第9話 スライム

 スキルとは三つに分類される。


 その一つが『アドオンスキル』だ。


 と、ソラが教えてくれた。


 アドオンとは付加を意味する単語だが、昨今ではソフトウェアの拡張機能という印象が強い。だから『アドオンスキル』をおれの知る言葉に置き換えるとすれば『拡張技能』という表現が適切だろう。


 要するに生活を拡張するためのスキルというわけだ。


 薄々は理解していたが、おれが保有するいくつかの技能もこの世界では『アドオンスキル』に分類されるらしい。そして老人から子供まで、どんな人間だって大半がなにかしらの『アドオンスキル』を習得しているとのことだ。


《アドオンスキル発動:ブッシュクラフト》


 ソラと出会って五日目。


 近くだと聞いていたダルモア村はまだ見つからない。

 いまは食後(昆虫食)の休憩中だ。

 暇だったので、こっそりと回収していたレッサーゴブリンの骨をナイフで削って釣り針を作っていたところだった。


 おれが『アドオンスキル』を使うたびに『レファレンス』は口を開く。


 言葉の意味とタイミングから察するに、先ほどの『ブッシュクラフト』とはナイフを用いた工作に関わるスキルだろう。


 先日の『ファイアスターター』とは火を起こすためのスキルだ。『スローターハウス』とは肉を解体するためのスキル。他にも『アウトドア』『グロスイーター』『ハイドハイク』『マインドマップ』『センスオブディレクション』など、なんのためのスキルか判然しないものも多いが、ともかくこの五日間で『レファレンス』は何度も『アドオンスキル』の発動に言及していた。


 さすがにもう聞き飽きた。『レファレンス』をオフにできればいいのに、と思う。


「すごいね」


 おれの手元を覗き込み、ソラが興味津々といった様子で言った。


「すごくはない。誰でもできる」


「そんなことないよ。あの時の『ファイアスターター』だって、村の人のを見たことがあるけどユウちゃんの方がずっと上手だった。まだ若いのに、どこで学んだの?」


「貧乏だったからな。自然に覚えた」


 自慢できるような話ではない。


 裕福な暮らしではなかった。食事にも困っていた。

 だから、なるべく自給自足を迫られていたというだけだ。

 おれだって金があればイタチやトカゲではなくスーパーで売られている鶏肉が食いたかった。


 火起こしも肉の解体も、きっと他の『アドオンスキル』だって日々の生活の中で勝手に身についたものだ。


「おれも『アクティブスキル』と『パッシブスキル』はがんばって鍛えてきたけど『アドオンスキル』は全然で……見習うべきかなぁ」


 ソラは苦笑して言った。


「お前はいくつ『アドオンスキル』を持っているんだ?」


 何気ない質問だったが、ソラは明後日の方を向いてしまった。


「……ゼロ、かな」


「想像以上にポンコツなんだな、お前」


「ねぇ言い方」


 ソラを無視して、おれは釣り針作成に没頭することにした。


 平たい石に骨を押し付け、ナイフで少しずつ削る。この作業も今日で三日目だ。


 釣り針の形にはなってきたが、完成にはまだまだ時間がかかりそうだった。空き缶があれば数分で終わる工程だというのに。

 昔の人間はさぞかし苦労して魚を釣っていたのだろう。


「ユウちゃん、魔物だ」


 ソラが指で示す。

 視線の先、樹の根の影に蠢く小さな生物が見えた。


「……あれが、生き物なのか?」


 おれは戸惑いつつも、赤いレティクルを合わせた。


 当初に比べると、この機能の扱いにも随分と慣れてきた。

 もちろん便利だと思う反面、邪魔にも感じている。

 意図しない拍子でレティクルを視界に表示させてしまうことが多かった。より方が難しいのだ。


《スライム》


 魔物を捉えた『レファレンス』が言った。


 その生物は、ずるずると音を立てて地面を移動していた。

 ぱっと見た印象は、人の頭ほどのサイズの、ぬるぬるとした水色のゼリーだった。その半透明の物質の中央にチェリーみたいに赤い球が浮いている。


 これが、生物。


 たしかに動いているから生きてはいるのだろうが。つくづくふざけた世界観だと思う。


《スライム:スライム科スライム属。乾いた地域以外であればどこにでも発生する小型の魔物。弱い。危険性は少ないが、積極的に人間を襲う。草を主食とし、体内に取り込んで時間をかけて消化する。赤い核を攻撃しない限りダメージは与えられない》


 たしかに魔物らしい。それも弱いそうだ。


《Lv:1》

《HP:26/27 MP:2/2》

《攻撃力:5 防御力:1》

《魔法力:1 敏捷力:14》


 おれの思考を読んだように、視界の端にウィンドウが浮かび上がった。

 たしかにレッサーゴブリンよりHPやMPは低い。

 他の数値は比較できない。あの時は攻撃力やら防御力やらまでは表示されなかったからだ。


 だから『レファレンス』の言うがどの程度のものなのかが判断できない。こんな生物でも魔法とやらを使ったりするのだろうか。


【アクティブスキル】


『アシッドエンチャント』


【パッシブスキル】


『スライムボディ』

『オートリカバリー』


 その時、追加でウィンドが開いた。


 なんだこれは?


「スライムだね。大丈夫、弱い魔物だ」


 ソラの声に意識を引き戻される。

 見れば、彼は立ち上がってはいたものの剣を鞘に収めたままだった。警戒するに値しない弱さということか。


 魔物。


 ソラに教えてもらった内容を要約すると『スキルや魔法を使うことのできる生物の総称』だそうだ。


 だから、ゴブリンもミミズもスライムも、ぜんぶ総じて『魔物』と呼ぶ。


 たとえば、ソラに食わせた虫だって『昆虫の幼虫』ではなく『魔物の幼体』という扱いらしい。そもそも彼は『昆虫』という言葉を知らなかった。『虫』と言えば伝わったが、それでも『魔物』という呼称が一般的なようだった。


 おれはスライムを眺めながら、ソラに疑問をぶつけた。


「食えるのか?」


「食えないよ」


「しかし、食感はよさそうだぞ。火を通すとどうなるのだろう。あのゼリー状の肉が液状化するのか、弾力を保ったまま焦げるのか。……やってみるか 」


「絶対にやらないからね」


 スライムがずるずるとこちらに近寄ってきた。ソラが説明する。


「こいつはね、体の下にある草なんかをこのぷるぷるした体で飲み込んで、そのまま溶かして栄養にするんだ。だから『アシッドエンチャント』ってスキルを持ってるんだけど、人間の肌を溶かすほどの強さはない。子供が戦っても負けないよ」


「どうやって呼吸をしているんだ」


「してないんじゃない? 目も鼻もないし、魔力を感知して動いているんだと思うよ」


「味は?」


「なに? ユウちゃんは魔物を食べないと死ぬの?」


 二人で呑気に会話を交わしていると、スライムが飛びかかってきた。


 この見た目で跳躍したことは驚きだったが、それでも子犬が飛びかかってきた程度の勢いだ。やや驚きつつも、おれは身を反らして悠々と躱した。

 べちゃっと音を立ててスライムが落ちる。


 のんびりとした調子を崩さずにソラが提案した。


「そうだ。ユウちゃん、倒してみる?」


「……おれが?」


「うん、経験値の足しになるかもしれない。このスライムだったらそのナイフでも充分だよ。核を狙って刺せば、一撃で倒せる」


 こんな無抵抗に近い軟体生物を刺し殺したところで、なんの経験値が得られるというのか。

 おれは首を振って断った。


「いや、いい」


「いいの?」


「こいつは驚異ではないのだろう。食えないのであれば、追い払えばいいだけだ」


 そう答えて、スライムに手を伸ばす。

 掴むことができた。輪郭が崩れるかと思ったが、そんなことはなかった。感触は粘性を増したクラゲに近いかもしれない。

 そのまま遠くに放り投げる。スライムは見えなくなった。


「優しいね」


 ソラが微笑んだ。

 ふん、と鼻を鳴らし、おれは釣り針の製作に再び取りかかった。


「ちなみに、食べてもいいよって言ったらどうする?」


「待っていろ。殺してくる」


 即座に立ち上がり、おれはスライムを追いかけた。





「ユウちゃん待って! 冗談だってば!」


 背後でソラがおれを呼んでいる。


 スライムは見失ってしまった。

 代わりにおれは別のものに気づき、立ち止まっていた。


 木々の隙間から覗く遠景に、人里らしきものが見えた。


 おれはソラを手で招いた。


「おい、あれはなんだ?」


 五マイルほどの距離だ。

 なにかしらの村落、だとは思う。ダルモア村だろうか。


 しかし、イメージしていた村とはだいぶ違う。

 木と藁と土で作っただけの貧相な家が立ち並ぶ、全体的に茶色い光景を予想していたのだが。

 

 村を覆う、あの色彩豊かな絨毯はいったいなんだ?


 あれは、花か?

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