第13話 フィズの青空授業
「いい? よく見ててね」
「わかった」
「ユウちゃん、近すぎ。前髪が焦げちゃうよ」
フィズはおれが一歩下がる様子を認め、微笑んだ。
ソラと同い年の少女だ。
栗色の髪に、笑うと目立つ八重歯。紫色の花飾りを頭につけている。『レファレンス』いわくワスレナグサという名称の花だ。
彼女はソラに劣らず世話焼きな性格をしていた。
外套や靴、衣服などを手配してくれたのはありがたいが、もっと身嗜みに気を遣うべきだと隙あらばおれの髪を結おうとするし、水浴びにも誘ってくる。何度断っても朝と晩には食事を用意しようとする。
だからこそ、おれがスキルについて学びたいと頼んだら快諾してもらえた。
「まずは、呪文の詠唱」
そう断って、フィズは右手を差し出した。コインを手渡すような仕草で、もちろん掌の上にはなにも乗っていない。
「火の妖精、花弁、赤色の種子。我々は求め、我々は命じる」
彼女が紡いだ口上はおれは知っている。ソラも火起こしのために唱えていた。
「『燃える花』」
《アクティブスキル発動:ヒートクラフトLV1『燃える花』》
フィズの言葉とともに『レファレンス』がスキルの発動を告げた。
ぼ、と空気が膨らむ音がした。フィズの掌に浮かぶ、リンゴくらいの大きさの炎を眺め、おれは感嘆の息を吐いていた。
改めて観察してみても信じられない。球状の炎がそこにある。
可燃性のガスが燃焼しているだけではこうは燃えない。ただただ炎が、丸い形を崩さないように揺らいでいる。不思議な光景だった。
「これが魔法よ」
フィズが微笑んで、炎を包むように五指を握る。途端に熱は霧散した。
「『アクティブスキル』というものか」
「うーん、ちょっと違うかな。『アクティブスキル』の中でも、呪文を必要とするものを魔法と呼ぶの。そして魔法はファイア、サンダー、ウォーターみたいにカテゴリに分かれていて、それぞれにLVが存在する。なにか質問は?」
黒板とチョークの代わりか、彼女は柵に立てかけた木の板に、石炭に似た黒い物質で文字を書いていく。Fire、Thunder、Water……。
「さっぱりわからん」
素直にそう答えると、フィズは溜め息を吐いて栗色の髪を掻き上げた。
おれたちはいま、村の教会の裏で授業を行なっていた。木の幹に腰かけるおれが生徒役で、腕を組んで難しい顔をするフィズが先生役だ。
彼女は村で司祭の役割を担っているらしい。
だから人に物を教えるのが上手い、とはソラの弁。彼女はこうして村の子供たちに読み書きを教えることがあるそうだ。
たしかにこの村の識字率は怪しい。
聖職者がなぜ教師の真似事をするのかと思ったが、聖書を読み上げる機会が多いであろう司祭くらいしか語学について教育できる人間がいないのかもしれない。
そもそも、司祭とはいうがこの世界にもキリスト教はあるのだろうか。
詳しい風習や宗教観についてはわからない。
フィズの服装だっておれの知る一般的な司祭のそれとはほど遠く、他の村人のものと変わりなかった。それに司祭とは男性しか就くことのできない職ではなかったか。
「『アクティブスキル』には、他にどんな種類がある」
おれは授業の続きに戻った。
「色々よ。魔法の属性をエンチャントするものもあれば、ステータスを底上げするものもある。ソラが得意な『セカンドラップ』もそうね。攻撃力や防御力なんかが上昇するけど、発動中はMPを消費し続けるの」
「例えば、相手の数値を覗くことのできるスキルなどはあるのか?」
フィズがきょとんとした顔でこちらを見る。
おれはやや緊張して回答を待った。
実は『レファレンス』のことをまだ誰にも相談していない。
というより、パーソナルな情報は可能な限り開示していない。
ただ警戒しているだけだ。なにが常識でなにがタブーに該当するのかを掴めていない状態で、自分ことをべらべらと語るのは賢明ではない。幸い、ダルモア村の連中はあまり詮索してくることはなかった。
それに、どうせ異世界からやってきたとのたまえばこの世界でも精神疾患を抱えた気の毒なやつだと認定されるに違いない。
「うーん、そんなスキル聞いたことないわね」
そうか、とおれは何事もなかったように話題を変えた。
「LVとなんだ」
「熟練の度合い、みたいなものかな。修練を積んで増やすの。わたしがさっき使った『燃える花』はファイアカテゴリの『ヒートクラフト』って魔法なんだけど、LVは1。『ヒートクラフト』の中で一番弱い魔法よ。鍛えれば高いLVの魔法が使えるようになって、LVが高いだけ威力も高いって感じかな」
「人間や魔物のLVも同じか?」
「そう。もちろんステータスの伸びには個人差があるから一概には言えないけど、LVの低い人より高い人の方が強いことが多いわ」
「……やっぱりわからん」
むっつりと顔をしかめる。
ステータスとは言うが、人の能力や研鑽の程度を数値化しようとする概念そのものに引っかかりを感じ、素直に頭に入ってこない。
「あとは『パッシブスキル』ね」
フィズが丸太に座るおれと視線を合わせるように膝を折った。
「言葉の通りの意味よ。魔法も含めて『アクティブスキル』は術者の意思で能動的に発動するもの。一方の『パッシブスキル』は恒常的に効果を発揮するの。つまり……」
悪戯っぽく笑って、フィズはおれを突き飛ばした。
「うわ……!」
おれは丸太から転げ落ちた。
起き上がる間もなく、両肩を彼女の細腕に押さえつけられる。
拘束を退けようともがいた。が、まるで杭で肩を地面に縫いつけられたかのように微動だにしてくれない。
おれは諦めて力を抜いた。フィズが頬を緩める。
「ふふ、悔しそう」
「……おかげさまでな」
おれに腕力がないのは知っているが、女に負けたとあればさすがに屈辱的だ。
フィズと出会った初日もそうだった。
川まで引っ張ってこられたかと思うと、泥だらけの外套を剥ぎ取られ、抵抗も虚しく全身を丹念に洗われた。本気で暴れたが、まったく通用しなかった。
「でも、こういうことなの」
ふとフィズの声のトーンが落ちた。
「ユウちゃんが非力って言いたいわけじゃないわ。これは『パワーアビリティ』の恩恵。さっき教えた『パッシブスキル』よ」
彼女の大きな瞳が、息の触れ合う距離でまっすぐにこちらを捉えている。おれは突き返す言葉に迷い、結果として口をつぐむ。
フィズからは、花の香りがした。
「わたしは嗜みとして魔法を使えるし『パッシブスキル』も持っている。でも、わたしは司祭だから戦闘が専門じゃない。ユウちゃんが敵わないわたしは、自警団の人たちと比べると力も魔力もずっと弱いのよ。そんな彼らだって、危険度の高い魔物や盗賊と戦うと無事じゃ済まない。……亡くなった人だっているの」
おれは、この女の膂力が卓越していると勝手に思っていた。けれどそれは誤りで、フィズは自分を指して非力だと言った。
おれの体重は約九十ポンド。ガソリンを満タンに入れたポリタンク二つ分だ。
その重さの人間を軽々と片手で持ち上げるなんて、一般的の成人男性には難しいだろう。おれの知る世界では、の話だが。
そのフィズが、弱い。
改めてスキルのでたらめさを痛感した。目眩がする。
「スキルを持たない人間は、スキルを持つ人間や魔物には絶対に勝てない」
肩を押さえつける力が弱くなった。
フィズは顔を上げ、おれの髪を撫でながら優しく言う。
「わたしもソラも、本当にあなたのことを心配してるのよ。スキルについて学ぶのはいいけど、自警団に入るのはもっと強くなってからでいいじゃない。他にも仕事はいっぱいあるし、人手も足りてないから手伝ってもらえると助かるわ」
「それは……できない。やり方がわからない」
「誰だって最初はそうよ。大丈夫、教えてあげるから」
「そうじゃないんだ」
首を振って、やんわりと拒絶を示す。
上半身を起こそうとすると、フィズは素直に退いてくれた。袖に付着した土を払う。もう彼女の目を直視することはできなかった。
「おれはなにもできないから……価値を示さないと」
フィズは言葉に迷っているようだった。
「ユウちゃん! ここにいた!」
二人の沈黙を、駆け寄ってきたソラの声が突き破った。
彼は暗然とした空気に気づくことなく、おれの手を強く引っ張って、
「魔物が出た!」
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