第2章 赤い獣

第10話 花の集落

 おれは唖然としていた。


 村が花畑に呑まれている。

 ここから見える位置で、家の数は十軒ちょっと。

 地面が色とりどりの花々で覆われており、その中にぽつりぽつりと貧相な見た目の家屋が点在していた。


「この国ではこれが普通なのか?」


「違うよ。こんなのはウチだけだ」


 苦笑するソラに続いて、おれは花畑に埋もれる道を進む。

 進行方向には人丈ほどの高さの石壁が見えていた。


 自然に群生した花とは思えない、規則性のある情景だった。たぶん人の手が入っている。


「あの壁の中が村なんだ。花畑の家には誰も住んでいないよ」


 ソラが前方の石壁を指した。


 村を石壁で囲い、その外側に数ヘクタールに及ぶ花畑が広がっているらしい。では花の絨毯に埋もれる家はなんのために建てられたのだろうか。


 古い家ばかりだった。

 家主が不在で長らく放置されたためか、そもそもの建材が原始的なせいで風化したように映るのか。

 茅葺の屋根に、土の壁。ごく一部にのみ木が使われている。

 大半の家に窓枠すらない。玄関に扉もない。


 おれの知る世界では、後発の開発途上国の村でさえトタンやガラスくらいは出回っているというのに。


 道を進むにつれ、門が見えてきた。

 

「ソラ! 無事だったか!」


 門前に立っていた男がやかましい声を出した。守衛だろうか。


「ただいま、アルゴンキン。道に迷っちゃって時間がかかったんだ」


 髭を蓄えた筋骨隆々の大男だった。


 ソラよりも身長が高い。顔も傷だらけで、まさに古強者といった風貌だった。しかし、なぜかその男の頭にはチューリップみたいな花が咲いていた。


「おい」


 おれはソラの袖を引っ張った。


「どうしたの、ユウちゃん」


「あの男の頭の花はなんだ。この国ではこれが普通なのか?」


「違うよ。こんなのはこの人だけだ」


「このお嬢ちゃんは?」


 アルゴンキンと呼ばれた大男が、不躾におれを覗き込んできた。

 ソラが微笑み、答える。


「ユウちゃんだよ。レッサーゴブリンに襲われていたところを助けたんだ。行くあてもなくて困ってたから連れてきた」


「なに、一人で森にいたのか? なんだってまたこんな小さな子が……。ここ最近、このあたりは物騒でな。盗賊が出るんだ。むしろ出くわしたのがレッサーゴブリンで幸運だったくらいだぞ。いや、無事でなによりだが」


 アルゴンキンは人のよさそうな反応を見せた。


「ユウちゃん。この人はアルゴンキン。おれの所属しているダルモア村の自警団ヴィジランテの隊長なんだよ」


 ソラがチューリップ男を紹介してくれた。

 自警団ヴィジランテとは、民兵みたいなものだろうか。ということはやっぱり強いのか?


《アルゴンキン・リーバード》

《LV:13》

《HP:698/753 MP:175/220》

《攻撃力:288 防御力:190》

《魔法力:67 敏捷力:112》


 都合よく『レファレンス』が反応した。

 ウィンドウに表示された数値はソラよりも低かった。


 教えてもらったソラの年齢は十八歳。

 一方のアルゴンキンはおそらく四十を超えている。

 だから年齢と体格で勝っているアルゴンキンの方がきっと数値は高いと思っていたのだが、結果は違った。体力のように歳を重ねると失われていく類のものなのだろうか。


 そこまで考え、ファンタジーな法則と情報を違和感なく受け入れつつある自分に気づき、おれは思わず顔をしかめた。


「ユウちゃん。そんなに警戒しなくても、悪い人じゃないから」


 ソラに苦笑され、はっとする。見ようによってはアルゴンキンのことを睨みつけているように映ったかもしれない。


 その自警団ヴィジランテの隊長とやらは気にした様子もなく、


「村長のところに行くのか?」


 アルゴンキンは頭の花に水筒で水をやりながらソラに喋りかけていた。

 当然だが全身がびちゃびちゃになっている。


 ソラは気にした様子もなく、ほのぼのとしていた。


「そうだね、ユウちゃんも紹介したいし」


「おい、なぜこの男は頭から水を被っているんだ」


 おれはソラの袖を強く引っ張った。


「なぜって、花に水をやらないと枯れちゃうでしょ」


 ソラは膝を折り、頭の高さを低くして囁いた。おれは眉根を寄せる。


「枯らしたくないのであれば地面で育てればいいだろう」


「手の届く位置にないと不安なんだって」


「だからって頭に植えようとする精神状態の方がおれは不安だ」


「たしかに、あれで花が枯れないのはおかしいよね」


「違う。おかしいのは花ではなく頭だ」


 ソラは何事もなかったかのように会話に戻る。


「村長の家に行く前に体を洗いたいな。二人とも泥だらけなんだ」


「そうしろ。あとフィズにも会っとけ。帰りが遅いから、盗賊にでも襲われたんじゃないかって心配してたぞ」


 アルゴンキンは豪快に笑い、木製の門扉に片手を置く。

 重そうな音を立てて村の入り口が開かれた。


 視界に飛び込んできた光景もまた多くの花に彩られていた。

 

 道の両脇に、屋根の上に、家の軒先に、いたるところに花が咲いている。

 人の生活を邪魔しないよう考えて配置はされているみたいだが、正直なところ目がうるさい。やりすぎだ。


「すごいな」


「そうかな」


 おれが呟き、ソラが笑う。


 すごいに決まっている。

 これだけの量の花を世話するなんて、きっと相当な労力だ。

 景観のためだけに育てているとは考えにくい。もしかして、この村の人間は花が主食なのだろうかとさえ思う。


 この位置からでも何名かの村人が見えた。


 こちら、というか主におれを興味深そうに眺める者もいれば、雑草の処理や花の手入れに精を出している者もいる。みんな、ソラやアルゴンキンと似たような服飾事情だ。要するにどいつもこいつも歴史の教科書に載っていそうな服だった。


 田舎の常ではあるが、どの家も普請は似ている。

 看板なども出ていないから、もし商店や飲食店などがあったとしても余所者には判別できないだろう。目立つ建物といえば、広場の近くにある石造りの教会と、緩やかな丘の上に立っている家くらいか。他に比べてすこし大きかった。


 道の奥には井戸と水車が見えた。

 外灯や電線などライフラインに関わる近代的な設備は発見できない。

 

 予想はしていたが、やはりこの世界の文明レベルは低い。それともこの村が田舎だからテクノロジーが浸透していないだけであって、都会はまた違うのだろうか。


「お、噂をすればだ」


 アルゴンキンが何者かに気がついた。


「フィズ!」


 ソラがフィズと呼んだ少女は、まっすぐにこちらまで駆け寄ってきた。


「もう! また迷ってたんでしょ。いつも通りの警邏コースなのにどうやったら迷子になれるの? ほんとポンコツなんだから!」


 ばしっ、という音と共に、ソラの頭がフィズに叩かれる。


「ご、ごめんってば。……あ、そうだ。フィズ、紹介するよ」


 ソラがおれの肩に手を置いた。どうやら話を逸らそうとしているらしい。


「森の中でレッサーゴブリンに襲われていたところを助けた。すごい遠い場所から来たみたいなんだ。しばらくこの村にいさせてあげようと思うんだけど……。まずは村長に会わせたい」


 さっきまでの怒りはどこへやら、フィズが心配そうに眉根を下げた。


「まぁ、可哀想。そうね、そうしてあげて。ああ、でも……」


「うん、まずは体をキレイにしなくちゃ。それに服もないんだ。フィズ、昔のやつとか残ってないかな」


「ええ、私に任せて」


 フィズがおれの首根っこを掴んだ。

 そして、まるで飼い猫を扱うかのように軽々と持ち上げた。


「ソラは先に家に帰ってて。わたしはこの子を洗ってから行くわ」


「人を芋みたいに言うな」


 おれは思いっきり顔をしかめた。


「この村にはシャワー設備でもあるのか?」


 ぷらぷらと爪先が宙に浮いた姿勢のまま、おれはソラに問いかけた。

 フィズにではない。初対面の人間と気兼ねなく言葉を交わせるほど、おれは対人能力に長けてはいない。


 ソラはあっけらかんとして答えた。


「しゃわーってなにかな?」


「だと思った。ではなにで身を清めればいいんだ。ドラム缶か?」


「川だよ」


「そうきたか」


 ずるずるとフィズに運ばれながら、ソラという少なからず見知った人間から引き離されることに一抹の不安を抱きつつ、おれは今後について思索する。


 平和そうな村だ。


 もちろん喜ばしいことなのだが、果たしておれにできる仕事が見つかるだろうか。


 学歴もなく、腕力もなく、人様の役に立つスキルも持ち合わせていない。

 元の世界であってもまともな職に就ける自信はなかった。ましてや見知らぬ土地で、見知らぬ常識が蔓延るこの世界で、ソラの言う『普通に過ごす』なんて想像もできなかった。


 とはいえ、日銭を稼ぐ必要はある。

 労働力として価値のない子供だと判断されると、きっと村から放り出されてしまう。


 なにか体を動かすだけの単純な仕事があればいいのだが。


 ここが一番の難所かもしれない。


「ユウちゃん! 忘れてた!」


 ソラが声を張り上げておれを呼んでいた。


 人の胸中など知らぬかのように、彼は彼は笑ってこう言った。


「『花の集落』ダルモア村へようこそ!」

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