第16話 point of no return
「ソラ! そっちに行ったぞ!」
「わかってる!」
おれは森の中を駆け抜けながら、アルゴンキンに叫び返した。
敵影は見えない。音だけが頼りだ。
がさがさと草葉をかき分ける音が凄まじい速度でこちらから遠ざかろうとしていた。逃すつもりはない。おれも茂みの中に身を投じる。
魔力で身体能力を強化している以上、枝や茨くらいで負傷することはない。
だが、こうも進路を塞がれていては走りにくくてしかたがなかった。
「くそ……!」
よくあの速度で移動できるな、と内心で舌を巻く。
我々、自警団の人間は森に慣れていない。
森は魔物が出て危険だし、森林法によって厳重に管理されている。立ち入る機会がそもそもないのだ。
ユウちゃんと一緒に彷徨っていた時だって、森の資源を無断で消費していたことが領主にバレたら間違いなく処罰を食らうだろう。緊急事態だったと弁明しても聞き入れてもらえるかどうか怪しい。森とはそういうものだ。
だから、おれたちは好んで森には近寄らない。
本来であれば。
「『セカンドラップ』!」
らちが明かない。勝負を急ごう。
全身が赤い輝きと熱を帯び、自分のステータスが上昇する。
おれは速度を上げた。大量の土と枝と葉を巻き上げながら、逃走を続ける敵の背に迫る。もうすこしで手が届く。
「てめぇしつこいぞ!」
敵が、盗賊団の男が喚いた。
男の腰の片手剣が引き抜かれる。
振り払うように一閃。
おれは身を引いて躱し、下手に牽制に転じたことで速度を落としてしまった敵の腹へ、靴底を思いっきり叩き込んでやった。
ぎゅ、というくぐもった悲鳴とともに、吹き飛んだ男は藪を突っ切って、開けた空間まで転がっていく。
逃さない。呪文を詠唱する。
「屹立し、正対し、相反せよ」
うずくまって悶える敵まで距離は約三十フィート。
おれにとっては一歩の距離だ。大きく踏み込んで、土を蹴った。
「獲物を呑下す竜王の牙。顕現し、屠れ。荒べ。炎焼しろ!」
肉迫すると同時に、掌を瞠目する男の眼前に突き出す。
「『竜の息吹』!」
おれの左手から噴出した炎が敵を包み込んだ。
指向性を以て迸る爆炎だ。
普通の人間が直撃すれば、皮膚を炭化させて四肢を消し飛ばすくらいの威力はある。いくらスキルが使えたとしても、至近距離で食らえばまず致命傷だ。
炎熱が撫でた地面の水分が蒸発し、ぶすぶすと煙を吐き出していた。
敵が、ぐらりと仰向けに倒れる。
呼吸はしていた。だが全身に熱傷を負い、動ける状態ではないようだ。手にしていた片手剣も刀身が途中で折れている。
「よくやった、ソラ!」
アルゴンキンが追いついてきた。
「油断しないでね。武器は壊れてるけどスキルを使うことはできる」
おれは剣の先端を敵の鼻先に突きつけた。
浅く短い呼吸を繰り返している盗賊団の男が、じろりとこちらを睨んだ。だが瞳は弱々しく明滅しており、抵抗する気力も感じれない。
おれは『セカンドラップ』を解除した。
「初めてだな。盗賊団の人間を捕らえられたのは」
アルゴンキンが言う。
彼はすでに剣を鞘に収めていた。ただ、気を緩めている様子はない。
成果に対して破顔しているものの、その険しい双眸はまっすぐに焼け焦げた男を見据えていた。
「そうだね。いままでは追い払うので精一杯だったから……まだ喋れるな?」
おれは盗賊団の男に問いかけた。
「バルブレア村に向かおうとしていただろ。あの街道はバルブレアにしか続いていない。一人だったところを見ると襲撃ってわけじゃないんだろうけど、下見か? 次はそこを襲おうとしてるのか?」
男は答えない。
だが、息に嘲りのような反応が混ざった。誰がお前なんかに教えてやるのものか。そう言いたいらしい。
おれたちは、この男が所属する盗賊団を長らく追っていた。
前の冬、こいつらは北ハイランド領にやってきた。
まず、ダルモア村に顔を出していた行商人の一人が殺された。
最初は誰も頓着していなかった。人が亡くなったことはもちろん心痛い。だが、旅の途中で盗賊に身包みを剥がされるなんてよくある話だ。
おれも含めて、みんなが通常の範疇で驚き、警戒し、悲しんだ。
でも、パレット盗賊団と呼ばれるこの連中は強かった。
極めて小規模ながら、商人が雇った護衛や領主が差し向けた傭兵をことごとく返り討ちにし、時には周辺の村を陥落させ、彼らは北ハイランド領にその悪名を轟かせた。
おかげでこの地域を旅する者がめっきり減ってしまった。
同時期に現れたトムのおかげで必要最低限の物質は確保できているが、商魂の逞しい彼がいなければダルモア村は一気に衰退していたはずだ。
他の村も被害を被っている。看過はできない。
連中がこのまま居座れば、ダルモア村だけでなく北ハイランド領全体が荒廃してしまう。だからおれたちは、村の敷地周辺だけでなく山を越えてまで警邏を行い、盗賊団の足取りを追っていた。
「色々と聞きたいことがあるんだ。喋ってもらうよ」
おれは剣の鋒を、男の耳に添えた。
「しかしソラ、もうちっと加減してくれ。地面が熱い。花が乾いちまう」
「そんな余裕なかったよ。動きを止めるので精一杯だった」
アルゴンキンは水筒を逆さまにして、頭に生えた花にじゃばじゃばを水をやっていた。その様子を眺め、盗賊団の男が毒づく。
「くそ、こんな……ふざけたやつらに……」
おれは頭を振った。
「ふざけてはいない。おれたちはいつも懸命に生きている。他の村で暮らしている人々もだ。だから、その障害になるお前たちを見逃すことはできない」
男は吐き捨てるようにして言った。
「はっ、英雄気取りの田舎者め。……パレットさんは怒っているぞ。目障りなんだ、お前たち。いつまでもちょっかいを出してきやがって。大人しく自分たちの村に引きこもっていたら長生きできたものを」
「知ってるよ。ここ最近、明かにお前たちの矛先がダルモア村に向きつつある。だから教えて欲しいんだ」
ぴくり、男の右手がわずかに動いた。
魔力の鳴動を感じた。スキルを使おうとしている。だが、おれがなにかを発する前にアルゴンキンが男の手を踏み潰した。
骨が砕ける音と、劈くような悲鳴が重なる。
「い、ぎあ、ああああああああああああああああああッ!」
「そこまで舌が回って、まだ反撃を考える元気があんなら喋れるだろ。お前らの本拠地はどこだ? 言え」
アルゴンキンの声には怒りが滲んでいた。
気持ちはわかる。おれだって平静を保てているわけではない。
盗賊団に嫌がられている自覚あった。
近頃は警邏中の自警団を狙って攻撃を仕掛けてきている。
ユウちゃんが村にやってくるすこし前、ついに死者も出た。
自警団の古株の一人で、詩が好きな男だった。
「ここからそう遠くないってことはわかっている。正確な場所を言え」
自分でも冷たい声だと感じた。
なぜかユウちゃんには聞かれたくないと思った。
盗賊団の拠点がわかれば、おれたちは防戦から反撃に転じることができる。
被害はきっと出るだろう。熟練の傭兵たちを退けるほどの強者たちだ。強力な魔物を使役しているという噂まで立っている。
だからこそ、すこしでも優位性を得るためになんとしてでもこの男から情報を聞き出す必要があった。
「……お前たちは、おれを殺すつもりか?」
男が口を開いた。
おれは解答に迷う。アルゴンキンに視線で助けを求めるが、彼はなにも言ってくれなかった。
「殺さないよ。けど、人道的な扱いを受けられると思うな。だから……」
「それじゃあダメだ」
痛みに顔を歪めつつ、盗賊団の男ははっきりと笑った。愉悦と悲壮が入り混じった、やけくそのような顔だった。
「お前たちはどうせパレットさんに殺される。その時、捕まったはずのおれが生きていたらおれも殺される。……いや、殺してもらえない。もっとひどい目に合う。あの人は役に立たない部下を許さない。おれが殺してくださいって懇願しても、きっと笑いながらおれの爪を剥いで肉を焼くんだ」
男の口角が引きつったように持ち上がる。
いや、実際に痙攣している。四肢ががくがくと震え始めた。様子がおかしい。呼吸音が変だ。
「まったく……お前ら、はバカばっかりだ」
「待て、お前……!」
「おかしいと……思わなかったのか? この、広い森で、都合よく……警邏に出る、お前、たちを待ち伏せするなんて……内通者が、いない……限、り……」
目を剥いたまま、男は動かなくなった。死んだ。
おれもアルゴンキンも、呆然として盗賊団の男を見下ろす。
なにが起きた? 外傷が原因で息を引き取ったようには見えなかった。まるで悪質な呪いにでもかかったみたいだ。
後味の悪さが残る。殺すつもりはなかった。
それに、反芻する言葉はおれに深い困惑を刻み込んでいた。
「……内通者?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます