわけではない。


 おれがしようとして、初めてなる。

 念じる、望む、といった曖昧な概念ではない。

 必要なのは『情報を引き出す』という具体的なコマンドだ。


 上手く言語化はできない。

 この仕様について理解できたのは一週間ほど前で、それまではたまたま無意識に処理ができていた。翼を持たない人間に羽ばたき方を教えるようなものだ。翼を動かせ、としか言いようがない。


 おれは目を瞑り、さらに続ける。


《エンゲルシュゴート:エンゲルシュ島に生息する魔物。頭蓋を超える大きな角と綿のような白い体毛が特徴。危険度は低い。現在では家畜化が進んでおり、地域によっては毛用と乳肉兼用に分化している》


《ユカクサ:湿地や浅い水中に根を張る植物で、針状の花茎をいくつも伸ばす。茎は紐や床材としてよく利用される》


 そして『レファレンス』はカーソルがなくても機能する。


 再現には手間取った。この『カーソルを合わせることなく対象物の情報を意図的に引き出す』という作用が難解だったからだ。

 言ってしまえば、頭に思い浮かべたものについて知りたいと求めるだけなのだが、想起する単語に『レファレンス』の焦点を当てるという行為がなかなか会得できなかった。


 でも、覚えてしまえばこれほど便利なものはなかった。

 パソコンの検索バーに単語を打ち込むかのような気軽さで、物質や固有名詞についての情報を得ることができる。


 こんなふうに。


《ダルモア村:エンゲルシュ島、北ハイランド領の辺境に位置する村。別名『花の集落』。その名の通り、村中は無数の花々が植えられている》


 まったく『レファレンス参照』とはよく言ったものだと思う。


 そして、自分のステータスを確認する。


《ユウ・ヒミナ》

《LV:1》

《HP:42/51 MP:43/43》

《攻撃力:5 防御力:10》

《魔法力:12 敏捷力:17》


 視界にポップアップウィンドウが浮かんだ。


《LV:熟練の度合いを示す数値。戦闘によって入手した経験値が一定数を超えれば数値が増える。人間や魔物における強さの指標。LV上昇の伴い、各種ステータスにも補正が発生する》


《HP:生命力を示す数値。体力の消耗や負傷によって減少する。休息によって一定数を回復することができる。残数が0になると死亡する》


《MP:魔力を示す数値。スキルや魔法の発動によって減少する。休息によって一定数を回復することができる。残数が0になると死亡する》


《攻撃力:魔力によって強化した際の最大の攻撃値》


《防御力:魔力によって強化した際の最大の防御値》


《魔法力:魔法やスキルの発動に対する最大の補正値》


《敏捷力:魔力によって強化した際の最大の敏捷値》


 項目それぞれについて『レファレンス』が語る。


 攻撃力やら防御力やらは、あくまでも理論値だった。

 だからソラやカフェにナイフが刺さったのだ。これで得心がいった。

 理屈はまだよくわかっていないが、考えてみれば生き物のスペックを意味する数値が不定である方がおかしい。誰だって調子が悪い日はあるし、気を抜いているところをいきなり殴られたら痛いだろう。


 おれはベッドの上に腰かけたソラに振り返る。


「お前は自分のステータスがわかるんだよな」


「ああ、フィズに習ったの?」


 ソラもなにか考えごとに没頭していたようだが、おれの視線に気づくと慌てて口を開いた。


「メニューで確認ができるよ。もしかして自分のステータスを知りたいって話かな? それはまだまだ先だよ。まずは魔力知覚を育てないと、スキルを使うどころかメニューを開くことすらできない」


 どうやら、この世界において波及している不可思議を行使するためには、なにかと魔力とやらが必要になるらしい。


 また、視界の端にステータスや習得したスキルの一覧を表示させることを『メニュー画面を開く』というそうだ。フィズの授業で教えてもらった。

 カーソルやヘルプ機能といった表現は、おれが『レファレンス』の動作に対して便宜的にそう称していただけだ。しかし、ポップアップウィンドウを指してメニューと呼ぶことは一般的な表現であるようだった。

 いよいよパソコンの用語みたいだな、と内心で笑う。


 しかし、あくまでもメニューを開くことができるのは魔力の知覚し、その扱いについて学んでからの話だ。


 もちろんメニューで確認できるのは自身のステータスだけで、他者や魔物に関する情報はない。赤いカーソルも見えないし、無機質な声も聞こえない。ソラやフィズに何度か探りを入れた結果、おれは改めてそう結論していた。

 この世界であっても『レファレンス』の存在は完全にイレギュラーだ。


 不気味がられても面倒だ。こいつらが信頼に値すると判断できるまで、この件については伏せておいた方が無難だろう。


 黙考を中断し、おれはソラに疑問を述べた。


「例えば、お前が自分の攻撃力よりはるかに優れた防御力を持つ魔物と対峙したとするだろ。どう戦うんだ?」


「どうって、相手の防御力を気にして戦うことなんかないからなぁ」


 ソラは困ったように頭を掻いていた。


「がんばって斬るしかないんじゃない?」


「お前はレッサーゴブリンよりバカなんじゃないのか」

 

 もういい、と蝋燭に向き直っておれは訓練に戻った。

 適当な単語を連想して『レファレンス』を起動させる。並行して、自分のステータスを常に視界に表示し続けるよう意識する。


 まだ『レファレンス』の全容についてわかってはいない。すこしでも機能に慣れておこうと考えていた。


「ユウちゃん、細くなったね」


 傍目から見れば、魔力を感知するための瞑想に映ったのだろう。遠慮しつつも、背後からソラが声をかけてきた。


「首とか、腰とか。フィズがなにも食べてくれないってずっと心配してるよ」


「そこらで捕まえたものを食ってはいる。それに一人前の働きができるようになったら、報酬としてちゃんといただくつもりだ」


「ほんと、頑固だよね」


 呆れたような、困ったような、そんな笑い方だった。


 気が逸れた。もう今日は寝るとしよう。

 蝋燭の火を吹いて消し、ベッドに向かう。獣脂の嫌な臭いが鼻に残る。


 この村では複数人で一つのベットを共有するのが常識らしい。

 だから必然的に、おれはソラの隣に寝転ぶことになる。

 質の悪いベッドだ。マットレスも薄い。寝心地としては落ち葉で作った布団よりかはすこしマシ、くらいのものだった。


 もぞもぞと落ち着く姿勢を探していると、ソラが口を開いた。


「ねぇ、ユウちゃんは……おれはユウちゃんを、信じてもいいんだよね」


「なぜそんなことを聞く」


「……ごめん、なんでもない」


 それ以降、ソラはなにも言わなかった。


 ただ、おれが眠りに落ちる寸前、信じているよと聞こえた気がした。

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